おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信

世界に広がる名古屋調味料

記事公開日:2004年6月19日 更新日:

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MADE IN NAGOYAが隠れてる

 前回は名古屋の食品企業を紹介しました。美味しいだけでなく健康やミニスカートなど付加価値を付ける企業が多いことがわかりました。ところで、前回は井村屋製菓が食品パウダーを製造しているという話題を取り上げましたが、それを専業にしているのが知多郡武豊町に本社を置くユタカフーズです。液体から粉末までさまざまな風味調味料が作られています。「赤いきつね」と「緑のたぬき」でおなじみのマルちゃん・東洋水産の受託製造を行っているので、あなたが食べているマルちゃん製品はひょっとすると名古屋の味かもしれません。他にもユタカフーズは醸造技術を生かした様々なつゆやたれを製造しています。

 醸造と言えば、「名古屋と言えば味噌」というイメージは全国的にありますよね。名古屋名物にも味噌煮込みうどん、どて煮(どて焼き)、みそかつ、みそおでんなどなど赤味噌を使ったものは数多くあります。もちろん名古屋には多くの味噌メーカーがあるのですが、他にも調味料で全国に販売網を持っているメーカーがあります。

外国人に読みやすいロゴマークの必要性

 2004(H16)年6月、愛知県半田市に本社を置くミツカンは、それまでのカタカナ表記を辞め「mizkan」とアルファベット表記に改めました。デザイン面と外国人の発音のしやすさを考慮して、「ツ」を「tsu」ではなく「z」と表記することになりました。ミツカンといえばお酢のメーカー。外国人の発音に配慮する必要があるのでしょうか。

 昔、お酢はお米から作られるものでした。その頃ミツカンの初代中野又左衛門は、酒蔵を営んでいました。しかし、お酒を作るとどうしても酒粕が大量に発生します。全て廃棄処分していたのですが、何とかそこからお酢を作ることはできないかと考えます。ところがお酢を醸造する酢酸菌は、お酒をダメにしてしまう成分です。無理かと思われていたのですが、お酒とお酢を同時に作るというその前代未聞の計画は成功します。中野又左衛門はミツカンを創業して独立します。それが1804(文化元)年、今からちょうど200年前のことです。

 この「粕酢」は捨てられていた酒粕を原料としているという利点だけでなく、それまでのお酢よりも風味が香ばしいと人気となり全国に広がりました。いや、それは国内に留まらず1896(M29)年には北米に輸出を開始します。その後も製品開発に力を入れ、1964(S39)年には「味ぽん」を開発。今でこそポン酢醤油はポピュラーになり、ポン酢醤油のことを「ポン酢」と言うほどに市民権を得ていますが、この当時は市場で試食販売をしてそのおいしさを少しずつ広めたそうです。「味ぽん」により、それまで家庭であまり食べられることのなかった水炊きが関西圏を中心に家庭料理となっていきます。

 その後もミツカンはアメリカのサンキスト社と提携して「サンキスト100%レモン」を、ホカホカご飯に混ぜるだけでおにぎりに味をつけるという画期的な加工食品「おむすび山」を開発します。さらに1988(S63)年には「追いがつおつゆ」を発売します。なんとこの年、酢以外の売上が本業である酢の売上を上回ります。ちなみに「追いがつお」はミツカンの登録商標です。その後も「五目ちらし」「金のつぶにおわなっとう」を発売します。それまでにはあり得なかった、匂いの無い納豆を開発したのです。納豆をあまり好まない名古屋を地盤とする企業だからこそ開発されたと言えるでしょう。東京であれば「あの匂いがいいんだよ」ということになりますから、こんな商品はあり得ないのです。関西であれば、はなっから納豆で商売をしようとなど考えません。匂いは嫌だけど健康を考えると納豆を食べたい、という微妙な名古屋心理を生かした商品です。

 ミツカンは積極的な海外戦略を進めています。110年ほど前に単独でお酢の輸出を開始して以来、アメリカの大手食酢メーカー「アメリカン・インダストリー社」の買収に始まり、同じく「メリット社」の食酢部門、「バレンゴ・ワイナリー社」の食酢部門、「リンドンビル・ビネガー社」の食酢部門、「インディアン・サマー社」「スピーコ社」「マナー社」とさまざまな海外企業を買収。また「マコーミック社」などと提携し、現在ではアメリカ・タイ・イギリスにミツカンの現地法人を構えるまでになっています。

 名古屋っ子特有のもったいない精神から始まったお酢が、全世界に広がっているのです。だからこそ、外国人が読みやすい表記をする必要があったのです。「におわなっとう」を外国人が普通に食べるようになる日も近い?かも。

