作り直した!意地の東山動物園モノレール-先代の車両も展示

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東山動植物園のモノレール・スカイビュートレイン

前回に続いて、東山動植物園レポートの3回目です。これまでは、東山動物園における動物のスターの変遷をたどってきましたが、今回はひとつの施設にスポットを当てます。東山が誇る施設のひとつとはそう、モノレール「スカイビュートレイン」です。

このブログでは、昨年末に全国各地のモノレールを特集しましたが、そのなかで、遊園地などへのアクセス用モノレールを見ると、ほとんどが老朽化した際に設備が更新されることなく、そのまま廃止という道を辿っています。今年いっぱいで廃止が決まった名鉄モンキーパークモノレール線もそうです。

そんななか、この東山動物園モノレールには、一度撤去されて再度敷設されるというなかなか複雑な経緯があります。たかが遊戯施設のモノレールと侮ることなかれ。名鉄モノレールよりも距離は長いのです。では早速、乗ってみましょう。

遊戯施設とはいえ距離は長い

現在走っている「スカイビュートレイン」は、モノレールとは言ってもあくまでも遊戯施設であり、純粋に園内の移動手段となっています。駅は動物園の「正門駅」と、植物園の植物会館の前にある「植物園駅」のふたつ。

往復ではなく、ボートのある上池を周遊するように園内をぐるっと回っているため距離は長く、一周2キロですから、モンキーパークと犬山遊園駅を結ぶ、鉄道路線の名鉄モノレールの1.2キロよりもかなり長いことがわかります。

それだけ、東山動植物園が広いということなのですけどね。でも、植物園駅の場所が露骨に植物園への誘導を意図した場所になっているため、動物園内の移動には、はっきり言って不向きです。

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アトラクションを兼ねていますから

名鉄モノレールよりも距離が長いことや、遊戯施設であるこということからも察することができますが、スカイビュートレインは若干高いです。高さの話じゃなくて、料金の話です。

・大人(中学生以上)1周:500円 片道300円
・小人(2歳以上)1周:250円 片道150円

動植物園への入場料金が中学生まで無料であることや、動物園自体の入場料が大人500円であること、そして東山スカイタワーの入場料が300円であることを考えると、かなり高く感じます。

でもそれは、ただの移動手段ではなく、動物園を一望できるというアトラクションを兼ねていると考えれば…納得するしかありません。「スカイビュートレイン」という文字に昭和のスピード感を感じる販売窓口でチケットを買いましょう。

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言うほど古くは無いんです

見上げると、白い車両に濃い緑色のラインが入った車両が走っていきます。配色はまるで上野駅発着の新幹線…といっても、かなり前の「0系」の新幹線を意識したものとなっています。緑なのはやはり上野を意識しているのでしょうか。長年、自称「東洋一の動物園」にもかかわらず、入場者数が国内2位だった東山動物園にとって、1位の上野は常に意識の対象となっていた存在だったようです。今は旭山を意識しているようですが。

まあ、東山は3位に転落して、2位が旭山になったわけだから、意識するのは当たり前か…。

ちなみに、青いペイントの東海道線0系新幹線仕様の車両もいます。0系なところもとっても昭和テイストですよね。でも、スカイビュートレインが走り出したのは1987(S62)年のことですから、それほど古い!というわけでもないはずなのですが…。

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動物園らしいモノレールもあります

0系新幹線もどきの車両だけではありません。車両に動物のイラストが描かれた車両もあります。それにしても、スカイビュートレインは常に5両編成と結構立派。一見すると遊戯施設とは思えません。でも、そう思っていたのは乗るまでの間だけでした。

このイラスト車両は、遠目に見るだけにとどめておいた方がいいかもしれません。遠目に見ると結構カワイイような気がするんですよね。

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乗ろうとすると、ちょうど正門駅には先ほどの新幹線もどきの車両がやってきていたので、相方に「動物の絵のに乗りたい!」と無理を言って一本後のに乗ることにします。相方はかなりの呆れ顔でした。

