10.中川区 名古屋を歩こう

全部は見られない?300年続くお祭り

記事公開日:2004年12月26日 更新日:

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田んぼの中を立体交差-かの里

 片側1車線の国道1号線を、新川から戸田川に向かって西へ歩きます。かの里東交差点で通称環状2号、国道302号線とぶつかります。環状2号はまだ建設中でとりあえず通っているだけという状態です。交通量が多い割りに道幅が細い国道1号線は、ここでよく渋滞します。そのため現在立体交差工事が進んでいて、完成予想図によると環状2号は片側3車線になるのですが、国道1号は今の細さのまま立体交差となります。道幅は広くなりませんが、直進車両は信号で止まらなくて良くなるので緩和される見込みです。しかし、ここの立体交差を現状の幅で作るなら、情緒溢れる下之一色を無理に拡張する必要も無い気がするのですが、将来は全体的にもっと太くする気なのかな。

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▲国道1号と302号が交差するかの里東交差点は立体交差工事中。
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▲完成予想図を見ると、国道1号はやっぱり片側1車線。
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▲302号、南側はまだ片側1車線。

天然温泉登場!の陰にある努力-ポカリの泉・水里

 環状2号を越えると250メートルほど港区となりますが、スーパー銭湯ポカリの泉から再び中川区地内となります。ポカリの泉には「天然温泉登場!」という文字がありますが、沸きでたわけではなく岐阜県池田温泉の源泉を運んでいます。それでももちろん湯が温泉であることに間違いはありません。ポカリの泉の西を流れる戸田川流域は、今も農業が盛んです。農機具のお店や、農作業をしている人を見かけるようになります。このあたりはかの里、水里、供米田など昔から農業が盛んであることを地名が物語っています。この先国道1号は海部郡蟹江町へと向かうので、戸田川を河畔に沿って北上します。

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▲天然温泉をわざわざ運んでいるポカリの泉。
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▲農機具ディーラーも見受けられます。
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▲戸田川流域は、水が潤沢な田園地帯。

道路は無くなり下水道工事現場へ-戸田川

 富永橋を渡り、川の西岸を歩きます。車は通れないようになっていて、遊歩道に両側の草が少し覆うような道です。ところが、歩いていくと草がどんどんと増えてきて次第にはアスファルトを隠してしまいました。対岸には田んぼがたくさん見えます。川が西方向へ湾曲するあたりに川岸に公園と老人保健施設があるのですが、どうも遊歩道の様子がおかしいのです。公園に対しても施設に対しても大きなフェンスがあり入れないようになっているのです。まるで立入禁止かのようです。そしてカーブが終わると謎が解けました。この先がフェンスになっていて、この遊歩道が立入禁止状態だったのです。私は立入禁止の場所を歩いていたのです。立入禁止ならちゃんと南側もそう書いておいてください。というか、こんなところを人が歩くということを想定していないのでしょうね。

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▲地図を見ると、ずっと川べりを歩いていけるはず。
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▲本当にこの先、道は続いているのかと疑問を持ったら案の定。
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▲老人保健施設。緑も豊かで目の前に川も公園もあって環境抜群。

 なんとかフェンスを越え振り向くと、現在下水道設置工事のために立入禁止となっていました。中川区旧富田町地内では下水道がまだ通っていない場所があり、現在範囲を拡張すべく工事を行っています。区のホームページでは、毎月下水道の完成地区の報告があり、切替工事には貸付金、補助金制度があるとのこと。工事代はさすがに名古屋市でも全額は負担してくれないのですね。

川面スレスレを列車は走る-戸田駅

 北に歩くと近鉄名古屋線戸田駅が見えてきます。東は伏屋駅、西は近鉄蟹江駅になります。伏屋駅とは違い、駅周辺はごちゃごちゃしていて大型車両はすれ違えないようなところです。戸田川の上を走る高架橋は結構水面ぎりぎりで、増水したらどうなるんだろうという感じですが、堤防自体も高くありません。都市化が進んでいるとはいえ戸田川の流域は今も半分が水田です。この戸田川の水は田んぼを潤す水、ここは水と暮らす街なのです。といってもやはり戸田川の水位の高さは問題になっていて、普段から河口でポンプ排水をしないと溢れてしまうのです。今後河川改修を進めていく予定になっています。水田と川面の高さがほぼ同じという、農村地帯の風景は行く行くは消え、堤防の高い川に生まれ変わることになるでしょう。こればかりは流域の方のことを考えると、住んでもいない私が感情で口を出せる話ではありません。

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▲東に歩くたびに増えてきた田んぼも、ここまでくると広大に。
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▲戸田駅周辺は道路も細く、建物も密集。
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▲川面スレスレを通る、近鉄名古屋線。

戸田まつりは各神社でそれぞれ行われます-神明社

 戸田駅から北に400メートルほど歩くと、神社やお寺が密集しています。さて、戸田には名古屋市指定無形民俗文化財に指定されている戸田まつりがあります。祭りは毎年10月の第一土日に開催され、新田である戸田一之割から五之割それぞれの氏神で山車を曳き、全体としてひとつの祭りとなっています。山車にはそれぞれ違う動きのからくり人形があり、目でも楽しませてくれます。からくり人形は尾張地域の祭りには欠かせません。山車も一部は有形民俗文化財に指定されています。戸田駅から歩いて最初に登場するのが、五之割の氏神・神明社です。境内には五之割山車を収納している大きな山車蔵があり、3階建てくらいの高さに驚かされます。

