中川区[8] 昭和橋
しじみにかまぼこ-蜆橋
中川運河沿いを中野橋からさらに南へと歩きます。すると、それまでは運河の両側だけに倉庫が立ち並ぶ景色だったのが、蜆橋付近から東側に工場や物流基地が広がるようになります。
▲中川運河西側。大きな物流倉庫が並びます
その蜆橋に「この先220mかまぼこ型踏切・大型トレーラーは進行できません」という標識がありました。かまぼこ型踏切とは、線路と道路の交差している部分がかまぼこのように盛り上がっているもので、段差ができてしまっているものです。
▲蜆橋から南、昭和橋方向を臨みます
普通の車でも底を擦る可能性があります。しかし、大型トレーラーはここでそう言われてもUターンできそうな場所は無さげだったので、蜆橋の予備知識として知っておく必要があります。大型トレーラーの運転手の方は蜆汁にかまぼこあり。とぜひ覚えて下さい。
▲蜆橋から北、中野橋方向。遠くにツインタワーが見えます
工場跡地にオシャレな住宅街-昭和橋・八剱社
すると、何か工場が撤退して大きな敷地が空いたのか、鉄工所や倉庫に囲まれた一角に新築住宅の小さな分譲団地が形成されていました。
確かに、ちょっと頑張れば地下鉄名港線の六番町駅やあおなみ線の中島駅にも歩いていくことができる良い立地条件ですが、鉄の香りが好きな人で無いと苦労するかも知れません。この近くの工場に勤めていらっしゃる方だったら至極便利かな。でも家に帰っても仕事の気分が抜けないか。
▲こ・お・ば・し・い香りがする新築住宅と鉄工所
蜆橋の南側にあるのが昭和橋です。この上を通るのは国道1号ですが、中川運河から一色大橋のある庄内川までを昭和橋通と呼ぶほどランドマークになっている橋です。
その昭和橋から東に一本目の道路を北に歩いたところにあるのが八剣社です。八剣社は熱田大神を祭神としていて、熱田区から続く熱田新田の守護神として鎮座させたものです。
▲移動図書館がたまにやってくる八剣社
創建は1730(享保15)年で、10度の社殿修復を繰り返し現在の社殿は1872(M5)年に建てられたものです。参道は今も昭和橋通まで草に覆われながらも続いていて、国道1号沿いに鳥居もあります。熱田区の熱田新田編で熱田新田は33に分割され番号が地名になったというお話をしましたが、八剣社のある八剣町から南はその地名が残されています。
▲八剣社の参道は国道1号まで続きます
十一番町の十一番龍神-八剣神社
▲昭和橋公園の本園。小さい公園はそのうち開発されるのかな
八剣神社の東は十番町、そして南は十一番町です。ちなみに熱田区は八番町までで、九番町はさらに南の港区となり、港区内には南十番町と南十一番町があります。しかしその古くからの地名はそこで終わっており、十二番以降は現存しません。
その十一番町には昭和橋公園と八剣神社があります。昭和橋公園は元は大きな公園だったようですが、現在は宅地などになっている部分があり、複数の箇所に点在する格好になっています。
▲十一番白龍社もある八剣神社
また八剣神社には白龍社があり、かつてここにあった十一番池にいた白龍が祀られています。池の名前も十一番だったのですね。周辺には町工場が立ち並び、東を臨むと港へと続く臨港貨物線、あのナゴヤ球場正門前駅があった線路の高架が見えます。その高架から東は熱田区です。
▲臨港貨物線の向こうは熱田区。写真は熱田区から十番町を見ています
デザイン博を忘れるな・いろんな意味で-八家神明社・太平通
▲十一番町から昭和橋を臨みます。片側3車線
八剣神社から南へ300メートルほど行くともうそこは港区なので、国道1号に戻り昭和橋を渡って昭和橋通を西へと歩きます。橋を渡り、3本目を右に曲がってしばらく歩くと八家神明社があります。
▲クロマツの存在感が大きい八家神明社