動物の図柄の車両を見ると…。う~ん。近くで見ると結構、シュールなイラストなのねこれ…。

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見た目にもカーブでジグザグ

正門駅でモノレールを待っている間、行く先を見ると、レールは結構カーブしていて、なんだか面白そう。さすが遊戯施設です。待っている間に、係員さんにモノレールについて聞いてみました。すると、昔走っていたこれとは違うモノレール車両が今も保存してあるとのことですので、後ほどそれを見に行くことにします。

今とは違うモノレール。つまり、スカイビュートレインは2代目なのです。

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そのジグザグをモノレールがやってきました。いよいよ乗り込みます。やっぱり…名鉄のモノレールとは全然違って、確かにこれは「遊戯施設」だなぁ…という感じです。乗り心地は決してよくありません。と言いますか、結構酔うかも。

でもご安心ください。窓が開きます。昔のバスなどでよくあった、両端の取っ手を持ってグイッ!と動かすタイプの窓です。正門駅を出発してしばらくは、結構高い位置を走るので動物園や周囲の住宅街を見渡せます。

車両のその…いわゆる遊戯施設っぽさの割りに高い位置を走るので、高所恐怖症克服にオススメ!

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公道の上を越えていきます

池のほとりを過ぎると、いよいよ動物園の敷地を出ます。車が普通に走る一般道の上を横切っていきます。でも、正門駅ほどの高さはありません。モノレールは上ったり下ったりしていないようなので、どうやら動植物園には結構高低差があるということがわかります。

ちなみに、この一般道路を廃止して、動物園と植物園を一体化しようという計画があります。それってたぶん、本音は動植物園を一体化したいんじゃなくて、路上駐車を一掃したいんでしょうね…。

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植物園側では、かなり低い位置をモノレールが走っていきます。背の高い人は思わず頭が当たるんじゃないかと思ってしまう…は言い過ぎです。では、植物園駅で降りて、昔のモノレール車両があるという、上池門近くの売店に行ってみることにします。

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東京と張り合うのが運命です

昔のモノレールとは。

実はこの東山動物園には、上野動物園と同じように鉄道路線としてのモノレールが走っていた時代があるのです。

これだけ広大な敷地ですから、昔から移動手段が運行されていました。1963(S38)年までは「おとぎ列車」という、遊戯施設としての列車が走っていたのですが、当時、東京都交通局が1957(S32)年から上野動物園に、社会実験として日本初の常設モノレールを走らせていました。

東京がやってるなら名古屋もやらなきゃ!

と思ったのかどうかはわかりませんが、名古屋市交通局も実験を兼ねて、この東山動物園にモノレールを走らせたのです。

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東山も最初は正式な鉄道だった

名古屋市交通局協力会が運行した「東山公園モノレール」は、三菱重工業が開発した「三菱サフェージュ式」で、今とは違って上野と同じ、懸垂型でした。もちろん、上野と同じく実験線扱いであり、正式な鉄道路線としてのモノレールでした。

ちなみに、三菱サフェージュ式のモノレールは現在、千葉都市モノレール、湘南モノレールで運行されています。それらの元祖は東山ということになります。

東山公園モノレールは、未来の乗り物として脚光を浴び、一時は動物園の目玉として人気を集めたのですが、それはそう長くは続きませんでした。

なぜなら、最大の欠陥があったからです。

欠陥とは、移動手段として役に立たなかったのです。当時のモノレールの営業距離はわずか500メートル弱。今のモノレールの4分の1程度だったのです。

そのため、東山公園モノレールはわずか10年で廃止されることになります。

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意地の維持

しかし、動物園内をモノレールが走るということ自体にこだわったのか、廃止の13年後、開園50周年を記念して、モノレールは遊戯施設として復活するわけです。それが今の「スカイビュートレイン」です。かつてのモノレール路線の一部などを利用した上で、さらに移動手段としても遊戯施設としても「使える」モノレールとして、わざわざ敷き直したわけです。

