NAGOYA REPORT 名古屋の教育

受験勉強の前に受験制度の勉強・全国で唯一複雑な愛知県の高校入試

記事公開日:2005年7月2日 更新日:

 前回、愛知県の子ども達は公立志向が高いと書きました。今回はまずそれを実証するために、愛知県の中学生の高校進学状況を具体的な数値で見てみます。愛知県内の中学3年生全員を対象に、愛知県教育委員会が2004(H16)年9月に行った進路希望状況調査によりますと、公立の全日制課程の高校へ進学を希望する生徒が80.3%、対して私立の全日制課程の高校への進学を希望する生徒は12.5%となっています。

 過去のデータも見てみましょう。 1998(H10)年9月の調査でも公立希望81.2%、私立希望12.0%とあまり数字に変化は見られません。愛知県の中学生は常に8割が公立高校への進学を希望しているのです。

愛知の中学生は本当に公立高校志向なの?

 この進路希望状況調査は毎年9月と12月に行われます。12月にも行われる理由は、11月に公立高校の募集要項が発表になり、それを踏まえてより現実的な希望を再考した結果を見るためです。12月の調査を見てみますと、2004(H16)年が公立希望72.5%、私立希望18. 9%、そして1998(H10)年が公立希望72.8%、私立希望18.8%となっており、例年8%の生徒が公立高校への入学をこの時点で諦めていることがわかります。

 では実態はどうなっているかも見てみましょう。2004(H16)年3月に愛知県の中学校を卒業した72,084人のうち、前年9月の時点では 58,700人(81.4%)が公立全日制高校を志望していますが、実際に5月の時点で公立高校に入学していたのは44,363人で割合は61.5%、対して私立全日制高校を希望していたのは8,217人(11.4%)ですが、実際に私立高校の1年生となったのは21,357人で29.6%まで割合が高くなります。

 公立を志望していたにもかかわらず、公立高校に落ち、私立高校に入学した生徒が18.2%いるということがわかります。

愛知県の公立高校入試制度の変遷

 愛知県のケチという県民性から公立志向が高いと言うこともできますが、もうひとつ、愛知県は公立高校のレベルを落さないように、受験制度を変えてきたという歴史もあります。そしてその受験制度は全国で最も複雑で、愛知県の中学生は受験勉強よりも先に受験制度を勉強しなければなりません。公立高校を2校受験できるのは全国で愛知県だけです。

 この制度は複雑なだけではなく、学校選びに駆け引きも必要になります。大学受験の予行演習とも言われる複合選抜制度。続いてはそんな愛知県の公立高校受験制度の歴史を紐解いてみます。

 かつて愛知県の高校入試は単独選抜でした。公立高校については、希望するひとつだけを受験することができるという一発勝負。当然人気のある高校のレベルは高くなり、そうでない高校のレベルは低くなる一方。

 学校は序列化され、必要な内申点(通知表の評定)で公立高校はずらっと並べられるような状態になり、内申点によってまず受験する高校が制限され、さらに入った高校によってその生徒の内申点が推察できてしまいました。高校間の学力格差は開く一方でした。そのため、愛知県をはじめいくつかの都道府県では、高校間の学力格差を少なくするために学校群制度が導入されました。

 東京都の公立高校入試で学校群制度が導入されたのが1967(S42)年のことでした。学校群制度とは、いくつかの高校で「群」をつくり、その群で合格者を決め、群の中の高校の学力がなるべく均一になるように、合格者を振り分ける方法です。そのため生徒は群を希望できても高校自体を希望することはできず、なおかつ内申点や入試での点数が高いからといっても、レベルが高いと言われていた高校に入ることができなくなりました。

 愛知県では1973(S48) 年に都市部の公立高校で採用されました。名古屋市内には15の学校群が作られ、15の公立高校が各校2つの学校群に所属しました。つまり各学校群には2つの高校があり、その群に合格した生徒を、学力が均等になるように2つの高校に配分したのです。

 愛知県は東京都に倣って学校群制度を導入したのですが、既にこの当時、東京都では大きな問題が発生していました。それは公立高校全体の学力低下です。確かに学校群制度は公立高校の学力を平均化していきました。

  しかしそれは同時に、かつて名門と呼ばれ、大学進学率の高い高校のレベルを下げることになったのです。「絶対東大に入ってやる。」なんてことを中学の頃から考えていた生徒は、どこの公立高校に配分されるかわからない、ましてやレベルが均一化されてしまう公立高校よりも、名門私立高校を選択するようになったのです。学校群制度導入後、名門都立高校として名を馳せた日比谷高校をはじめ、都立高校の進学実績は低下していきます。

