平城宮跡(奈良市)
頭から鹿の角を生やした「せんとくん」。賛否両論いろいろあれど、あのキャラクターのおかげで有名になったのが、2010(H22)年に開催される「平城遷都1300年祭」。近鉄奈良駅でそのせんとくんのイラストを見てしまったので、平城遷都1300年祭が開催される予定の、平城宮跡へと行ってみることにします。そこはそう、今から約1300年前に都「平城京」が置かれた場所です。
奈良の平城京にかける意気込み、1300年祭にかける意気込みに思わずため息?遺跡の横に、遺跡になりかけの建物が…。頑張れよ、奈良。
乗り換えには便利だけど…
近鉄奈良駅から大和西大寺駅へと近鉄電車で向かいます。途中、車窓には草原が広がります。奈良市の中心部に程近いはずなのに、ものすごい田舎だな…と思ったらそれが平城宮跡。あまりの規模の大きさにただの野原かと思ってしまいました。待てよ…ということは、宮跡といってもたいした施設はないの?
大和西大寺駅は、奈良はもちろん京都、大阪、橿原方面への線路が乗り入れているため乗り換えには便利なのですが、平面交差であるため、ひとつの路線の遅延が他の路線の遅延につながりやすく、それを防ぐために大和西大寺を終点とした便が多いのです。
それはいいのですが、駅のホームには「次発表示」しかなく、終着列車が到着する際には「入庫」という表示になってしまうため、その後に来る列車が何なのかがわからず、とまどってしまいました。次々発表示のがほしいですね。近鉄さん。ぜひ、名鉄名古屋駅の超過密スケジュールホーム捌きを見習ってほしいところです。
批判はいろいろあったけど…
そして近鉄奈良駅同様、大和西大寺でも我々をお出迎えしてくれたのは、せんとくんのイラストでした。しかもこちらはたくさんのバリエーションがあって、せんとくんのバラエティ豊かな様々な表情を見せてくれます。
そもそもなぜ、せんとくんがこれほどまでに叩かれているのかといいますと、その奇抜な仏教を侮辱していると言われているデザインなのは然ることながら、キャラクター選考決定に至る経緯が不透明というもの。そして500万円という費用が高額という批判。
だけど、よく考えてみると、わが地元で開催された「愛・地球博」だって、指名コンペティション。なぜ指定だったのか、そしてなぜ「モリゾー・キッコロ」なんかに決まったのかなんてわかりません。
キャラクター選定なんて所詮そういうものなんですよ。しかも、せんとくんはこれだけ話題になれば500万円なんて安い安い。そこらにありふれたゆるキャラに比べたら、ある意味一本筋の通ったキャラクターで、私はグッズが欲しいくらいです。こうなることを予見していたのであれば、見る目のある選考委員だったということが言えますが、たぶん想定外でしょう。
さらには、実物を見た友人に寄りますと、見た目だけでなくかなり腹立たしい…じゃない、ユーモアのある動きをするとのこと。キャラクター界のヒールであることを自覚しているようです。
歩いて数分なのは確かだけど…
閑話休題、大和西大寺駅から平城宮跡へと向かいます。バスに乗ろうかと思ったのですが、全然本数が無い。仕方なく歩くことにします。近鉄百貨店とジャスコが一体になった不思議なショッピングセンターを横目に歩くこと7分。平城宮跡に到着で…す。
と思ったのですが、とにかく広いんです。平城宮の今のところの目玉といったら朱雀門。それはまだ、はるか彼方に見えるので、看板に従って歩くことにします。
宮跡で最初に目に入るのは、奈良文化財研究所の「平城宮跡資料館」です。ここでは当時の様子を模型展示しているほか、出土品などを展示しています。1300年祭の時には中核施設になることでしょう。ちなみにこの施設も、奈良国立博物館と同様に国立文化財機構が運営するもので、地元の施設ではありません。
なんにもないように見えるけど…
資料館を除くと、周囲は電車の車窓から見たとおり、一面の草原で何もありません。遠くに見えるのは工事現場だけ。実はこの工事現場が、2010(H22)年に向けて行われている「平城宮跡第一次大極殿正殿復原整備事業」なのです。
それにしても何も無い。見かけるのはジョギングをしている人のみ、すると近鉄電車が平城宮跡を走り抜けていきます。よく考えると、世界遺産のなかを電車が走ってるんですよね。
1300年祭に合わせて、平城宮跡を国営公園化するという案もあり、その後はひょっとすると鉄道の地下への移設の可能性もあるとのこと。
国営公園化ということは、今は地元が管理しているということでしょうか。実は、その地元・奈良市が1300年祭で大きなイベントをぶち上げようとしたのですが…。
奈良なりに頑張ろうと思ったけど…
奈良市ははっきり言って地味です。こんな世界遺産の地にやってくるにもバスの便数はほとんど無く、どう見ても日本を代表する観光地での観光客の扱いをしていません。
でも、平城遷都1300年記念事業では頑張ろうと思ったんです。映像と音を駆使した大規模屋外劇場「大極殿シアター」に、「なら歳時記ミュージアム」、「平城京時空館」といったパビリオンを建てようと計画が動き出しました。
しかし。文化庁からダメだし。
結局、国による「平城京歴史館」と「四季のなら館」を建設が行われるものの、奈良市はだんまり。
かなり歩かないといけないけど…
