23.トルコ あまのじゃくツアースペシャル

遺跡のミルフィーユ 地震で戦争・地震で交流-トロイ遺跡2

記事公開日:2008年5月29日

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TOPPY
おとなりなんだから、仲良くすれば良いのにね。トルコとギリシャ。
AIKATA
仲良くできないから国が違うんだよ。どこでもとなりってのはそんなもんでしょ。

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トロイ | Truva | 2007.10.04取材

チャナッカレ県
トロイ遺跡 14:40着~16:00発

木馬は長持ちしない運命?

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トロイ遺跡・トロイの木馬(チャナッカレ県チャナッカレ)

 神話の伝説と、古代都市との姿が曖昧なトロイ遺跡。実際に見ていくことにします。やはり入口でまず目に入ってくるのが「トロイの木馬」のレプリカです。トロイ戦争で、ギリシャ軍が勝利を収めた作戦に使われた巨大な木馬。当時の大きさ、高さ13メートルを再現して1975(S50)年に作られたものです。実は、木馬はそれ以前からあったらしいのですが、何度か燃えていて、今の木馬はとりあえず30年持ちこたえている状態です。中に入ることができ、上ることができますがかなりの急階段で、お年寄りの方やメタボな外国人の方はつらそうでした。

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 ちなみに、以前はこれと全く同じ大きさの木馬が日本にあったとのこと。一体どこに...。それは新潟県柏崎市の「柏崎トルコ文化村」。木馬を中心に巨大迷路もあったそうで、やはり巨大迷路ブームが去るのと同時に、木馬も撤去されてしまったのかと思いきや、柏崎トルコ文化村自体が今は存在していません...。

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 そんな木馬の前に、歴史を感じる石の彫刻や石柱があり、聞くとそれもレプリカではなく遺跡のひとつだとのこと。そのことにビックリ。なぜビックリしたのかといいますと、その遺跡に蛇口がつけられていてホースが繋がっていたのです...。穴あけちゃっていいの?

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5千年の時を越えた物が目の前に

 トロイ遺跡は、ここから反時計回りに一周して見学できます。ここには紀元前3000年から5世紀末にかけて、9回に渡って都市が建設されています。壊れては作り、壊れては作りを繰り返しています。ですので、遺跡も9つの層となって重なっているのです。ここでは第1市から第9市と呼ばれています。見学路はまず、トロイの最盛期であった第6市の城壁や城門の間を通っていきます。すると、景色が一気に開け、遠方に海が見えます。かつてはここが海岸だったとのこと。アレキサンダー大王が、船を繋げて対岸へ渡ったという伝説が残されています。

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 続いて、柱の根元がいくつか残っている第8市のアテナ神殿の先に、いよいよ、最も古い、今から4500~5000年前に作られた第1市の城壁が残されている場所があります。茶色の日干しレンガが積まれていて、ここだけは屋根が設けられています。さすがにここだけは劣化を防がなくては...ということなのでしょう。

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 それにしても、4500年以上前に作られたレンガ。これは伝説でも神話でもなく、考古学的に見て事実なわけで、その想像も付かない長さの時間を隔てた昔に、実際に人間が作ったものを目の当たりにできることを不思議に感じます。

遺跡のミルフィーユ

 第1市の城壁に続いて第2市の城壁とランプがあります。ランプというのは大理石で舗装された坂道で、トロイの城内外の出入口となっていた場所です。4000年前に大理石で舗装されていた通路。当時はさぞかし美しかったことでしょう。

 ランプの部分は、第2市の部分が発掘されているところまで、まるで地層のように遺跡が9層に重なっている様子を見ることができます。それぞれに、ローマ数字でわかるように目印がつけられています。それにしても、第1市の日干しレンガ以外は野ざらしになっているのを見て、大丈夫なのかと思ってしまいます。土が溶け出したりしないのでしょうか?発掘にかける財政状況が厳しいのがよくわかります。

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 最後は、いかにも遺跡という感じのものが2つ。それはとても対照的です。ランプを越えると、第8市から第9市にかけて聖域となっていた場所です。聖域とは、井戸と祭壇が設けられた「生贄の儀式の場所」です。そしてその先にあるのが、同じく第9市の音楽堂です。比較的状態が良く残っています。音楽堂といっても、音楽や演劇が行われていただけではなく、会議も開かれていたとのこと。当時はちゃんと屋根付きの劇場だったそうです。

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トロイはなぜ消えてしまったのか

 5世紀末まで存在していたトロイ。なぜそこで都市の歴史は途絶えてしまったのでしょう。そのヒントが、実は木馬に隠されているとのこと。

 ギリシャ人にとって木馬は「地震の神様」。このトロイが陥落したのは木馬の作戦によってではなく、大地震によって崩れてしまったという説が有力なのだそうで、そこにギリシャ軍が攻めてきてトロイは滅亡してしまったと。

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 それから3200年、トルコはギリシャを支配下に置いた時代もあれば、逆にギリシャがトルコの西岸を支配したりと、トルコとギリシャの関係は、ずっとギスギスしたものだったのです。