堀川
▲堀川にミツカン関係の施設がたくさん。昔は川で運搬したのでしょう。

外国も注目の名古屋食品

 他にも調味料で有名な会社があります。江戸時代から「三河みりん」として江戸の鰻屋さんや蕎麦屋さんで使われていたのが、愛知県碧南市に本社を置く九重味醂です。三河で作られたもち米、焼酎、矢作川の水、そして気候がみりん作りには適しており、品質の高さが当時から評価されていたそうです。大正から昭和にかけて開かれた全国酒類品評会では唯一名誉大賞に輝き、海外でも数々の賞を受賞しています。当時から製造されている「本みりん元祖九重櫻」は、ハーブを漬け健康酒となるような「飲めるみりん」となっています。

 ところで、三河といえばやはり味噌を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。赤味噌を代表するのは岡崎市のカクキュー八丁味噌です。飲食店でも多く使われており、味噌煮込み専門店「山本屋総本家」もここの味噌を使っています。八丁とは八町。岡崎城から八町(880m)離れたところで作られ始めた味噌だから八丁味噌と呼ばれるようになったそうです。

 赤味噌はそれほど全国で食べられていないのでは、という気がするかもしれませんが、岡崎の家康が江戸を開府した際、八丁味噌を江戸に持ち込んだことから関東地方に広がり、大名の参勤交代によって全国に広がっていきます。既に1892(M25)年には宮内省に納品されています。時は流れ1986(S61)年、チェルノブイリで原発事故が発生するのですがその際に健康を取り戻す食品ということで赤味噌が注目され、欧米から注文が殺到します。アメリカでは「MISO」という本が出版され健康食品として注目されています。

山本屋総本家
▲山本屋総本家にもカクキュー八丁味噌は欠かせません。

食だけじゃなく衣食住全てを...

 全国に販売網を持つ味噌メーカーは他にもあり、同じく岡崎市に本社を置くマルサンアイは味噌を中心に大豆つながりで豆乳メーカーとしても有名です。イメージキャラクターに篠原ともえさんを起用し、関東のラジオ局で味噌や豆乳を使った料理を啓蒙する料理番組を放送しています。さすがに赤味噌にはこだわらず、味噌を使う料理は白味噌のものを紹介することが多いようです。やはり関東では普段赤味噌を食べるまでには至っていないですからね。

 そして熱田区のイチビキと西枇杷島町のナカモに共通している製品が、味噌をただ味噌として使うのではなく、とにかく調味料としていろいろなものに使ってもらおうという家庭料理専門味噌だれです。イチビキは「献立いろいろみそ」、ナカモは「つけてみそかけてみそ」です。これが意外と一部では名古屋以外でも受け入れられていて、北米でもスーパーに並んでいるのを見かけるほどです。味噌汁の赤は苦手と言う人でも、調味料として赤味噌を使うのには抵抗が少ないようです。

 さて、最後にご紹介するのが同じく醸造繋がりで、醤油を製造している小坂井町のサンビシです。この会社、もともとは醤油からスタートしているのですが、現在は料理用のつゆ、韓国風味調味料「韓国ジャン」、みりんなども手がけており、最近の健康志向を反映して無添加シリーズが加わっています。そんなサンビシが今一番力を入れているのが家です。

 家?そう家なんです。サンビシハウジングなのです。分譲一戸建てから賃貸マンションまで広く事業を拡大しているのです。会社の営業目的にも「しょうゆ及び調味料の製造及び販売・住宅及び不動産の売買」とあります。

 確かに「衣」「食」「住」は密接な関係がありますけど、この手広さには驚いてしまいました。社員はしょうゆのルートセールスから、家のセールスマンに異動といったこともあるのでしょうね。会社のキャッチコピーは「暮らしに必要なものいろいろ、サンビシから」確かに、しょうゆも家も暮らしには必要ですけど...。となると、あとは「衣」ですよね。そのうちサンビシブランドの服が登場するかもしれませんね、着るだけで大豆イソフラボン効果とかそんな感じで...。

 そうだ。健康のために表面に大豆を埋め込んだ「サンビシサンダル」なんでどうですかね?

 と冗談半分で考えていたら大豆の「衣」が登場しました。「♪ミユキ、ミユキ、ミ~ユキ、ミユキ。」というCMが流れていた野球教室で知られる御幸ホールディングスが大豆を原料とした下着を開発したのです。もちろんこのミユキも名古屋市(西区)の会社。やっぱり名古屋っ子と大豆は切り離せない。しかも大豆たんぱく質に含まれるアミノ酸の効果で保湿性が高いのだそうです。

イラスト
▲私は匂いが無くても...ダメなんです。健康にいいのはもちろんわかっているんですけどね。

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