由比パーキングエリア<下り>(静岡・由比町)
東京から名古屋へと、東名高速道路を使って帰る際に必ずと言っていいほど私が立ち寄るのが、静岡県由比町にある由比パーキングエリアです。ここはまさに海岸線にあり、海の潮風が運転の疲れをいやしてくれるとともに、富士山を眺めることができるからです。
由比は旧東海道の時代、難所でした。国道1号や高速道路が走るようになった今でも、由比が難所であることに変わりは無く、悪天候の際には通行止になってしまったり、ひとたび事故が起きると迂回路が無いために大変な事態に陥ります。
由比はあるものに挟まれているから難所なのです。そして今、由比は別のものに挟まれ、姿を変えようとしています。今回はそんな挟まれた由比をレポートします。
東海の親不知とは
片や断崖絶壁、片や荒波の海。その間を通らなければならない道を「親不知(おやしらず)」と呼ぶことがあります。親不知とは、新潟県糸魚川市にある海岸線のことで、山が日本海によって侵食されて形成された断崖絶壁を指してそう呼んでいます。荒れた海と断崖絶壁に挟まれた道を歩く際、その険しさがとてつもなく、親子でさえ親が子に気を配ることができないほどの場所であることを例えていると言われています。(諸説あります)
病気の父親のもとへと親不知を急ぐ母子を、荒れ狂う日本海が飲み込んでしまう「親しらず子しらず」という歌を、学校で合唱したことのある人は、そのイメージが掴みやすいと思います。
親不知は北陸道にある難所。一方、「東海の親不知」と言いますと、焼津市の大崩海岸のことを指しますが、歌川広重の浮世絵に描かれた由比の薩埵峠も、東海道三大難所として、同じように親不知と呼ばれたと伝えられています。
それは昔話ではない
由比にはその昔宿場町が設けられていて、東海道五十三次の16番目の宿場町として栄えました。現在は、歌川広重の作品を展示する東海道広重美術館が建てられ、1,300点以上の版画が展示されています。
東海道線が走り、新幹線が走り、国道1号、そして東名高速道路が走るようになった現代、由比が難所だったというのも昔話じゃないの?と思われるかもしれませんが、そうではありません。
絶壁と海との間に広がる由比の街を走りぬけるこれらの交通網。国道1号はほぼ海抜ゼロメートルの海岸線を走り、東名高速はなんと海の上を走っています。ですから、高波の際にはすぐに通行止になってしまいます。
1996(H8)年8月、トレーラーが横転事故を起こし、東名と国道1号を両方塞いでしまった時には、迂回路が無く、大動脈が完全に絶たれ、壮絶な渋滞となってしまったことがあります。
パーキングエリアもギリギリの形態
東名高速を走ると、由比にはパーキングエリアが設置されています。山側に当たる上り線は普通なのですが、海側にある下り線は独特です。
本線とはガードレールで仕切られているのみで、駐車スペースは縦列。そして施設はトイレしかありません。それは、本線のちょっと太い路肩程度のスペースです。もちろん、パーキングエリアのすぐ南側は海。台風なんかが来た際の様子は、想像に難くないです。
挟まれる由比
昔から、断崖絶壁と海に挟まれてきた由比。それが今、新たなものに挟まれつつあるのです。それは「静岡市」。
由比町の東側には蒲原町という町があったのですが、2006(H18)年3月31日に静岡市に編入されたことにより、静岡市清水区となりました。そのため、由比町は西も東も静岡市清水区に挟まれる格好になってしまったのです。
しかも、その旧蒲原町にあたる静岡市清水区は飛び地となっていて、この由比町が静岡市に編入されれば、飛び地は解消されるのです。まさにオセロ状態。
結局、由比町は2008(H20)年11月1日に静岡市清水区に編入されることで合意となりました。また同時に、由比町のある庵原郡(いはらぐん)に残る、もうひとつの町である富士川町も富士市へと編入され、庵原郡は消滅することとなりました。
荒波にとうとう飲まれた
その昔はこの海岸線で命を落とした旅人がたくさんいたのでしょう。宿場町として難所として、その名を残してきた「由比」。断崖絶壁と荒波に挟まれつつ、生き抜いてきたこの町も、平成の大合併の荒波に飲み込まれることになります。
これにより、静岡市清水区の飛び地は解消されることになります。その影で、宿場町「由比」の名が、そして神話の時代から駿河国に名を残してきた豪族「庵原」の名が、地図の上から消えることになります。
由比は今、親不知ではなく、祖不知になりつつあります。
※10.11.21更新 由比に桜エビを食べに行ってきました!
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