 しかし1999(H11)年に発生したトルコ大地震では、どの国よりも早く、ギリシャがトルコに救援に入りました。続くようにして今度はギリシャで地震。トルコもいち早くギリシャに救援に入ったのです。こうしてようやく、トルコとギリシャの間に交流が始まるのです。

 揺れ動き続けたトルコとギリシャの関係は、3200年の時を越え、地震をきっかけにして今ようやく友好へと動き始めているのです。地震によって戦争が始まり、地震によって交流が始まった、というわけです。(コラムを挟んで#05へつづく)

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コラム・トルコとギリシャの本当のところ

目の前はギリシャ

 どこの国でも、すぐ隣の国とは戦争の歴史があって、仲違いしていることが多いものです。トロイはその戦争の舞台であったわけです。トロイから南下していきますと、右手にはエーゲ海が広がります。そのエーゲ海に浮かぶ島々はギリシャです。ギリシャはトロイ戦争で戦った相手。今でもギリシャ領はトルコの目の前にあり、最も近いところでは、ギリシャ領の島まで10キロもありません。

 しかし、ギリシャ本土ははるか彼方。そのためギリシャの島民は、買物や病院へ出かけるとなると、このトルコ側へとやってくるのです。かつてはビザが不要な時期もあったのですが、ギリシャがEC加盟国となると再び必要に。ただし特例として、トルコに隣接する島への1日旅行はビザが不要となっています。

今も続く戦争?キプロス問題

 本編でお話しましたとおり、近年は地震をきっかけに、トルコとギリシャの交流が始まったという話もありますが、ひとつ忘れてはいけないのが「キプロス問題」です。トルコ東部の南側、地中海に浮かぶ島「キプロス」。キプロス島は、ヨーロッパ連合加盟国である「キプロス共和国」という独立国家のはずなのですが、実態は南北に分断されています。

 キプロスは1960(S35)年にイギリスから独立した国で、ギリシャ系とトルコ系の両方の民族が住んでいます。しかし1974(S49)年、ギリシャ併合賛成派の将校がクーデターを企てると、トルコ系の住民を保護するという目的で、トルコはキプロスに出兵し北部を占領。するとギリシャ系住民は南側に逃れ、トルコ系住民は北側に集まります。

 そしてトルコ側は翌年、キプロス連邦トルコ人共和国を樹立し、キプロスに連邦制を迫るのですが実現せず、とうとう1983(S58)年には「北キプロス・トルコ共和国」として一方的に独立を宣言するのです。

北と南に分断って...どこかで聞いたような

 結局のところ、キプロスはギリシャとトルコの綱引きによって、北と南に分断されてしまっているのです。まるで、アジアの東端にあるあの半島のようです。現在も、北キプロス・トルコ共和国を独立国家として認定しているのは世界中でトルコのみで、見た目には、キプロスの北半分をトルコが勝手に支配して独立を宣言している、と見えます。

 トルコはここ最近、ヨーロッパ連合への加盟を目指しているのですが、なかなか認められません。それは「トルコなんて国土の大部分がアジアだから、ヨーロッパだなんて認めないよ」ということではなく、加盟への道のりにはこのキプロス問題が大きく横たわっています。

 独立国家と言っているものの、実際にはキプロスの北半分をトルコが支配しているようなものですが、島のトルコ系住民のなかにはトルコへの併合を望む声も大きいとのこと。

今度は格差が邪魔をする

 トルコのヨーロッパ連合加盟への意欲は強く、なんとかキプロス問題を解決したいという思惑から、国連の提案した再統合の住民投票を受け入れるなど、対応を軟化させている部分はあります。

 2004(H16)年に行われた住民投票は、キプロスを連邦制にして北キプロスを再統合することの賛否を問うものでした。これに、実質トルコの北キプロスの住民は意外にも賛成。なぜ賛成に回ったのか。答えは簡単です。

 北キプロスは、世界のなかでトルコしか承認していない独立国家。トルコとしか貿易ができないのです。しかも当時のトルコの経済はインフレでボロボロ。いつの間にかできていた、南キプロスと北キプロスの経済格差。豊かな南と統合されることを北の住民は望んだのでしょう。

 ところが、そうなれば当然南の住民は統合に反対。今さら貧乏な北側と一緒になるのは御免というわけです。しかもこの統合案は、北側に引き続きトルコ軍の駐留を認めるなど、トルコにかなり配慮したものだったからです。

 分断状態になったのは北(=トルコ)のせいだけれど、心を入れ替えて統合への住民投票を受け入れたのに、住民投票で統合を否決したのは南。これにより「かわいそうな北キプロス」という構図ができ、北への経済制裁解除が行われ、トルコとしては「分断状態なのは北のせいじゃなく南のせいだ」という主張ができるようになりました。トルコはこの住民投票の結果により、キプロスが今のままでも自分たちのせいではないし、現状のままでもヨーロッパ連合への加盟を認めてくれ、と言えるようになったわけなのです。

 トルコが侵攻したことで分断されてしまったキプロス。一見好転しているように見えるトルコとギリシャの関係も、このキプロス問題が解決するまでは本当の好転とはいえないでしょう。

トロイ遺跡(チャナッカレ県チャナッカレ)MAP

Truva Ören Yeri (Troia)


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