 東京都は1981(S56)年に学校群制度を廃止し、グループ選抜入試に移行。そして1994(H 6)年にはグループ選抜入試も廃止され、かつての単独選抜に戻ったのです。事実上、学校群制度が失敗だったことを認めました。対する愛知県では、学校群制度が導入された1973 (S48)年よりも後に開校した学校は単独選抜となり、学校群制度と単独選抜が並行することになります。そしてやはり1989(H元)年、学校群制度を廃止することになります。

そして全国一複雑になってしまった愛知の入試制度

 ところがです。愛知県はここで単独選抜には戻りませんでした。全国で初めての複合選抜制度を導入したのです。複合選抜とは何か。それは公立高校をAグループとBグループにわけ、各グループからそれぞれ1つ、計2つの高校を受験できるというものです。

 全日制普通科について見ますと、尾張地区にある75の公立高校はまず「尾張1群」37校、「尾張2群」38校にわけられています。さらに尾張1群が「A グループ」19校、「Bグループ」18校にわけられ、2群も同様に、A20校、B18校にわけられています。これは学区のように高校の所在地によってグループわけが行われているわけではなくその全く逆で、同じ地区に各群、各グループの高校があるようにわけられています。

 つまり近所に4グループすべての高校がある格好になっています。三河地区45校も、三河1群Aグループ12校、Bグループ10校、三河2群Aグループ12校、Bグループ11校に。そして専門学科は全県でAグループ、Bグループにわけられています。

 入試はA日程とB日程と2日間行われ、受験生は各グループから1つずつ、2つの公立高校を受験できるのですが、群を跨いでの志願はできません。ですので、尾張1群のAグループの高校と、尾張2群のBグループの高校を併願するということはできないのです。そして受験する高校には第1志望と第2志望のランクを予めつけておき、両方に合格した時は第1志望の高校に行くことになり、第2志望の高校に行くことはできません。そのため第2志望になりやすい高校では欠員が多く生じ、繰り上げ合格者が出ます。

 合格発表はA、Bとも同じ日なので、合格発表の掲示板には「本校に合格」「相手校に合格」といった文字が並びます。私が合格した公立高校は、いわゆる滑り止めに使われる第2志望校だったので、「相手校に合格」がずらっと並んでいました。私はそこが第1志望でしたけど...。

 公立高校を2つ受験することができる複合選抜は、公立志向の高い愛知県の生徒にとっては嬉しい制度ではありますが、本来、この複合選抜制度の狙いは生徒のためではありません。学校群制度によってレベルの下がってしまった名門校を復活させ、東京のように、優秀な生徒が私立へ流出してしまうのを食い止めるためのものだったのです。

 ただ単に単独選抜に戻すのは県のプライドが許さなかったのでしょう。今でも内申点が重要視されている状況は変わっておらず、入試の点数と内申点を足した点数で合格者がほぼ決められます。現在、内申点は相対評価から絶対評価になっているため、さらに受験校選びが難しくなっています。

イラスト
▲発表は第2志望校に行くのが鉄則。「相手校に合格」で大喜び。「本校に合格」でも第1志望ということにしちゃえばいいし。

ギャンブルにも強くなければダメ?

 私が高校を受験したのは、この複合選抜制度が導入されてまだ数年という頃でしたので、まだ内申点でどの高校が確実なのかという情報が曖昧でした。そのため受験校選びに皆かなり悩んでいました。受験勉強よりも、内申点プラス入試で取れるであろうと自分で予想した点数とにらめっこ。しかも片方には確実に合格したい。でも希望する高校が同じ学校群でなかったり...と、かなりギャンブル性の高い受験方式です。

 今もこの複合選抜制度は続けられており、愛知の中学生は受験勉強そのものよりも、学校選びに頭を悩ましていることでしょう。特に、中学時代に転勤などで愛知にやってきた子は大変です。複合選抜のルールから、各群、グループの高校のレベル、特性、風土、さらには相性、そして自分の学力を総合的に判断しなければならないですし、もちろん受験勉強もしなければならないのですから。

 それでも、推薦入試と合わせて、公立高校を3回受験できるというのは愛知県だけなので、恵まれているといえば恵まれているのでしょう。逆に他の地域の人が見たら、なぜそこまで公立に固執するのかと思うかもしれませんね。

 まあ、やっぱり結局はケチなんでしょうね。

読んでおきたい一冊

 愛知県が学校群制度を採用した際に、そこに入れられなかった郊外の高校で、かなり強力な管理教育が行われていたわけですが、今では表立ってはそんな話は聞きません。しかし、愛知県でかつて行われていた、いわゆる管理教育がどういうものだったのかを理解するには、オススメの一冊です。そしてその問題は、過去のものではなく、学校だけではなく、どこでも起こりうるものだということ。そうなったとき、あなたは自分自身でいられるでしょうか。


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