04.北区 名古屋を歩こう

清水の名は昔の名残ではない

記事公開日:2004年5月5日 更新日:

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一つの本殿に二つの神社-神明社・八幡社

 では、尼ヶ坂から名鉄瀬戸線の隣の駅である清水駅までを少し遠回りして歩いてみます。名鉄の高架下を西へと歩くと、スーパーナフコの手前に大きな道路があるので、そこを右折して北へ向かいます。すると、大杉小学校が右手に見えてきます。そうして、あれ?突き当たりかな?と思うと、それまでの道路が一変して自動車がすれ違うのが困難な細い道になり、古くからの住宅街といった趣になります。するとその景色に溶け込んだ神社が見えてきます。

 この神社は八幡社と神明社の合殿という全国でも珍しい神社で、旧村社です。本殿はひとつなのですが、神明社は国常立尊を祀り1630(寛永7)年に創設、八幡社は譽田別尊を祀り1552(天文10)年に小幡越の岡の上に建てられていたのを、1906(M39)年にここに移され合殿となっています。一緒の敷地内に複数の神社が同居していることはよくありますが、同じ本殿に二つの神社というのは面白いですね。ひょっとすると2倍ご利益があるかも。

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▲大杉町を横切る大きな通りです。曲がると急に細い道。
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▲八幡社と神明社と合殿です。ご利益も2倍?

まるでライオンの子育て-捨橋

 その八幡社から西に出て、突き当たりを右に曲がり北へと少し歩きます。そして初めての四叉路、今そこには何も面影がありませんが、かつてここには橋があったそうです。流れていたのは西行川。川は1937(S8)年に埋め立てられてしまいましたが、橋があった当時は言い伝えがありました。それはこの橋から子どもを一度捨てて、拾うと健康に丈夫に育つというもので、橋の名は「捨橋」でした。今も橋の一部は先ほどの八幡社の境内に残されています。言い伝えから、浅く流れもゆっくりな川だったことが想像できます。もし激流だったとしたらまるでライオンですね。流れに耐えられたものだけが生き残る...まさかね。

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▲かつてはここに川が流れ、子どもを流しました。

 そしてこの捨橋跡から西側が「清水」です。少し歩くと片側2車線の大きな道路があります。清水界隈は静かな住宅地で、車が通れないような道の横に神社があったりするようなところです。しかし一歩国道41号、通称空港線に出ると上には名古屋高速が走り、大きなインターがあったりとその風景の違いに驚かされます。国道は名古屋と富山を結んでいて、名古屋高速は小牧と大高を結んでいます。都心と郊外を結ぶ道路の交通量は多く、南北が片側3車線でありながら、清水付近だけは車線に減っている場所なのでいつも混んでいます。それでも周囲の風景を見ると、よく2車線道路を確保したなと思えるところです。

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▲国道に出ると急に喧騒に包まれます。黒川インターです。

芭蕉が句会を開いた草庵-解脱寺

 その国道を南に歩き、清水4丁目の交差点を越えると左側に解脱寺があります。このお寺は栄3丁目「若宮大通編」で訪れた白林禅寺の末寺です。白林禅寺は犬山城主成瀬家代々の菩提所だったのですが、成瀬家が二代目正虎の頃、不祥事を起こしてしまった家臣が白林禅寺に救いを求めてかけこみました。正虎の要求に対し、住職の全用和尚は家臣を絶対に渡さないとしていたのですが、正虎は和尚を騙して家臣を手討ちにしてしまいます。和尚は怒り、故郷の上州(群馬県)に帰ってしまったそうです。その後正虎はこの一件を後悔し1657(明暦3)年、荒れ果てていた薬師堂を再建し、解脱寺と名づけたのでした。その約30年後の1688(元禄元)年には松尾芭蕉がここで句会を開き、「粟稗に 貧しくもあらず 草の庵」という句を残しています。今もその句碑はこの解脱寺に残されています。句の意味は、「粟稗の豊かな実りが眺められるこの草庵は、貧しいどころか静かでいい住まいである」というもので、当時からこのあたりは閑静なところであったことがわかります。ただ、今は西側の国道だけは静かでなくなってしまいましたが。

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▲解脱寺です。白林禅寺の和尚の怒りは収まったでしょうか...。
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▲芭蕉の句碑です。畑はもうありませんが、東側は今でも静かです。

くじで移転場所を決められた神社-八王子神社

 解脱寺から南東方向、西杉公園の近くにあるのが八王子神社です。元々は那古野庄今市場、現在の水資源開発公団(中区三の丸)の場所にあった若宮八幡宮の中にあったのですが、1610(慶長15)年名古屋城築城の際に、名古屋東北の護としてここに移されています。場所はくじで決められたそうです。古来、特に子どもの守り神として多くの人の信仰を集めています。現在は敷地内の春日神社とともに本殿建設工事が行われています。昔はここでお祈りをして、川に子どもを一度捨てれば健康に育つこと間違いなし、だったわけです。

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▲八王子神社は現在工事中です。子どもの守り神。

ちゅうしんで叫んではいけません-中日信用金庫・enfant

 国道に戻り南の方向に歩いていきますと、中日信用金庫の本店があります。近代的な綺麗なビルです。中日信用金庫は略して「ちゅうしん」と呼ばれているのですが、「いつもあなたのちゅうしんに」なんていうコピーが...。少し涼しくなったところで、そのちゅうしん本店の北側にはものすごく古そうな建物があります。しかしそこには外観に似合わない可愛い小熊のイラストがあります。しかし店が開いている雰囲気がありません。看板を見ると「enfantフランスの子ども服屋さん」とあります。ここは品揃えにこだわった子ども服やさんだそうで厳選したものを販売しているそうです。ただ営業が土日の正午から午後6時までということなので、ひょっとしたら副業でされているのかも知れませんね。ということは、儲けにとらわれず本当に良いものを安く販売されているのかも知れませんよ。ただこの時は開いてなかったので何とも言えませんが、看板にある羽の生えた熊が妙に可愛かったので気になりました。

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▲中日信用金庫本店。ちゅうしんの中心。
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▲子ども服屋さんのアンファン。建物は看板に比べ古いです。

清水で酒造り-白龍酒造

 そして中日信用金庫の南へ2本行ったところを左に入ると昔ながらの造り酒屋さんという風情が漂う建物があります。ここは白龍酒造株式会社の本社で、現在もここでお酒を「白龍」ブランドで作っています。お酒作りには綺麗な水が欠かせません。ここの地名は「清水」、その名のとおり綺麗な水が沸くのでしょうか。以前は志水と呼ばれていて、その名は弘法大師がつけたものです。弘法大師はここを通りかかった時、地元の人が湧き出ていた清水を汲み取っていたのを見てそう名づけたのでした。七尾天神には「東区白壁編」で訪れます。その名のとおり昔からここでは良質の地下水が湧き出ていて、現在もその水を使って白龍は製造されています

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▲白龍酒造です。昔ながらの酒造蔵という感じです。

 白龍は製造に大変こだわっていて、米は山田錦の酒造好適米を使用して、精米歩合も商品によって40~65%まで磨きあげているとのこと、創業以来150年純米酒にこだわっているそうです。インターネットでも通販しています。商品はコスト削減のために絞られていて、純米酒と純米大吟醸があります。大吟醸はさらにこだわり、半田市で湧き出るさらに良質の水を使用しているとのことです...。

 清水の水よりも半田の方が良いということですね...。

 いや、それでも純米酒にできるほどの水が都心の近くで湧き出ているのですから、いかに名古屋が水の美味しい街であるかということがわかります。清水で今も水が湧き出ているとは知りませんでした


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