遠くに見える「朱雀門」へと歩きます。一見、踏切も何も無いように見えますが、案内看板に従って、資料館から15分弱歩きますと踏切が見えてきます。
その踏切を越えたところにあるのが「兵部省(ひょうぶしょう)」跡です。奈良時代に兵士、兵器、軍事施設の管理などを行った省庁です。
見ると、微妙に柱だけが残されています。といってももちろん、これは1300年前のものではなく復原。
にしても、よくわからないのが、地面から1.2メートルの高さで建物を切った状況で復原したというコンセプト。お金なかったのかな…。
ようやく朱雀門に到着したけど…
大和西大寺駅から歩くこと30分、朱雀門に到着です。朱雀門は平城宮の正門で、南を守る中国の伝説上の鳥が「朱雀」です。どうりで中国っぽい。東西約25メートル、南北10メートルの大きさを誇り、門前の広場では当時、お祝いなどの儀式が行われたとのこと。
平城京自体、唐(現在の中国)の長安に倣って作られたもので、当時は10万人がここで暮らしていたとのこと。当時は朱雀門の左右に高さ6メートルの築地があって、130ヘクタールの宮城を囲んでいたのです。
といっても、今はポツンと復原された門だけがあるのみです。当時のお祝い行事を示したイラストが飾られているだけというのが、これまた何だか寂しい。
でも朱雀門はちゃんと復原したのですね。これも兵部省みたいに、地面から1.2メートルだけ復原だったらと思うと…。
もちろん、兵部省の1.2メートルの真意はわかってますよ。わざと言ってるだけですから。
復原しようと頑張ったけど…
すると、朱雀門の近くに平城宮跡を指さす格好をしている像を発見。誰かと思ったらそれは「棚田嘉十郎」像。彼は明治の中頃、観光客から平城宮跡の位置を訪ねられ、案内した際のあまりの荒れ放題ぶりに落胆し、これはちゃんと保存しないといけない!と心に誓います。
1902(M35)年に、平城神宮の造営を目指すも資金難で断念。その後も上京を繰り返してあらゆる著名人を説得。今から100年前の1910(M43)年「平城遷都1200年祭」では知事の協力も得て祭りを成功に導きます。
そして1913(T2)年には大極殿の遺構を保存する「奈良大極殿址保存会」が組織され、用地買収に起動に乗り出すも、嘉十郎が推挙した篤志家が約束を破ったため、その責任を取って嘉十郎は自殺してしまいます。
その翌年、平城宮跡は国の史跡として保護されることとなり、1998(H10)年には世界遺産となり、嘉十郎が成功させた1200年祭から100年が経過した今度の1300年祭で、その大極殿が復原されることとなったわけです。
100年の時を越え、ようやく亡き嘉十郎の願いは通じたということになります。
奈良市にももっと頑張ってほしいけど…
1300年祭をめぐって、キャラクター選考や、パビリオン建設などいろいろと諸問題が起きていますが、この朱雀門の近くにある建物を見ると、確かに不安要素は拭いきれません。
それは「奈良市シルクロード博記念館」。「ならシルクロード博覧会」はバブル真っ只中の1988(S63)年に開催された博覧会で、まさにここ、平城宮跡も会場のひとつとして開催されたものです。
この記念館はその博覧会をきっかけに作られたもので、シルクロードと奈良の関わりや、平城京に生きた人々の暮らしを、庶民、貴族を対比させて展示しています。水に浮かぶかのような建物もとても趣があります。
しかし、休館中。ずっと休館中です。
もはや、記念館自体も遺跡になってしまうのではないかという雰囲気。
奈良市のパビリオン計画に文化庁がダメだしをしたのは、どういう意図だったのかが気になるところですが、それは明らかにされていません。
平城宮跡を文化財として守るため?それとも、こういう前例を見て「奈良市はダメだ」と思った?
平城宮跡を後にして、バスに乗って奈良駅へと向かおうとすると、この場所にぴったりの建物が。それは山中大仏堂奈良店です。空気読んでますね。
バス停に着いて胸をなでおろします。なぜなら、バスの到着1分前だったから。そのバスを逃したら次は1時間後。
ここって…本当に観光地なんですか?世界遺産なんですか?1300年祭の際にはもちろん、充実するんですよね?公共交通機関。
もう少し頑張ろうよ…奈良市。嘉十郎が草葉の陰で泣いてるかも…。
と思ったけど、奈良市は1300年祭をきっかけにせっかく頑張ろうと思ったのに、文化庁に出鼻をくじかれちゃったわけで、もう何もやる気無いかもね。
せんとくん、頑張れ…。
コメント
トッピーさんが見たショッピングセンターは、奈良ファミリーだと思います。百貨店が街にある中部地方の感覚では変わっている感じがしますが、中部以外の地域は郊外にも百貨店があります。名古屋郊外ではイオン岡崎に西武があるくらいなのは、中部地方の百貨店文化をたもっていると思います。
ちなみに奈良そごうも街中から放れていて、閉店後イトーヨーカ堂になりました。
その後、そごうと西武がセブン&Iグループになったときはこんな縁もあるもんだと思いました。
それでは失礼しました。
(2008/11/26 1:18 PM)
>西三河のまささま こんにちは
確かに、この地方では郊外型ショッピングモール+デパートという形はあまり見かけませんものね。一時期、三越もそっち方向に歩もうとした時代がありましたけど、あれはどうなったんでしょうかね。デパートは本当に厳しい時代になってきましたね。
(2008/11/26 3:05 PM)