方式はハズレだったけど頑張って運行を続けた-向ヶ丘遊園モノレール

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向ヶ丘遊園跡地(川崎・多摩区)

首都圏のテーマパークの草分け的存在であった、横浜ドリームランドは、高層ホテルを兼ね備え、当時最新鋭のモノレールで遊園地と駅を結ぶという、斬新なアイデアを実行するも、そのモノレールはわずか1年半で運行休止に追い込まれ、その残骸は人を運ぶことなく40年放置され、ひっそりと街から姿を消した…というお話を前回書きました。

そのドリームランドモノレールとほぼ同時期に開業した、もうひとつの遊園地モノレールがありました。それはお隣川崎市の向ヶ丘遊園モノレールです。

川崎市多摩区の向ヶ丘遊園に行ってみます。ただ、もちろん…と言いますか、横浜ドリームランド同様、向ヶ丘遊園も既にその姿はありません。

向ヶ丘遊園の歴史はドリームランドよりも古く、1927(S2)年に開業しています。開園時は豆汽車、戦後は豆電車が隣接の稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)と遊園地を結んでいましたが、ドリームランドモノレールの開業と全く同じ1966(S41)年、その豆電車の代わりに「向ヶ丘遊園モノレール」が開業しました。距離は1.1キロメートルでした。

こちらは開業からずっと欠陥もなく、運行が休止されることはなく、21世紀を迎えようとしていました。しかし…です。

2000(H12)年2月、老朽化により運行継続が難しくなり休止に。そしてそのまま翌年に廃止となり、さらにその翌年の2002(H14)年4月には向ヶ丘遊園自体が閉園と、モノレールの老朽化による不具合発覚から、あっという間に全てが姿を消し去りました。

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かつて向ヶ丘遊園があった場所に到着すると、数年前の横浜ドリームランドの跡地のように、ボウリング場だけが営業を続けていました。このボウリング場のすぐ手前に、モノレール「向ヶ丘遊園正門駅」がありました。現在も遊園地の正門の一部が残されており、小田急電鉄の現場管理事務所となっています。

向ヶ丘遊園の跡地は、公園、文化施設、共同住宅、事務所、店舗などに姿を変える予定になっていて、約850戸がここで緑に囲まれながら生活することになる見込みです。工事の着手予定日が2009(H21)年で、完了予定日は2013(H25)年と実現はまだまだ先のことです。

向ヶ丘遊園の入場口にあった、花の大階段は今もその姿を確認できます。この遊園地は花と緑が溢れていたのが特徴であり、当時のばら苑は、生田緑地の一部として残されています。

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では、モノレール橋脚の姿があった頃の写真を見ながら振り返ってみます。ドリームランドモノレールは東芝製の跨座式でしたが、こちらは川崎重工などが出資した、ロッキードモノレールのロッキード式。そう、あのロッキード事件のロッキードです。ロッキード式は鉄製のレールを鉄の車輪で走るものです。

ドリームランドモノレールと同時期建設でしたが、明らかに橋脚の立派さが違います。しかし、ずっと現役で走ってきたとはいえ、やはりその古さは隠せず、錆が目立っていました。

ちなみに、ドリームランドモノレールの東芝式は、コンクリートレールを空気の入ったゴムタイヤで走るものでした。

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現在、その跡地のほとんどは「ばら苑アクセスロード」として歩けるようになっていますが、向ヶ丘遊園駅前の跡地は自転車置き場となっています。当時はビルの谷間を通っていく姿が印象的だったとのこと。

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このモノレールは、老朽化による不具合が運転休止の引き金となったわけですが、なぜ修理されなかったのか。もちろん、この遊園地の集客自体が悪化していたというのもありますが、ロッキード式であったことが命取りになったようです。

ロッキード式モノレールは、航空機の技術を生かして開発され、岐阜県で試験を行い、この向ヶ丘遊園モノレールで華々しくデビューし、その後姫路博のアクセス交通として、姫路市営モノレールに採用されるのですが、採用されたのはそのわずか2箇所のみ。

すると、外国の会社というのは、あっさり手を引くものです。

ロッキード社はモノレール事業そのものから撤退し、日本ロッキードモノレールも解散。

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姫路市営モノレールは利用客離れもあり、補修部品の調達が困難になったとの理由で、その日本ロッキードモノレールが解散した1974(S49)年に休止。そのまま廃止されてしまいます。

向ヶ丘遊園モノレールは、その後もなんとか運行を続けましたが、老朽化による不具合が発覚した時、既にメーカーが無くなって25以上年が経過しており、結局、修復の術を失ってしまっていたことが、廃止への引導となりました。

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向ヶ丘遊園の駅前にポッカリと空いた空間。かつては、ビルの間を申し訳なさそうにモノレールがすり抜けていったそうですが、何も無くなった今、その空間は意外と大きく感じます。

最先端のものに飛びつきたくなるのが世の常ですが、そのためには、それが主流として将来的に残るものなのか、見極める力が必要だということですね。いわば、向ヶ丘遊園モノレールは、ベータのビデオデッキを買ってしまった新しい物好きのオジさんといったところでしょうか。

でも、向ヶ丘遊園モノレールは34年間走り続けた実績があります。

初期不良、いや、設計と実物が違ったという、偽装のモノレールを掴まされた横浜ドリームランドよりはマシだったといえるでしょう。

では、モノレール界のVHSとは?それは名古屋近郊で今も走り続けています。それを見に行く前に、過去の話ばかりではなく、現在から未来へと続くはずの新しいモノレールに乗ってみることにします。川崎市から程近い、東京都多摩市へ。

