名古屋で猪といえばやっぱり猪子石・触るとご利益&触ると祟り

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猪子石には石が2つある

今年は亥年。猪といって名古屋っ子がまず思い出す地名といえば、やはり名東区の「猪子石」でしょう。今から数十年前は猪が出没してもおかしくなかったような場所なのですが、今ではすっかり都市化が進み、さすがに本物の猪を見かけるような場所ではなくなりました。

しかし、猪子石という地名の語源ともいわれている、石そのものは今でもあります。しかも2つ。ところがこの2つ、片方は触るとご利益があり、もう片方は触ると祟られるという、間違うことができない石なのです。今回は亥年にちなんで、いのこし(猪子石)界隈をご紹介します。

猪子石と書いて「いのこし」

地名は「猪子石」と書くのですが、地元のほとんどの人は「いのこし」と呼びます。地名はほとんど「いのこいし」が正式名称となっていますが、「いのこし病院」など、固有名詞で残されています。私も猪子石のことは「いのこし」としか呼んだことがなく、「いのこいし」などと硬っくるしい呼び方をしたことはありません。

触ると祟りのツルツルの牡石

まずはその名も猪子石神社へ。猪子石西原バス停から南へ3本目の道路沿い、住宅街のなかにあります。この神社には、半分土に埋もれた大きな石があります。その姿は立派でかなりの大きさです。

これこそが一つ目の猪子石。「牡石」です。寝そべっているオスの猪にそっくりだからと名づけられました。表面はツルツルで、思わず撫でたくなってしまうかもしれませんが、触ると祟られると言い伝えられています。年初めの度胸試しに…ってダメダメ。

かつて農村では、旧暦の10月亥の日に「亥の子」を祝う信仰があり、この岩とその信仰が結びついて、このあたりの農村一帯を猪子石と呼ぶようになったと伝えられています。私が幼い頃はまだ農村風景も残っていたのですが、今では周囲に基幹道路やマンション、住宅が立ち並び、農村の面影は全くありません。

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触るとご利益のごつごつ牝石

続いてもうひとつの猪子石へ。猪子石西原交差点から南へ、京命交差点を南東に行き、猪子石公園のすぐ横にある大石神社にその石はあります。こちらも半分土の中に埋もれているのですが、見た目で先ほどの牡石とは様子が違うことがわかります。

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こちらは猪子石の牝石。表面にはいくつもの小さな石が付着していまして、子持ち石とも呼ばれています。ゴツゴツしていて、一見こちらのほうが触っていけない石なのではないかと思ってしまうかもしれませんが、こちらは子持ち石というだけあって、撫でると安産にご利益があるとのことです。かわいいけどやんちゃな、うり坊のような子を授かりたい方はぜひ。

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では最後に、猪子石城址にある猪子石神明社にも立ち寄ってみることにします。こちらは引山バスターミナルと猪子石原バス停のちょうど中間くらいの場所の、道路から1本南に入ったところにあります。この神社は一説によると874(貞観16)年に香流川沿いに創建されたもので、度重なる洪水を避けるため、後水尾天皇時代(1611-1629)に現在地に鎮座したといわれています。

社殿が立派なだけではなく、このあたりが農村だった頃の遺物ともいえる「馬具」や「刀槍」などを展示する資料館が併設されています。境内には土地区画整理を記念した石碑があるのですが、そこにも「周囲の風景は一変し面影も無い」と断言されています。

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龍に耳がある耳神様

この神社の境内には、全国的に見ても珍しい「龍」に耳がある耳神様を祀った「龍耳社」があります。と、ひとつの説明版にはあるのですが、もうひとつの説明版には耳がある「蛇」と書かれています。う~ん…。まあ、龍のように大きな蛇ということでしょうか。ちなみにそのご神体は碧南で畑市左衛門氏が生け捕りにしたものだそうです。だとするとやっぱり蛇ですよね。龍を生け捕りしたとしたら、すごい男だ畑市左衛門さん。

冒頭、猪子石を「いのこし」と呼ぶのが当たり前という、まるで地元民かのような発言をしましたが、何を隠そうここは私のふるさと。この猪子石神明社は私が生まれて初めてお宮参りをした場所。私の好奇心の原点とも言える場所です。もちろん、当時の記憶はありませんけどね。

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亥年。もう一度足元を見つめなおして、飛躍の年にできるように頑張りたいと思います。今年も当サイト、当ブログによろしくお付き合いください。お願いいたします。

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コメント

  1. YOSHI より:

    TOPPYさん。こんばんは。私はまさに亥年なので15日からの訪名の際には、ぜひ訪れようと思います。
    (2007/01/09 8:32 PM)

  2. トッピー@管理人 より:

    >YOSHIさま こんばんは
    猪子石神明社以外は建物も無くわかりにくいと思いますので、地図をご参考にしてください。紹介しておいてあれなのですが、実は私の今年の初詣は別の神社です…それについてはまたレポートします。
    (2007/01/10 12:38 AM)

  3. トッピーさん こんにちは
    猪子石神社はニュースで見て気になっていたので詳しい情報助かりました。
    (祟りがある事知っててよかった)
    今度行ってみます。
    このサイトは、はじめて拝見させていただきましたが、なかなか読みごたえのある内容ですね。
    又遊びにきます。
    (2007/01/21 5:30 PM)

  4. トッピー@管理人 より:

    >Pocketdaysさん こんにちは
    お役に立ててよかったです。
    これからも名古屋を中心にいろいろと面白いことを探して書いていきますので、よろしくお願いいたします。
    (2007/01/28 4:15 PM)

