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陰陽師は名古屋を経て長野へ?-安倍晴明の墓

記事公開日:2007年3月26日 更新日:

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 平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明。天文を基にした占術や呪術など特異な力を持っていたとされ、近年では小説や映画などでその活躍を知ることができます。その陰陽師・安倍晴明のお墓が木曽の山中にあります。おや?と思われる方も多いかもしれません。安倍晴明は大阪の阿倍野区で生まれ、お墓は京都にあるというのが通説です。それがなぜ木曽の山中にあるのでしょうか。

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 安倍晴明は921(延喜21)年に生まれたとされています。大阪の阿倍野生まれとも言われていますが、他にも出生地としているところはいくつもあります。父は同じく陰陽師であった安倍保名(あべのやすな)で、この保名が信太(しのだ)明神に参った際に命を助けた狐が、美女に姿を変えて保名と結ばれ、晴明が生まれたといわれています。

 その後、狐は正体がバレてしまい、姿を消します。関西の一部できつねうどんのことを「しのだうどん」と呼ぶのは、この狐を由来としています。

 安倍晴明は関白だった藤原道長に仕え、中国の陰陽五行説によって天体観測暦を作成したり、もちろん祈祷や占いなどもしていました。「金烏玉兎集」「占事略決」といった書物を編纂しており、狐から生まれた子であるかどうかはわかりませんが、実在の人物であったことは確かです。晴明は1005(寛弘2)年に亡くなっていますので、85歳と、当時としてはかなりの長生きでした。

 長野県木曽町にある安倍晴明のお墓には、晴明の像と安倍家の家紋である「晴明桔梗印」(五芒星)が記されています。晴明像は右手をモミアゲのところに掲げており、やはり独特の気を放っています。

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 お墓自体は畑のなかにあるのですが、国道の反対側には数台分の駐車場が用意されており、そこに私たちが車を停めると、1台の車が駐車場に入ってきて、「晴明さまのお墓でしたら、あちらにありますよ」と教えてくれました。するとその車はそのまま去っていきましたので、たぶん地元の方でしょう。そしてお墓の横には、木曽町として合併する前の木曽福島町によって立てられた説明看板もあります。

 町は、晴明の終焉が此の地であるという確たる証拠は無いと言い切っており少々残念な気もしましたが、ここには昔から「晴明様」と呼ばれる二基の五輪塔があり、地元の方々は五輪塔に五穀豊穣などを祈ったり、安倍晴明の名声を語り継いでいるのだそうです。そしてこの地区では日常生活のなかに天文に関わる営みも多く残されており、晴明への信仰心は今も引き継がれているようです。先ほど親切に教えてくださった地元の方にとっても、この場所は特別なところなのでしょう。

 この場所は晴明の墓があることから「晴墓士」と呼ばれていましたが、1874(M7)年に「清博士」と地名が改められ、今もそのままです。

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「晴」という文字が「清」という文字に変えられた、という話で思い出したのが、名古屋市千種区にある地名「清明山」です。千種の清明山もやはり安倍晴明に縁のある場所で、住宅密集地のなかにポツンと晴明神社が祀られています。

 清明は67歳だった987(寛和2)年に名古屋に移り住んだと言われており、そのあたりではマムシが多くて村人が困っていたのですが、晴明の力によって退治され、それ以降全くマムシを見ることがなくなったという伝説も残されています。

 この名古屋の晴明神社は昔からあったわけではなく、祠のみがポツンとあり、周囲は明治時代から陸軍用地となっていました。祠を邪魔に思った陸軍の兵士数人が祠を移動させ、塚の一部を壊してしまったところ、皆が原因不明の高熱にうなされ、それ以降祠は終戦まで陸軍には大切に扱われました。

 しかし戦争が終わり、現在もある県営清明山団地を建設することとなり、祠を移動し、今度は塚を全部壊してしまいました。すると作業者が死亡する事故が2度も起こり、不思議に思った工事関係者が地中を掘ると、石碑が出てきました。石碑は無地だったのですが、和紙で拓本すると「安倍晴明」という文字が浮かび上がったというのです。その後、その場所には晴明神社が祀られたというわけです。

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 遠い過去の話ではなく、戦後ですから昭和20年代のお話です。晴明は京の都を離れ、67歳のときに名古屋に住んでいたのであれば、最期を木曽の山中で過ごしたとしても不思議ではありません。

 ただひとつ確実に言えることは、千年の時を越えても、木曽の山中では晴明の教えによる知恵が生活のなかに生きていて、今も晴明への信仰が厚いということです。そして名古屋では晴明の祠を不躾に扱ったために祟りまでも起きています。陰陽師・安倍晴明の力がいかにすごいものであったか、そして人々にどれだけ頼られていたかが伝わってきます。

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 そして現代でも晴明の不思議な力に頼って、京都の晴明神社への参拝する人はたくさんいますし、名古屋の住宅街の片隅にある晴明神社にも、全国から多くの参拝者が訪れています。千年経った今も、晴明の力にすがり、惹かれる人々がこれだけいるということだけでも、彼の力がどれほどのものだったかが理解できるというものです。

 この木曽のお墓は、本物なのかどうかが重要なのではなく、京の都を離れた遠くの木曽の山中の集落で、千年以上信仰を集めていることを示すものであり、彼の存在の大きさを、このお墓によって実感することができます。

安倍晴明の墓(長野・木曽町)MAP

35.913347, 137.676740

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