もうこれは、何かの意地としか感じられません。それは単に、上野にモノレールがあるから、東京の動物園にモノレールがあるから、でしょう。ああ、悲しき名古屋っ子。

ちなみに、昔のモノレール車両が置かれている建物は、当時の東山公園モノレール「植物園駅」です。

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過去と未来はつながっている

新しいモノレールが走っているにもかかわらず、昔の歴史を語るモノレール車両を保存して展示している点は、とても好感が持てます。私が好きな言葉に「過去を顧みないものに未来は無い」というのがあるのですが、まさしく東山は過去を顧みた上で、その反省を生かして次に繋げるという改善を行っているわけです。

現在、東山動植物園にはまだまだ昭和レトロを感じさせる部分がたくさん残っていて、私がまだ幼かった頃と変わらぬものがたくさんあります。

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東山動植物園は開園80周年の2017(H29)年に向かって「プロジェクトHIGASHIYAMA80・東山動植物園再生プラン」が進められていますが、すっかり新しい東山になってしまうのではなく、昔ながらの東山の良さを残しつつ、新しい道に進んでいって欲しいと思います。

旭山動物園を意識するのはわかります。これから少子化の時代に向かって、動物園経営は難しくなるでしょう。でもやっぱり、昔から通っている私たちにとっての東山の良さ、具体的にどれということではないのですが、東山らしさを残しつつ、発展して行って欲しいと思います。

でもこうやって歴史を辿ると、「東洋一」と自称したり、上野を意識してモノレールを走らせたり、くまさんコースターに「日本初」と銘打ったり、旭山に対抗してプロジェクトを発足させたりと、常に何かを意識して敏感に、いや、過敏に反応して動くのが「東山らしさ」なのかもしれませんね。

そんな、いかにも名古屋テイストな東山動植物園が好きです。

関連情報

東山動植物園
名古屋市にある東山動植物園の公式サイトです
東山公園協会
東山公園協会のホームページです。東山公園協会は、東山総合公園の事業の発展振興に協力するとともに、動植物に関する知識と愛護思想の普及を図り、教育文化の向上に寄与することを目的としています。

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コメント

  1. 斎藤 より:

    こんにちは、先日モノレール特集の時に書き込みした斎藤です。
    私はマラソンが趣味で、2006年10月にこちらにきてから、名古屋市内を中心にあちこち走っているのですが、
    今度はどこに行こうか、何を食べに行こうか、あれこれ考える際に、このページが大変参考になりました。
    目ぼしいところだけでも次の場所に行きましたが、ほとんどはこのページを見なければ行かなかったでしょう。
    猪子石・・・神明社には猪子石が見当たりませんでした。
    瀬戸・・・瀬戸蔵ミュージアムとパルティせとに行きました。
    庄内緑地・・・本当に、大雨の時は入るなって看板がありました。
    中京競馬場前駅、桶狭間古戦場跡(2か所)、有松、大高緑地、丸根、鷲津・・・名古屋を歩こうー緑区の最初をまとめてです。子連れでないのでゴーカートは乗れませんでした。
    鶴舞公園・・・本当に、公園は「つるま」、駅は「つるまい」ですね。
    瑞穂運動場・・・名古屋シティマラソン(ハーフ)も完走しました!
    荒子川公園・・・ジャスコにも寄りました。失礼ながらこんな所なのに、すごい混んでて驚きました。
    晴明神社(清明山)・・・会社の地元の人もここにあることを知りませんでした。
    アピタ千代田橋店・・・もちろん綿雪氷を食べにです。完熟プレミアムマンゴーとプレーンと2回も行きました。
    北区辻町の福寿餅・・・鬼まんじゅうは安くて素朴でいいですね。
    住まいは大曽根近辺ですが、全部走って行ったのですよ、すごいでしょう!
    (中京競馬場前までと瀬戸と大高からの帰りは電車でしたが。)
    心残りは、犬山に行ったとき(もちろん走って)、田縣神社のそばを通ったのに寄らなかったこと。
    くびったけ@名古屋に載る前でしたからね。
    機会があったら、大縣神社とともに行ってみたいです。
    行くなら3月15日でしょうね。
    「名古屋を食べやー」や「名古屋みゃーみゃー通信」なども楽しく読ませていただきました。
    下手な地元の人より名古屋のことに詳しくなったように思います。
    おかげさまで、休日もあまり帰京せず、名古屋を楽しむことができました。
    本当に有難うございました。
    今月一杯で東京に帰りますので、名古屋住まいも終わりですが、帰ってからもこのページを愛読させていただきます。
    今後も、また名古屋に来たくなっちゃうような楽しい内容を期待しております。
    では、お元気で。
    (2008/01/24 11:34 AM)