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取材協力

KAZ Communications ♣ MyFM 883
 

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コメント

  1. 幻灯機 より:

    名古屋近郊のモノレール……まさか犬山のでは。
    今朝、廃止決定のニュースが流れていました。
    (2007/12/18 2:21 PM)

  2. トッピー@管理人 より:

    >幻灯機さま
    続けて読んでいただきますと、犬山のモノレールも出て参りますので、ぜひ読んでくださいね~。
    (2007/12/19 2:10 AM)

  3. 愛河リエイ より:

    まちづくりの参考にしたいとずっと読んでいたのですが、すごく懐かしい景色がありましたのでコメントさせていただきます。
    自分は2007年から2008年まで上京していたんですが、住んでいた場所はこの向ヶ丘遊園でした(地元では遊園と略して言うんで以下遊園の表記にします)
    そのときにtoppyさんが遊園に来られていたとは。「立派な橋脚でした」の写真のすぐ近くのアパートに住んでいたので懐かしいんですが、
    橋脚がある写真はどこか違和感も感じます。
    1年しかいませんでしたが遊園という街はとても住みやすかったと感じています。
    モノレールが運行されていればきっと乗ってたんだろうなぁ。
    そんな自分が住んでいた2007年から数年たった現在、ボウリング場があった場所は藤子・F・不二雄ミュージアムになっているそうで、どんどん時代は変わっていってるのだなとも思います。
    いろいろ上京時代を思い出してしまいました。取材お疲れ様です。

  4. 匿名 より:

    >愛河リエイさま こんにちは
    いつもサイトをご覧いただきありがとうございます。
    そうですか、この記事を書いた当時に、
    向ヶ丘遊園にお住まいだったのですね!
    藤子・F・不二雄ミュージアムについては、
    東京のメディアが大きく取り上げていましたね。
    鉄道に関して、一悶着あって水を差されたところはありましたが、
    この街に賑わいがまたやってきそうですね。
    街は変わっていくからこそ、
    その都度、記録として残しておく意味があると思いますので、
    これからも、いろいろと残していこうと思っています。

  5. タクロウ より:

    僕は幼少の頃、親戚の方と一緒に向ケ丘遊園地に行ったのを今でも思い出します。駅からのモノレールに乗ったのが懐かしいです。今は亡き母方の祖母と一緒に向ケ丘遊園地に行ったのを忘れることはありません。2002年に閉鎖され、今は藤子・F・不二雄ミュージアムが出来てしまい、完全予約制となってるので事前に券を買わないと入ることが出来ません。

  6. >タクロウさま コメントありがとうございます
    モノレールに乗られたことがあるんですね!うらやましいです。
    藤子・F・不二雄ミュージアムになって、また風景もこのレポート当時とも
    すっかり変わってしまっているのでしょうね。

  7. こぼ より:

    現在娘が向ヶ丘遊園の近くで大学生活を送っています。
    初めて遊園の駅前に行った時、細長い自転車置き場になんか違和感を覚えたものです。
    モノレールの跡地だったなんて本当に目から鱗、妙に納得できました。
    遊園周辺は治安も良く、娘を割と安心して、住まわせておくことができています。
    とてもいい街ですね。
    卒業して何年かして、とても懐かしいと感じる街になること
    でしょう。
    とてもいい街ですね。

  8. トッピー@管理人 より:

    >こぼさま コメントありがとうございます
    娘さんが住まわれているのですね。
    街の雰囲気がすごくいいところなのは、私も行って感じました。
    たくさんの思い出ができるといいですね。

  9. すぎたま より:

    はじめまして。すぎたまと申します。
    小田急のモノレール廃止の本当の理由は、まあ、老朽化と言えばそうなのですが、定期検査で台車に致命的な亀裂が発見され、その修理を川崎重工とともに検討はしたようなのですが、直接的な修理費がおおよそ2億円、桁の耐震補強などを考えると、6億円程度の経費が見込まれ、輸送自体が既に赤字運行であったこともあり、運行再開が断念されたのが真相です。
    その後姫路モノレールの車輌が2輌解体されたので、時期が合っていれば、もしかすると台車を譲受出来たかもしれず、それも残念な結果に終わっています。
    導入時の経緯は、ロッキードモノレールの試作車を購入するのが「安上がり」だったためで、豆汽車を廃止しなければならない理由が、国道の拡幅に関連してなので、小田急としても遊園地へのアクセスを確保しなくてはならず、安価に急いで、ということから、走行路の保守に、在来鉄道の技術が応用できることもあり、ロッキード式の選択は、やむを得なかったと思われます。当時は、モノレールがもてはやされた時代でしたが、どれが生き残るかまでは、誰も予想できませんでした。そのため「見極める力」など、誰も持っていなかったと思います。
    モノレールが廃止となったあとも、しばらく向ヶ丘遊園では、キャラクターショーなどがきちんと開催されていました。
    モノレール線に乗車したこともありますが、かなりな騒音でしたから、周辺住民としては少々辛いものがあったかも。冷房化が困難なこともあり、遊園地を存続させるとしても、早晩なんとかしなければならない問題ではありました。なお、「トレインシミュレーター」というソフトの、「小田急5000形」というものに、モノレール線の走行時の車内風景が収録されています。
    長文失礼いたしました。

  10. トッピー@管理人 より:

    >すぎたまさま コメントありがとうございます
    情報ありがとうございます。騒音がそれほどまでとは
    写真や資料ではなかなか伝わってこない部分ですね。
    ありがとうございます。

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