★熊野市が力を入れる観光の玄関口
★鬼のせいで?鬼のおかげで?
★大迫力!写真に収めようとすると...大変なことに
前回は、自然の力によって岩が獅子のような形に削られた獅子岩と、人面のような形に削られた神仙洞を見ました。かつては神と仙人がいたようですが、岩に白ペンキで直に書かれた文字を見て、今はもういないだろうな...という気分のところに、次は「鬼」です。
かつてトッピーネットでは、桃太郎が鬼退治に向かったと伝えられる岐阜県可児市の鬼ヶ島をレポートしたことがありましたが、ここ熊野にあるのは「鬼ヶ城」です。
どんな鬼の伝説が残されているのか...国道42号を北へと向かったのですが、そこは本当に入口からして恐ろしい場所でした。
もくじ
トンネル出口に鬼はいる
鬼ヶ城の入口にある観光施設「鬼ヶ城センター」へは、国道42号から直接曲がって進入することになります。北からやってきた際にはトンネルの手前で左折と、難なく入ることができるのですが、私たちのように南からやってきてしまうとこれが怖い。
なぜなら、鬼ヶ城トンネルを出た瞬間に右折しなければならないのです。しかも、右折ラインどころか信号機すらありません。さらに、このときにはすぐ後ろに後続車がいなかったので、「お願いだから追突しないでくれ~」と一心に願いながら対向車が過ぎ行くのを待ちました。
しばらくしてやってきた後続車は、無事私たちの車の存在に気づいてくれて、追突されることなく右折できました。目的地が鬼なだけに本当に怖かった。右折した瞬間に赤鬼がお出迎え...いや、どう見ても、出迎えてくれている表情ではないね。
鬼の仕業でボロボロ...ではない
鬼ヶ城の入口にあるのは、観光拠点施設「鬼ヶ城センター」。これが結構立派な建物で、昭和の頃に気合を入れて作りました!という感じです。センター自体は午後4時半まで開いていますが、レストランは午後2時に終了という、コスト意識の高い施設となっています。
そして、その鬼ヶ城センターの向かいには、ボロボロに破壊された「くまの特産品館」が。鬼の逆鱗に触れて襲来にでも遭ったのかと思わせるほどに無残な状態です。
もちろんそれは鬼の仕業なんかではありません。実は今、熊野市は「鬼ヶ城センター複合施設建設事業」に取り掛かっていて、2012(H24)年度完成に向けて工事が進んでいるのです。
そのため、特産品館は仮店舗「鬼の家」として営業していました。こちらも入口で赤鬼と青鬼がお出迎え...じゃないね。番をしていました。
これから生まれ変わるのです!
さて、この昭和を感じさせてくれる鬼ヶ城センターの建物は、1962(S37)年に南海電鉄が建設したものなのですが、現在は熊野市に無償譲渡され、市の建物を民間の鬼ヶ城センターに貸し付ける形で運営がなされています。ところが、今これが問題になっているのです。
鬼ヶ城センター複合施設建設事業は、国の補助を受けて実施されるので、事業実施主体は市または市が出資する法人でなくてはならないため、新たに建設する建物について、今までどおり、全て鬼ヶ城センターに貸し出すことはできなくなるのだそうです。
そこは配慮したうえで、さらに「熊野大花火体感シアター」や「喫茶店」「地域特産品販売所」なども加えて、熊野市の観光玄関口にふさわしい複合施設として整備されるとのこと。
さらに、先ほど恐怖を感じた交差点についても、新たに道路を建設して改善するそうです。なぜそこまで熊野市がこの鬼ヶ城に力を入れるのかといえば、2012(H24)年の熊野尾鷲道路・大泊インター開通までに、観光客の受け入れ態勢を整えたいという思いがあるからでしょう。
市がそこまで力を入れるこの「鬼ヶ城」。どんなところなのかと期待が高まります。
いよいよ鬼ヶ城へ!
前置きがかなり長くなってしまいましたが、いよいよ鬼ヶ城です。
このときは既に陽が傾きつつあり、海岸を見ると、オレンジ色がかり始めた空に、鋭角な岩が黒く突き出ていました。その鋭角ぶりは先端恐怖症の人が思わず目を覆いたくなってしまうであろうほどのもの。一体どういうこと?
