緑区のなりたち
緑区プロフィール
名古屋の新参者
緑区は名古屋市南東部一帯に広がり、港区に次いで面積が広く、地図上では大きな存在感を示しています。しかし名古屋市に編入されたのは、1963 (S38)年から1964(S39)年にかけてと最も遅く、よく市外扱いされる守山区よりも遅い新参者で、区自体の存在感が大きいとは言えない状況です。
北側は農業が盛んな天白区と接し、西側は閑静な住宅街の南区に繋がります。東側には東郷町、豊明市、南側には大府市、東海市があります。市境では、一歩名古屋市外に出ると道路の舗装が悪くなり、緑区が名古屋市であることを思い出させます。
鳴海・大高・有松
緑区の区域は、北半分が愛知郡鳴海町、南半分のうち西側が知多郡大高町、東側が有松町でした。まず1963(S38)年4月に鳴海町が名古屋市と合併し、緑区が発足しました。
そのまま鳴海区という名称案もあったのですが、翌1964(S39)年12月の大高町、有松町との合併が既にこの時決まっていたため、緑豊かであり、将来の宅地化において印象の良い名前をとのことで「緑区」と命名されました。他に候補として「東南区」「南東区」「愛知区」などが挙がっていました。
地下鉄の建設と名鉄の高架化とJR新駅
緑区は現在も開発途中で、区画整理も未だ済んでいないところが多く、旧地名の鳴海町、大高町、有松町といった地名が散見されます。
JR東海道本線と名鉄名古屋本線が区の南側には通っているものの、地下鉄は未だ開通していません。渋滞の原因となっている名鉄名古屋本線は高架化工事が南区よりも先に進んでいます。
JR東海道本線には、新規の宅地造成とともにもうひとつ駅を設置する計画も浮上し、地下鉄桜通線を野並から徳重まで延伸して緑区北部の利便性を高めるなど、交通にまつわるたくさんの整備計画があり、まだまだ宅地造成が盛んに行われ、現在は人口のトップ争いを中川区と繰り広げていますが、将来的には単独トップとなることが予想されます。
緑区のみどころ-宅地開発はいよいよ完成の段階へ
東海道の宿場町、鳴海宿を中心とする鳴海町の区域は東西に広く、東側は比較的古くから宅地開発が行われていますが、旧宿場町には常夜燈が残り、それより昔の古墳や貝塚、松尾芭蕉自筆の碑も残されています。
東側には今でもたくさんの緑が残されており、ゴルフ場もあるほどです。徳重から神の倉にかけては新しい住宅街で、地下鉄の延伸によりさらに人気が集まるものと思われます。ただ、新しい住宅街ゆえの問題も発生しています。
東海道から感じられる歴史的な風景
東海道の茶屋集落だった有松は、名古屋市街並み保存地区第1号に指定された、白壁、格子造りいった昔ながらの街道風景が残されています。その有松と鳴海で伝統産業として伝えられているのが「しぼり」です。
絞り染めのひとつである有松絞りは、元は茶屋と農家の副業として始められたものでしたが、東海道を伝わり人気となり、現在では海外でもその名が知られるほどになりました。有松鳴海絞会館では技法や資料を見るだけでなく製品を買うこともできます。また、有松には3台の山車も残されており、3台が交互に展示されています。
有松の南にある桶狭間は、織田信長と今川義元の古戦場としてあまりにも有名です。ただ不思議なことに古戦場がふたつあるのです。戦いが本当にあったのは緑区内なのかお隣の豊明市なのか、地元の方にお話を聞いてみました。意地がぶつかりあい今も戦状態です。
戦国時代から神話の世界まで
緑区の南西一帯に広がる大高では、桶狭間の戦いの際に今川義元の支配下だった大高城址や、日本武尊と結婚をした宮簀媛命が住んでいた屋敷のあった氷上山、そして名古屋の子ども達に必須の知識を英才教育(?)する大高緑地公園も見ておきましょう。他にも緑区には、名古屋の放送史を語る上では外せない施設跡もあります。
緑区で、いろんな時代を行ったり来たりする歴史散歩です。時代の移り変わりが激しいので、頭を切り替えるのが大変かも知れません。タイムマシンに乗ったつもりで散歩します。
MAP
プロローグ 1.中京競馬場前 2.桶狭間 3.武路 4.有松 5.大高緑地 6.大高南 7.丸根・鷲津 8.大高北 9.大高城址 10.氷上山 11.鳴海宿東 12.鳴海城址 13.鳴海宿西 14.千鳥丘 15.伝治山 16.ほら貝・篠の風 17.滝ノ水 18.徳重 19.神の倉
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