  2. トッピー@管理人 より:

    >斎藤さま こんにちは
    このブログを参考にお出かけされたとのことで、本当に嬉しいです。しかも、全て走っていかれたとは!すごいですね。自分自身の運動不足が身にしみます。
    「猪子石」は神明社ではなく、猪子石神社と大石神社というそれぞれ小さな神社にあります。ちょっと記事がわかりにくかったですかね。すみません…。私も学生時代は、名古屋シティマラソンの10キロを走ったりしたのですが、今ではすっかり…。
    緑区の桶狭間周辺は、本当に戦国時代の風景が辿れて面白いですよね。次第に市街地化の波は来ていますけど、地形は変わらないですから、戦の面影が見えるような場所もありますよね。
    鬼まんじゅうも綿雪氷も食べられたとのことで。本当に、このブログをやってて良かったと思います。
    しかし、大曽根から犬山まで走るってすごいことですよね。私の場合最近は、極力ウォーキングをするようにはしてますけど、昔のようにジョギングとかもやっぱりしないと行けませんね。
    このサイトは「名古屋を楽しむ」をテーマにしているだけに、そう仰っていただけると、本当にサイトを作って良かったとつくづく思います。これからも、名古屋を中心にちょっとは東京や関西にも足を伸ばしたりするとは思いますが、いろいろなことを探していきたいと思います。
    ぜひまた東京でも、引き続きご覧になっていただければそれ以上の喜びはありません。こちらこそ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
    (2008/01/26 4:08 AM)

  3. 斎藤 より:

    こんにちは、再び斎藤です。
    「猪子石」の件、TOPPYさんの記事が悪いのではありません。
    誤解させてしまい申し訳ありませんでした。
    猪子石は猪子石神社と大石神社でしっかり拝見しました。
    TOPPYさんの文章をしっかり読んでから行っていますので、ご心配なく。
    神明社では、いかにもここに猪子石があるかのようなことを書いた文書が貼ってあったので、ここにも猪子石があるのかなと思ったら見当たらず、不思議に思ったのです。あれは何なのでしょうかねえ。
    明日で名古屋の仕事も終わり、東京に帰ります。
    これからもTOPPY.NETを愛読させていただきます。
    でも、そうするとまた名古屋に来たくなっちゃうだろうなあ。
    (2008/01/28 12:53 PM)

  4. トッピー@管理人 より:

    >斎藤さま こんにちは
    そういうことでしたか。
    猪子石神社は、猪子石神明社の末社といいますか、祠堂という扱いになっていますので、管理は神明社がやっているのだと思います。それでそういった文書を貼っていたのではないでしょうか。
    東京に戻られるのですねー。かつて上京を計画したことのある私としては、東京は永遠の憧れの地なのですが、名古屋そのものを生業としてしまったので、もう上京はできないです…。でもやっぱり、憧れますね~。
    それでは、今後ともよろしくお願いします。
    (2008/01/29 12:15 AM)

  5. 東京圏では、横浜ドリームランド、向丘遊園地などのモノレールは撤去されてしまって、さびしいものです。
    名古屋はあいかわらず多方面で活気があって、うらやましいです。
    (2008/02/09 2:05 AM)

  6. トッピー@管理人 より:

    >名古屋土産ナビゲーターさま こんばんは
    そんな名古屋からも、鉄道路線としてのモノレールは間もなく消えることになります。この東山の遊戯施設は残ると思いますが・・・。
    (2008/02/13 1:43 AM)

  7. ルチア より:

    過去記事へのコメント失礼致します。
    初めまして、岐阜市在住のルチアと申します。
    東山動物園モノレールの記事を書こうとして検索している内に参りました。
    色々と参考にさせて頂きました。
    それでは、また訪問させて頂きます。
    (2009/01/12 2:00 PM)