  5. パンダ より:

    30年くらい昔ですが、猪子石にお城の模したうどん屋があったと記憶しているのですが、今でいうどの辺にあったのでしょうか。当時はいつも夜に行っていたからか、真っ暗で森の中にあったような印象だったのですが。(お城のうどん屋は守山の瀬戸街道沿いにもありました。)
    (2007/10/02 8:46 PM)

  6. トッピー@管理人 より:

    >パンダさま こんにちは
    そういえば…なんかそんなうどん屋さんがあった気はするのですが、ちょっと思い出せないです。すみません。周囲にも聞いてみますね。
    (2007/10/12 5:09 AM)

  7. inokoshi より:

     私は地元に住んでいます。
     猪子石神明社の近くに「高木酒店」というのがあって(出来町通の南=バスレーン沿い・イシグロのすぐ東)、そこの向かいが昔の山口街道と新道(今のバスレーン通り)の分岐点だったそうです(猪高村物語:参照)。そこを奥に入ると、「兜塚」というものがあるそうですが、ハテ……。この前行ってみたのですが、それらしきものは何も無く、探しているうちに暗くなってしまったので、残念です。もしかしたら、区画整理でなくなってしまったのかも知れませんね。なにしろ、「猪高村物語」という本自体、1988年に出版されたものなので。猪子石原地区は猪子石周辺でも区画整理の終了が、おそらく一番新しいと思うので、探しがいがありそうです。それでは、また来ます!
    (2008/11/20 6:31 PM)

  8. トッピー@管理人 より:

    >inokoshiさま こんばんは
    私が幼い頃とも、猪子石あたりの風景はかなり変わってしまいましたから、ひょっとしたら兜塚もどこかに移されたとかかもしれませんね…。畑があちこちに広がっていて、路地裏に井戸なんかがあったりしたあの頃の引山を、今の姿から想像するのはちょっと難しいくらいですし…。
    今後とも当サイトをよろしくお願いします。
    (2008/11/22 3:30 AM)

  9. inokoshi より:

     こんにちは!
     この前探しても見つからなかった「兜塚」ですが、もう一度探しても見当たりません。「猪高村物語」の記述通りに行ってみたものの、やはり家ばかり。地元の方、数人に訊いても、「よくわかんないねぇ」と一言。「猪高村物語」に記述のある「薬師寺」や「和示良神社」、「猪子石(2つ)」などはありました。
     区画整理もいいですけど、ゆかりのあるものは残してほしいですね。
    (2008/11/26 7:11 PM)

  10. トッピー@管理人 より:

    >inokoshiさま こんにちは
    名古屋市って結構そういうところはあっさりしてて、古墳を半分壊して住宅にしたりとか、平気でしますからね。今も守山区志段味あたりの古墳群ではそんな工事が進んでそうな気がします。
    (2008/11/27 3:08 AM)

  11. inokoshi より:

     こんにちは!
     「名古屋を歩こう」の名東区・上社についてコメントしたいことがありましたが、どこにコメントしていいか分からなかったので、ここにコメントさせてください。
     「名古屋を歩こう」にありました、「上社駅」についてですが、確かに開通当時はありませんでした。その理由ですが、市交通局が地下鉄の開業50周年を記念して発刊した「名古屋の地下鉄~メモリアル50」によれば、「昭和44年4月1日に星ヶ丘・藤ヶ丘間が開業し、~(中略)~区間内の上社駅については土地区画整理組合との調整に時間がかかり、45年12月10日に開業しました。」とあります。これは具体的に何を調整したのかはよく分かりません。でも、「猪高村役場があったところ」が関係しているかもしれませんね。
    (2008/11/27 8:56 PM)

  12. トッピー@管理人 より:

    >inokoshiさま こんにちは
    調整というのはたぶん、駅となる敷地を無償で明け渡して欲しい…いや有償だ!無償だったら駅作るけど、有償なら作らないよ…といったやりとりがあったものと想像できます。
    東山線の終点についても、当初はもっと名東区の北の方にする予定だったのが、そっちの土地区画整理組合との調整が不調に終わり、藤森との調整がついたことから、藤が丘が終点になったという話を聞いたことがあります。
    (2008/12/02 5:02 PM)

  13. inokoshi より:

     こんにちは!
     東山線の終点についてですが、「香流川物語」にある話が載っています。これはかなり興味深いものです。
     東山線はもともと藤が丘まで行く予定はなく、当初の原案によれば、上社から北へ折れて猪子石を終点とする予定だったらしいです。おそらく、今の引山あたりだと思いますが…。そこで、車庫が必要となるため、名古屋市は猪子石に用地提供を求めました。しかし、猪子石側は、これを拒否しました。それを知った藤森新田が用地提供を申し入れたということです。
     また、名鉄瀬戸線が矢田川の南部を通るのにも反対したとか、県道にバスを通すのさえ反対した人がいたとか…。
     基幹バスが通るようになったものの、もし、地下鉄や瀬戸線が猪子石まで来ていたら、今とは違う猪子石になっていたでしょうね。
    (2008/12/02 9:10 PM)

  14. トッピー@管理人 より:

    >inokoshiさま こんばんは
    やっぱり、そういう経緯があったんですね。それにしても、引山あたりにだけ今も昔の名東区の面影があるのには、そういった方々の心情に理由があったんですね。
    (2008/12/04 1:22 AM)

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