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▲戸田五之割の氏神・神明社。
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▲境内には山車の収納庫が。屋根だけ蔵っぽい。
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▲手洗い場が直されていました。今も信仰が厚い証拠。

もちろん四之割にも山車蔵-白山社・太平寺・浄賢寺

 神明社の北西、将来は八熊通となる工事中の道路沿いにあるのが、四之割の氏神・白山社です。もちろんここにも大きな山車蔵があります。道路が複雑に入り組んでいるので探すのが大変ですが、その先にはたくさんのお寺があります。手前から順に見ていきます。つきあたりにある太平寺は710(和銅3)年に行基が創建したと伝えられる古いお寺で、1433(永享5)年に清洲からこの地へと移転されています。行基が作ったという秘仏薬師如来が安置されています。そして太平寺の右隣にあるのが浄賢寺です。創建は1502(文亀2)年で真宗大谷派。現在の岡崎市針崎町、かつての三州針崎にある勝鬘寺の末寺です。

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▲戸田四之割の氏神・白山社。やはり右奥に山車蔵。
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▲1300年の歴史を持つ太平寺。
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▲太平寺のすぐ右隣にある浄賢寺。

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本格派・お寺できもだめし大会-法然寺・西照寺

 太平寺と浄賢寺の間の細い道を歩くと、右側に戸田保育園のある法然寺があります。1632(寛永9)年に創建された浄土宗西山禅林寺派のお寺で、現在の本堂は1898(M24)年の濃尾地震で全壊したのちに再建されたものです。そしてその東側にあるのが、戸田まつりの起源についての記録が残っている西照寺です。1487(長亨元)年に創建された真宗大谷派のお寺で、1702(元禄15)年に戸田まつりが始まったという記録があります。熱田区伝馬に裁断橋という、子を戦で失った母親が架け替えようとした橋がありましたが、その際にこの西照寺の4代淳誓が尽力しました。山門には「お経のけいこのお知らせ」「きもだめし大会」といった張り紙があり、地域の子ども達が気軽に入ることができる、昔ながらのお寺の雰囲気を残しています。それにしてもお寺できもだめし大会...本物が出そうで怖い。

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▲戸田保育園のある法然寺は山門が大きい。
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▲と思ったらもっと山門が大きい西定寺。
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▲肝試し大会ではかき氷、すいか割り、流しそうめんもあるそうです。楽しそう。

川沿いには醸造メーカーがずらり-宝泉寺・末廣味醂・浄栄寺

 そしてその道路のつきあたりに、1445(文安2)年創建の宝泉寺があるのでそこを右折します。するとその名も通学橋という人道橋が戸田川に架かっています。川を越えると昔ながらの酒蔵が見えてきます。川の両岸には末廣味醂、常盤醸造といった醸造メーカーがあります。戸田は昔から美味しいお米の産地として有名で、尾張藩主の御膳米となっていました。いい米あるところにいい酒あり、いい味醂ありというわけです。その末廣味醂の東隣には浄賢寺と同じく三州針崎勝鬘寺の末寺である浄栄寺があります。

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▲天台宗から真宗に改宗した宝泉寺。
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▲通学橋の架かる戸田川の両岸には醸造工場。
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▲白い塀に黒い横線で独特の模様が施してある浄栄寺。

やっぱり全ての氏神さまにある山車-鈴宮社・天満宮・八幡社

 通学橋を再び渡って戻ります。宝泉寺のすぐ北側には、三之割山車のある鈴宮社があり、その先の県道弥富名古屋線の手前には二之割の氏神・天満宮があります。狛犬の前に大きな牛が寝そべっています。この日は境内で高校生ふたりが寝そべっていました。イチャイチャするのもほどほどに。神社なんだから。そして県道の北側にあるのが、一之割山車がある八幡社です。格納庫には紋様が入っています。八幡社の東側は戸田川が流れ、北側にはJR関西本線が走ります。その向こうは同じ戸田でも、富田町大字戸田八幡腰です。八幡神社を越えたら八幡腰。

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▲戸田三之割の氏神・鈴宮社。
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▲天満宮は本堂の前に大きな牛の像が。
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▲戸田一之割の氏神・八幡社。山車蔵には紋様が。

同日開催なので全て見られるとは限らない-戸田まつり

 戸田まつりは、5つの山車がそれぞれの氏神境内で曳かれ、からくりを披露します。当初はこの八幡神社界隈、一之割で始まったものが五之割まで広まっていったとのこと。現存する山車は1796(寛政8)年に作られたもので約200年前のものです。ただ、各神社の境内で同日に披露されるという祭りの性格上、全ての山車のからくりを見るのは難しいのが難点です。昔から水が豊富で稲作が盛んだった農村地帯ですが、そこは派手好きな名古屋、山車やからくりは凝ったものとなっています。それにしても、200年前にこれだけのものを農村地帯が作ることができ、御膳米を献上するほどですから、戸田米は昔から美味しかったんでしょうね。戸田米を食べていたと思われる七代藩主宗春はお祭り好きで、山車やからくりを奨励していましたから、ひょっとしたらこの戸田まつりを見に来ていたかもしれませんね。


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