  8. inokoshi より:

     明けましておめでとうございます。新年の挨拶が遅くなり申し訳ありません。
     私も東山公園のスカイビュートレインに乗ったことがあります。とはいってもあまり記憶に残っていません。今度動物園に行くついでに乗ろうと思います。
     昔の東山公園モノレールですが、新潮社の「日本鉄道旅行地図帳・7号:東海」に寄れば、名古屋市交通局の外郭団体、名古屋市交通局協力会によって運営されていました。Wikipediaには、モノレールの開通前には「湖畔電車」が走っていました(このブログの「おとぎ列車」です)。しかし、多くの乗客を運ぶには小規模だったため、モノレールが造られたそうです。とはいっても、階段をひたすら上り続けた先に動物園駅があったり、植物園駅といいながら動物園内にあったりしたため、乗客は増えず、結局施設の老朽化も原因となり廃止されたそうです。
     名古屋市の施設は安いですね。私は今中学生なので、タダのうちにいろいろなところへ行こうと思います。科学館でさえタダというのは驚きです。
     長くなってしまいましたが、この辺りで失礼します。
    (2009/01/12 10:18 PM)

  9. トッピー@管理人 より:

    >ルチアさま はじめまして こんばんは
    ブログ拝見させていただきました。東山公園モノレールの写真とは、これは貴重ですねぇ。懸垂型のモノレール自体、この地方ではそれ以降見かけることがありませんでしたものね。ホント、貴重です。
    >inokoshiさま こんばんは
    今年もよろしくお願いいたします。スカイビュートレインって、小さい頃に乗ってそれっきりという方、多いですよね。私もそうでした。
    そういえば、自分も昔は動物園や科学館など、無料だったころに友達とあちこち行ったことを覚えています。でも当時は、学区外に友達だけで遊びに行く際には、先生にあらかじめ申し出る必要があったのも、時代ですね…。
    (2009/01/19 12:17 AM)

  10. ara40oyaji より:

     お返事して頂き有り難う御座います。二年以上前に先代「東山モノレール」のレポートをなさっていたとも知らずに「親爺風」吹かす様な事を 私が言ってしまって・・・。「失礼致しました。」
     実を言いますと前回のメールは「toppy.net 多摩モノレール」のレポートをYahoo.Japan地図より見つけ、其処だけ読んで「エラそうな物言い」をしてしまいました。御恥ずかしい・・・。
     たしかに、私が幼少の頃に「先代・東山モノレール」に乗車した時も乗客は、私と私の親爺だけでした。歩く位のユックリした速さで走り、天井からは「箱型の鋼体レール内」を転がるタイヤの音が「ガラガラ」と喧しく響いてました。内装は「通勤電車」と同じロング・シート。アッと言う間に隣の「終点駅」に到着。「不満タラタラでブータレる」私に、親爺は笑いながら「降りろ降りろ」という始末。当時としては「カッコいいデザイン」のモノレールだけに「もっと乗っていたい」と思ったのは、私だけでは無かったのですね。
     「二代目・東山モノレール」のレポートを早速、拝見しました。現役のモノレールは車両も軌道も「なかなか立派」。1985年に開催した「EXPO’85 つくば科学博」の場内に有った「ビスタ・ライナー」をサイズ・アップしてデザインまでグレード・アップした感じです。「スカイビュートレイン」最高!! 何よりも「周回コース」になっているのには感激!の極みです。長文になりましたので又、後ほど・・。 

  11. トッピー@管理人 より:

    >ara40oyajiさま こんばんは
    いえいえ、とんでもないことです。
    検索からお越しいただけて、大変嬉しく思います。
    やはり、先代のモノレールは、
    移動手段としてはちょっと使えないものだったんですね。
    その一方で、デザインなんかは本格的だった…と。
    つくば科学万博…小さい頃、行きたかったのですが、
    行けませんでした。そうですか、似てますか。
    今度乗るときは、そんな思いも馳せながら、
    モノレールに揺られてみたいと思います。
    貴重なお話、ありがとうございました。