もちろんそれは岩が突き出ているわけではなくて、凝灰岩が海の波によって侵食されてしまい、突き出るかのようになってしまっているのです。しかもそれだけではなく、大地震によって地盤の急激な隆起が何度も起こっていて、高さ2~4メートルの崖が6段、階段状になっているのです。
それぞれの段が波によって洞窟状にえぐられているため、出っ張っている部分と凹んでいる部分が何層にも重なって、実に不思議な景観を形成し、トンネル状になっている場所も。そんななかを歩いていきます。
鬼の棲家へ
トンネルを越えてそこに広がる空間に思わず絶句。「千畳敷」です。地震によって隆起した部分と、海蝕によって削られた洞窟、その高さは約15メートル、広さは約1,500平方メートルもあります。
実はここに、鬼がいたというのです。
鬼とは、ここを根城に熊野の海を荒らしまわっていた海賊・多娥丸(たがまる)。
時の桓武天皇の命を受け、そんな多娥丸を退治するためにこの地にやってきたのが、坂上田村麻呂です。彼は征伐に成功し、ここは「鬼の岩屋」と呼ばれるようになったとのことです。
ちなみに、その多娥丸の首が埋められたのが、前回ご紹介した獅子岩が狛犬に見立てられている大馬神社とのこと。残念ながら今回は大馬神社には訪れることができなかったので、次の機会に...。
さて、その多娥丸の話とは別のようですが、ここにいた鬼は人肉を食べるほどに野蛮だったとも伝えられています。人肉って...さすがに、鬼が島でもそんな話は出なかっただけに、ちょっとリアルで怖いですね。
これは...鬼の仕業でボロボロ...だね
リアルで怖いといえば、実はこの先、1キロに渡ってこの神秘的な自然の造形美である岩場を、歩いて散策できるようになっていたのですが、海蝕も現在進行形なのです。
2009(H21)年10月7日の台風18号のよって遊歩道は崩落。この千畳敷より先は通行止になってしまっているのです。普段は穏やかに見える海ですが、時に牙を剥くのです。
でもそれは台風の時だけではなく、こうやって穏やかに見える日でも、突然大波が襲ってくることもあるそうで、鬼は今もこの地に生き続けているのかもしれません。自然は時に本気を見せます。だからこそ、この造形美が存在するわけですが。
というわけで、残念ながらこの千畳敷だけを見て、鬼ヶ城センターへと引き返すわけですが、相方が「良かった~」と胸をなでおろしていました。
なぜなら、もし遊歩道が機能していた場合、1キロ散策をしたうえで、さらにそこから、この駐車場に戻ってこなければならないからです。その戻り方とは、車専用の鬼ヶ城トンネルをさらに迂回して、木本トンネルという歩道用のトンネルを通って、ぐるっと駐車場まで歩かなくてはならなかったのです。
確かに...私もちょっとだけそう思いました。それは台風の姿をした鬼のおかげ...?
鬼は怖い?カッコイイ?
さて、ここには井上靖さんの「鬼ヶ城にて」という詩碑があるのですが、そこには、ここに棲んでいたであろう鬼たちを描写した詩が書かれていて、思わず「カッコイイ!」と思わせてくれるものでした。
稲妻のなかで、2本の角を生き生きとさせ雷鳴の夜を好んだ鬼たち...。
うーん、でもやっぱり、さっきの人肉の話が頭をよぎるなぁ。
雷鳴とどろく暗闇のなか、一瞬光った稲妻に見えた鬼の影。次の瞬間、振り向いた鬼たちが口にしていたものとは...。こ、怖いよぉ。
さて、この鬼ヶ城の山頂には「鬼の見晴台」という展望台や、鬼ヶ城の城跡があります。この鬼ヶ城は時代が下って、室町時代に有馬氏が隠居城として築城したものだそうです。それで「鬼の岩屋」から「鬼ヶ城」へと呼び名が変化したわけですね。でも、そのお城の話よりもやっぱりインパクトがあるのは鬼の存在そのものだよね...。
登ればきっと、夕暮れの熊野灘が見られたとは思うのですが、冷えてきて風も強くなってきていたので、山には登らずに鬼ヶ城を後にすることにしました。
不意な突風で鬼にさらわれても困りますから...。
それにしても、あの千畳敷の迫力はすごかったですね。でも、あまりにもそのスケールが大きすぎました。
相方が、その岩が削られた部分にすっぽり収まった状態で「写真撮って」と言うので、撮ってみたのですが、どう見ても、ただ岩の壁の前に座ってるだけにしか見えないのですよね。もちろん、もっと撮る側の私が引いて引いて...いや、それこそ海に落ちて鬼の下へと旅立ってしまうことになるので...。
神仙洞には神も仙人もいなかったけど、ここには鬼、いるね。