07.昭和区 名古屋を歩こう

世界的名医が残したもの

記事公開日:2004年8月11日

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名古屋市になってもずっと郡道-郡道

 昭和区は千種区の南になりますので、千種区の吹上からそのまま散策を続けます。吹上ホールの前から、100メートル道路を少し西に行ったところに吹上2交差点があります。ここからまっすぐ南に伸びる道路が「郡道」です。1909(M42)年に完成した道路で、飯田街道の古井ノ坂交差点から、東海道の呼続を結びます。当時この辺りにあった愛知郡の村々を結ぶ主要道として利用され幹線道路となっていました。そのため道路の両側には、古くからの商店が立ち並び商店街を形成しています。今では幹線道路とはとても思えない幅ですが交通量は相変わらず多く、大型トラックが駐車車両をぬうようにして通り過ぎていきます。「郡道」というのは「県道」や「市道」と同じでこの道だけを指していたわけではなく愛知郡内にはたくさんの郡道があったのですが、名古屋市となってからもこの通りだけは郡道と呼ばれ続けています。

 この郡道、昭和区内は吹上から荒畑を通り滝子へと抜けていますが、ここでは吹上から荒畑の手前までを歩きます。荒畑から先は白金・滝子編で歩くことにします。道路の両側には商店が広がっていて、電柱には商店街には必須であるプラスチックでできた草花が飾ってあります。西区でよく見られた屋根神さまを祀っている家も以前はあったそうですが、現在は無くなっています。ただ、建物は昭和初期を思わせるものが数多く残されています。

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▲古い建物の間に、たまにマンションという街並みが続きます。
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▲道路が狭いためか、かつてあった屋根神さまは取り外されています。

昭和を感じる未舗装路地-登城街道

 郡道の一本西にはさらに細い小道があります。他にも郡道を少しそれると舗装もしていないような路地もあり、周囲には木々に覆われたトタン造りの建物があったり、木の板で作られた塀など昭和のノスタルジーを感じる風景が広がります。私も幼い頃はこういう所を駆け回っていたものです。さて、その一本西の細い道は古井村道です。郡道ができる以前はこの道しかありませんでした。古井村道は御器所村から千種区の飯田街道までを結んでいました。そして、この道を通り御器所村から名古屋城へ出仕往来していたことから「登城街道」とも呼ばれていたそうです。現在も道路は残っていますが、100メートル道路で行き止まりになっているので北に抜けることはできません。

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▲一歩横道に入ると、こんな懐かしい風景が広がります。

メーコーダイは名古屋の産業の未来を担う-名古屋工業大学

 その村道脇には名古屋工業大学があります。名工大(メーコーダイ)は1905(M38)年3月に名古屋高等工業学校として創立されています。ものづくりが経済の要である名古屋にとって工学技術者を育成することは重要であり、名古屋地域の産業発展において大きな役割を担っています。そして郡道沿いにはその名工大生をバックアップするお店を発見しました。北山本町1丁目にあるヘアサロン・アダムスです。「名工大生割引あり」と大きな文字で書かれています。これからは理系学生もオシャレでなくてはなりません。学内では出会いが少ないでしょうから、アダムスでバッチリ決めて、今夜も合コンに出かけましょう。

 この名古屋工業大学は御器所町にありますが、御器所駅はここから南東1キロ強先にあります。御器所という地名はかつてこのあたりにあった御器所村に由来するのですが、御器所村は昭和区のほぼ全域に相当するので、御器所という地名は飛び地のように存在しています。ここは昭和区御器所町ですが、御器所駅は昭和区役所の前、御器所小学校は松風町と明月町に、さらに昭和区御器所はここから1キロほど南の荒畑駅南側となりバラバラです。御器所という地名のところに用事がある際は気をつけたいところです。ちなみにこのあたりは、熱田神宮の祭事に奉る土器を作っていたことから御器所と呼ばれるようになったそうです。御器所町にある名古屋工業大学ではセラミックス工学も研究されており、土器からセラミックスへと、御器所の地名に残る歴史は脈々と受け継がれています。

瓦屋根のコメダは隠れた休憩場所-コメダ珈琲店

 さて、そのアダムスを越えて少し歩くと右側にコメダ珈琲があります。コメダといえば名古屋を代表する喫茶店チェーンで、あちこちに大駐車場完備の大きなお店を見かけますが、ここはひっそりと隠れるように建っていて建物も古く、瓦屋根にコメダというミスマッチ感があります。そんな場所柄か、ここはタクシー運転手の憩いの場となっていて、駐車場はほとんどタクシーで埋め尽くされています。テレビ番組の取材でも、タクシー運転手に話を聞くときはこのコメダが登場することが結構あります。他のコメダですと、駐車場にタクシーが止まっていたら目立ってしまいますからね、ここならひっそりとサボれるというわけです。ってここで紹介したらマズいかな。

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▲コメダに瓦屋根。タクシー運転手でいっぱい。

道を絶たれた世界的名医が残したもの-小酒井不木宅跡

 さらに南へと歩き北山本町を抜け、左に曲がると桜花学園高校という四つ角の一本南側の道路を右に曲がります。そして少し歩くと、右側に小酒井不木宅跡があります。建物は全く残っていませんが、宅跡を示す看板のみがひっそりと残されています。小酒井不木は蟹江町出身の医学博士で、生理学、血清学を専門としていました。1917(T6)年に東北大学で医学部の助教授となり海外留学をするも病気を患い帰国します。そして1920(T9)年から40歳で亡くなる1929(S4)年までをここで過ごしました。小酒井不木の本名は光次で、不木はペンネームです。医者になぜペンネームが、とお思いになるかもしれませんが、小酒井氏は医学博士であると同時に、日本における推理小説の第一人者としても知られる小説家です。最初の著書は生命の神秘に関するものだったのですが、次第に人間の犯罪心理といった方向に傾倒し、探偵小説・犯罪小説などを数多く残しています。

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▲病を患った小酒井不木はこの地に住み、小説を書きました。

 世界的な名医への道を約束されていた不木。その道を病によって絶たれてしまいます。もちろん、自分の病状を誰よりも理解し日に日に悪化していくのを感じながら書いた小説。それは表紙を開くのも怖い題材ばかりです。この地でどんな暮らしをしていたのか...。小説を書くことが気を紛らわす手段だったのでしょうか、それとも医者として残したい想いを小説という形で残したのでしょうか。


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