八家と書いて「やつや」と読みます。熱田神宮と八剱社、秋葉社を祭神とし、徳川家斉時代の1810(文化7)年頃に創建されたと伝えられています。社殿の前にある大きなクロマツは存在感があります。その八家神明社から西に歩くと環状線にぶつかります。
▲八家公園ではたくさんの親子が遊んでいました
環状線沿いにはヤマナカアルテ太平通店があります。その南側に地図の看板があったので、手元の地図と行程を確認しようと見て驚きました。その地図には、「デザイン博白鳥会場」が今も存在しているのです。
あれからもう15年以上の月日が流れました。誰も直そうという気がなかったのか、それともこの地図看板の存在自体が忘れ去られているのか。でも、私にとっては役に立ちました。地図看板さん、少なくとも私はあなたに出会えてよかった。
あなたに存在価値はあります。まだまだこれからいいことあるさ。字も全体的に薄くなって見難くなって来てるけど…。でもなぜか「デザイン博白鳥会場」の文字だけはくっきりと残っていました。看板は訴えたいのかもしれません。デザイン博のことを忘れるな…と。
▲デザイン博白鳥会場という文字だけがくっきり残ります
尾張小牧ナンバーの悲哀-中部陸運局愛知陸運支局
その看板のはす向かいにあるのが、中部運輸局愛知陸運支局です。ここで名古屋ナンバーが交付されます。
ちなみに、愛知県内には「名古屋」「尾張小牧」「三河」「豊橋」と4つのナンバーがありますが、名古屋はこの愛知陸運支局の担当。
▲名古屋ナンバーを交付する、愛知陸運支局
そして尾張小牧は小牧自動車検査登録事務所、西三河は西三河自動車検査登録事務所、豊橋は豊橋自動車検査登録事務所の担当となっています。
全国的には田舎物扱いされる名古屋ナンバーですか、この東海地区ではそれなりのステイタスを持っています。そこで納得できないのがナンバーの管轄区域です。
東三河が「豊橋」、西三河が「三河」なのはいいのです。尾張北部が「尾張小牧」が尾なのも全然構いません。しかし、海部郡、津島市、愛知郡、日進市、豊明市は尾張地域でしかも名古屋市でないのになぜ名古屋ナンバーなのでしょうか!
いけないいけない、心を落ち着けて…。まあ名古屋市に近いということで大目に見ましょう。それよりも解せないのが知多半島です。
東海市、大府市から南の知多半島。あそこは先端まで名古屋ナンバーです。いや先端どころか、その先にある離島、篠島、日間賀島までもが名古屋ナンバーです。知多半島は百歩譲ってもその先の離島まで名古屋だなんて…。
以上、「びっちょこまき」と名古屋っ子に馬鹿にされ、全国で唯一四文字のナンバープレートであり字が細いことで笑われ、旅先では「それって北海道?」とまで言われたことのある、「尾張小牧」ナンバーをつけ続けている私の叫びでした。せめて「尾張」でいいじゃん。どうして「尾張小牧」なの?
実は、ナンバープレートというのはその陸運支局や自動車検査登録事務所の名前をつけなければならないという規定があるのです。
だから本来は小牧自動車検査登録事務所で「小牧」となるはずだったのが、周辺にあった小牧よりも大きい一宮市や春日井市の反発に遭い、妥協の産物が「尾張小牧」なのです。
規制緩和で今後はさらにナンバーの地域を細分化し、地域色豊かな名前も認める方向で話が進んでいます。ですので「尾張小牧」が変わる可能性は大です。しかしちょっと待ってください。陸運支局の名前を使うことという規定があるって、愛知陸運支局なのに名古屋ナンバーなのはOKなのですか。そうですか。
もういいよ。尾張小牧はこれからも尾張小牧のままで。実は愛着あるし。
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