  12. ara40oyaji より:

    又、「東山モノレール」の話の続きです。「先代・東山モノレール」のプロジェクトに技術主任として、関わった「三木忠直・技師」について、私の知る限りの事を又しても性懲りも無く致します。よろしければお付き合い下さい。
     「三木技師」は、戦前に「東大・工学部」卒後「海軍・航空技術廠」で機体設計をしていました。戦後間も無く「旧国鉄、鉄道技術研究所」に呼ばれ国鉄マンになります。
     しかし、そこでは多くの「旧軍、出身者」は肩身の狭い思いをしました。戦争直後の厭戦気運のみならず、旧国鉄内に左翼活動家がいたせいも有りました。「三木技師」にも、やっと仕事が与えられたと思ったら、それは「遊園地のアトラクション」。しかし、これが彼の手掛けた「最初のモノレール」だったのです。
     「元、飛行機屋」らしく「プロペラ駆動の懸垂式モノレール」ボディー形状は紡錘型、推進用のプロペラ、1951年に「豊島園」内の常設遊戯物となる。大手の新聞紙面には写真入で「空飛ぶ電車」の見出しで大々的に報道されたそうです。
     この「プロペラ駆動のモノレール」は、当然の事で現存していませんが ほんの数秒程度の映像として残っています。
     1956年上映「東宝映画・ロマンス娘」美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、の三人がこのモノレールに乗って窓から手を振るシーンが有ります。同、映画は「DVD」も有ります。
     話を戻します。戦後10年過ぎた頃「新幹線プロジェクト」が立ち上がり、それまで冷遇されていた「三木技師」を始め「旧軍出身者」が先頭に立ってプロジェクトを牽引していきます。「試作・電車」が完成した直後「三木技師」は国鉄を「辞職」。そして「先代・東山モノレール」の設計・建設の中心メンバーとなり、その時に得られたノウ・ハウを用いて「湘南モノレール」の「技師長」となり、1970年完成後も「同、モノレール」で活役したそうです。
     最後に「EXPO’85 つくば科学博」のモノレール「ビスタ・ライナー」は、二代目・東山モノレール「スカイビュートレイン」に「似ている」と言うよりも「怖ろしくチャチイ代物」だったのです。「17両編成、先頭運転席、二両目モーター車、三両目以降は客車」この客車が「怖ろしくチャチイ代物」で、大人は立ったままでは頭がつかえてしまう天井の低さ、側壁は無く吹き曝しで四人向かい合わせの座席で一両。まるで嘗ての「名古屋、三越デパート」屋上に有り、私も乗った憶えのある「日本最古の屋上観覧車」のゴンドラを寸足らずにした様な物が十五両も数珠繋ぎになっていたのです。とても「スカイビュートレイン」の足元にも及びません。
     又、「EXPO’85 つくば科学博」は、その後の「EXPO’05 愛 地球博」と比べても「規模、展示内容」に置いて、二十年の年月の「差」を感じるだけで無く、「科学博は、専門博」で小規模。「愛・地球博」は総合博覧会として、私も小学一年時に見た「EXPO’70 万国博覧会」以来、三十五年ぶりの「正真正銘・万国博覧会」だったのです。長文にして駄文で失礼しました。
     
     

  13. トッピー@管理人 より:

    >ara40oyajiさま こんにちは
    貴重なお話ありがとうございます。
    そういう経緯があったんですね。
    国鉄での軍出身者の冷遇が生み出したのがモノレールだったと。
    そこから、モノレールの歴史が始まったと。
    さらに、東山から湘南へと進化していたのですね。
    プロペラ駆動…まさに、空飛ぶ電車ですねぇ。
    つくばのビスタライナーも見てみたかったです…が、
    見ないまま、想像上の未来的な乗り物のままの方が
    良さそうな感じですね。
    話に聞く限りですけれども、やっぱり、
    70年の大阪万博はすごかったみたいですね。
    何よりも「発展する未来」という光り輝くものがある中での、
    開催だったのが羨ましいです。
    もう一度、未来の明るい日本がやってくることを願うばかりです。

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