13.緑区 名古屋を歩こう

鯱を乗っけてるわけではありません

記事公開日:2005年10月20日 更新日:

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 今回は東海道五十三次、40番目の宿場町である鳴海宿を歩きます。鳴海宿の東と西の端に設けられた常夜燈は今も両方残されており、宿場町が約1.5キロに渡って続いていたことを知ることができます。今川方に最初に寝返った根古屋城(鳴海城)、桶狭間の戦いで信長が奇襲作戦に入る際に集結した善照寺砦跡もこの界隈にあります。では、鳴海宿の東入口へ、名鉄名古屋本線左京山駅を下車して歩きます。

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▲今回は名鉄左京山駅から出発。

 左京山駅から国道1号を西へ歩きます。大高緑地公園を通り過ぎると鳴海町平部という交差点が登場します。この交差点から右へ行くと鳴海宿入口。左へ行くと緑区役所があります。鳴海宿へ行く前に、この交差点左側にある諏訪社に寄ります。参道は細く、小さな神社かと思いきや、細い参道を歩いていくと急に視界が開け、鳥居と森が現れます。この森、平部山全体が諏訪社です。諏訪社の創建は不明ですが、鎌倉時代には既にここにあったといわれています。現在は鳴海宿のなかにある瑞泉寺が、かつてはこの場所にあったのですが、瑞泉寺が鎌倉時代に建てられた際、既に諏訪社はここに祀られていたそうです。諏訪社は野鳥観察ポイントとしても知られており、メジロやシジュウカラ、ヤマガラなどを見ることができます。現在の社殿は1936(S11)年に造営されたものですが、かつての社殿も現在は社務所として残されています。

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▲平部交差点から続く、諏訪社の参道。
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▲諏訪社の森には野鳥がたくさん。
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▲こちらは現在の社殿。かつての社殿も社務所として残っています。

 では今度は、鳴海町平部の交差点を右に曲がり、鳴海宿へと向かいます。名鉄名古屋本線を越え、手越川を越えると旧東海道が横切る平部北交差点にぶつかります。その交差点の南西角には、鳴海宿の東入口を示す常夜燈が残されています。設置されたのは1806(文化3)年。旅人の目印であるとともに、宿場の安全と火災厄除を祈願したもので、「秋葉大権現」「宿中為安全」と文字が刻まれ、さらに「永代常夜燈」「文化三丙寅正月」ともあります。東海道中でも有数の常夜燈といわれ、宿場町の面影を残しています。旅人気分で宿場町に入ります。

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▲手越川と新しい名鉄の高架。
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▲鳴海宿東入口の常夜灯。
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▲ここから鳴海宿が始まります。

 道路は細く、当時の東海道のままと思われます。古い建物もたくさん並んでいます。有松のように観光地化はされておらず地味な印象を受けますが、逆にこれが、当時のままの雰囲気を残しているのかなという感じもします。もちろん、道路は舗装されているので当時のままのわけはありませんけどね。毎年10月に開催される鳴海祭では、この宿場町を9つもの山車が曳きまわされます。夜には提灯が灯され祭りはさらに盛り上がります。

 東入口の常夜燈から200メートルほど歩くと、右側に金剛寺があります。1760(宝暦10)年に行者堂として創建されたお寺で、本尊は行者菩薩です。1942(S17)年に瑞泉寺の和尚によって開山され、行者堂から金剛寺と改称しています。明治時代に作られた鳴海焼の十六羅漢像が寺宝として収められています。金剛寺の近くには仏壇店があるのですが、こんな張り紙がしてありました。「お経もCDの時代です。」...。うーん。これは商売敵ということになるのでしょうか。近くには飛脚の絵が掘られた石のオブジェも置かれています。

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▲行者菩薩を本尊とする金剛寺。
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▲路面が綺麗に整備されている辺りには、
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▲飛脚の絵が掘られた石碑も置かれていて、少し観光化されています。

 旧東海道は扇川とぶつかります。扇川は西側で手越川と合流しています。この合流地点には、今は全く面影が無いのですが中島砦がありました。中島砦は、1559(永禄2)年に織田信長が今川義元の侵攻に備えて築いたもので、桶狭間の戦いでは梶川平左衛門尉一秀を守将として、今川軍と戦いました。1927(S2)年には記念碑も建てられているのですが、現在は面影が無いどころか、私有地、しかも普通の家の庭先になっているので、思いを馳せるのも困難ですし、碑を見つけるのも困難です。所有者のご厚意で碑の見学は可能です。

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▲手越川と扇川の合流地点。
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▲このあたりに中島砦がありました。(正確な場所は合流地点の南西)

 中島橋で扇川を渡ると、左手に瑞泉寺が現れます。1396(応永3)年に根古屋(鳴海)城主安原宗範が創建、かつては瑞松寺といい、先程の諏訪社の場所にありました。1501(文亀元)年に現在地に移り、堂宇は1755(宝暦5)年に鳴海の豪族下郷弥兵衛の援助によって完成しました。山門を見ると上に鯱のようなものが乗っかっています。やっぱり名古屋だから...ではありません。この山門は、京都宇治にある萬福寺の総門を模したもので、三間一戸重層四脚門の黄檗様式となっています。ということで、門の左右に乗っかっているのは鯱ではなく、摩伽羅という伝説の生き物です。この門は1957(S32)年に愛知県指定文化財となっています。

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▲かつては諏訪社の場所にあった瑞泉寺。
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▲山門の上に何かいますね。
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▲名古屋城をインスパイした鯱かと思ったら、摩伽羅でした。

 さらに歩いていくと、平岩病院のところで道路は直角に曲がっています。これは「曲の手」と呼ばれるもので、かつて宿場町では見通しを遮断するために意図的に角を設けていました。ここにはかつて問屋街があったからだと思われます。今もこのあたりには和菓子店や手芸店などお店が集中していて、かつては鳴海町役場がここにありました。そして名鉄鳴海駅が設置されるのです。ここを北に上がると浄泉寺、万福寺といったお寺があるのですが、それは善照寺砦跡、鳴海城跡をまわる時に見ることにして、角を南に曲がって鳴海駅へと出ます。

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▲鳴海宿はまだまだ続くのですが、ずっとまっすぐではありません。
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▲ここが曲の手。わざと直角に曲げられています。

 手越川と合流した扇川を越えると名鉄鳴海駅が見えます。その前に、川のほとりに浅間社があるので見てみます。創建は不明ですが、1737(文化2)年に鳴海八幡宮の御旅所となった浅間堂がここにあったという記録があることから、それ以前と考えられていて室町時代という説があります。境内には秋葉社も合祀されています。手書き、手作りの案内看板がいい味を出しています。

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▲鳴海駅の北側にある浅間社。
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▲浅間社は扇川の川沿いにあります。

 名鉄鳴海駅です。構内には馬の絵が描かれたモザイクタイルがあります。駅前にはビルがあり、駅にも大きなバスターミナルがあるのですが、どこか寂しい感じがします。ビルには英会話教室や美容院、喫茶店が入っているものの、その古さからレトロな雰囲気が漂っていますし、人影がありません。かつて宿場町として栄えた鳴海。その繁栄は高度経済成長時までは続いたものの、車社会が急速に進んだ名古屋では駅の周りに人が集まらなくなり、朝晩のラッシュ時を除いては、今は静かな時間が流れています。有松のように観光地化をして、駅前にショッピングセンターを作れば人は集まるかもしれませんが、往年の宿場町風情が漂う今のままの鳴海であり続けて欲しい気もします。

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▲大きなバスターミナルのある鳴海駅。
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▲昼間の鳴海駅は静か。

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