NAGOYA REPORT 名古屋外食産業事情特集

儲からないなら辞めちゃう!その潔さが名古屋らしい

記事公開日:2005年11月12日 更新日:

 名古屋のファミリーレストラン事情の5回目です。今回からは、名古屋を地盤とするファミリーレストランチェーンを見ていきますが、そのほとんどが無くなってしまったか、時代に翻弄され苦難の道を歩んでいます。無くなってしまったあのファミレスの会社は今どうなっているのでしょうか。

名古屋のファミレスといえばかつては...

地中海

 関東から九州まで95店舗を展開する「しゃぶしゃぶの木曽路」。木曽路は居酒屋の「素材屋」、イタリア料理の「ステラコーレ」なども展開し、2000 (H12)年には東証1部上場を果たしているのですが、撤退した事業があります。木曽路はかつて「地中海」という名のファミリーレストランを手がけていました。十数年前まではテレビCMを頻繁に流すほどで、名古屋で「地中海」の名を知らない人はいない程でした。

 私が勝手に名づけましたが、サイゼリヤやガストが名古屋に猛攻をかけた90年代後半の「名古屋ファミレス戦国時代」に、この地中海も迷走してしまいます。地中海はその名に反し、特に地中海料理にこだわったレストランだったという記憶はありません。ただ、高級なイメージはありました。しかしバブル崩壊とともに客足が遠のいてしまったのか、90年代半ばになると急に低価格路線に転向。スペースに余裕のある店だっただけにサラダバーやスープバーを導入しました。

 そしてドリンクバーを導入した他チェーンに対抗するためにドリンクの飲み放題を導入するのですが、これがあろうことかオーダーバイキング方式を採ったのです。飲み放題にもかかわらず、いちいちウェイトレスがジュースを運ぶのです。客が自らドリンクを取りに行くドリンクバー形式にするのであれば、飲み放題にしても人件費が浮く利点がありますが、オーダーバイキングでは人件費が増大するばかりだったでしょう。

 1997(H9)年の秋には、地中海は低価格路線を辞め高級志向に再び戻ります。木曽路グループであることを全面に押し出し、しゃぶしゃぶの肉を流用することで和牛ハンバーグを目玉としました。しかし時は既に遅し。一度ついてしまった低価格化のイメージを払拭することはできず、この後、木曽路は地中海というファミレス業態を捨てることになります。

 その後の木曽路グループは、ファミレスを切るという英断が功を奏し、東証1部上場を果たし、現在は居酒屋業態の素材屋も東京から大阪まで60店舗を展開するまでに大きくなりました。

 私は幼い頃「地中海に行くのは特別な日」というイメージが脳裏にあったので、地中海の低価格化には当時ショックを受けました。低価格化を嘆いた私のような人が多かったのではないでしょうか。

ファミレスをやめたことで生き残った

アンデルセン

 西三河に店舗展開をしていたファミリーレストラン「アンデルセン」。かつては頻繁にラジオCMを打っていました。そのCMは「ハンバーグが380円のアンデルセンならお財布も安心」といった具合で、徹底的に低価格路線を打ち出したものでしたが、メニューにこれといった特徴は感じられず、メニュー全てがガストほど安かったわけではありませんでした。

 90年代に入っても、店舗の外装も内装も、そしてテーブルなども70年代のままといった雰囲気で、狙った70 年代ではなくリアルな70年代が残されていました。実際は70年代に作られたお店だったのかどうかはわかりませんが...。いくら安くとも、そんな状態のお店の外観が、立ち寄り難いオーラを発していたような気がします。

 やはりここも先述の名古屋ファミレス戦国時代に埋没。ファミリーレストラン事業からは撤退してしまいます。現在はかつてのアンデルセンを「海老かつとんかつ・楽一楽座」、イタリアンの「おりいぶマァム」などに業態変えし、新規出店を果たすまでになりました。今はアンデルセンという看板は掲げていませんが、会社名はアンデルセンのままです。ここも木曽路同様、ファミレスという業態を捨てることで復活を果たしているのです。

あの、ポテトは注文していませんけど

あさくまジュニア

 名古屋市周辺に、関東から九州まで34店舗のステーキレストランを展開する「あさくま」。そのあさくまがファミレス事業を手がけていたのをご存知の方は少ないかもしれません。あさくまは、1982(S57)年の西部警察名古屋ロケで一躍有名となりました。その回の西部警察では、あさくまを中心に事件が展開し、藤ヶ丘店を爆破するという大胆なロケを敢行。その名を全国にアピールしました。

 名古屋ではステーキチェーンとして確固たる地位を築いていたのですが、先述の名古屋ファミレス戦国時代に、これまでご紹介したチェーンとは逆で、果敢にもファミレス業態への参入を果たしたのです。

 その名は「あさくまジュニア」。その爆破したあさくま藤ヶ丘店の道路の向かい側にオープンしました。ドリンクバーを採用するなど時代の潮流に乗っていて、さらにフライドポテトが無料サービスという革新的なこともやっていたのですが、運ばれてきた料理を見て私は愕然。それまであさくまに持っていたイメージが音を立ててガラガラと崩れるほどの品質。

 二度とあさくまジュニアを訪れることはありませんでした。やはり安かろうまずかろう路線は受け入れられず、その後1998(H10)年にあさくまジュニアの敷地は「プリマベーラ」という高級レストランに変貌するも、またもや消えていきました。

 現在のあさくまは、ステーキレストランという本業だけに集中されているようです。あさくまはコーンスープとドレッシングが絶品。私はこれを味わいたいがために行くこともあるほどです。

火曜日のサザエさんをなぜか思い出す

ブロンコビリー

 あさくまの話が出ましたので、名古屋ではステーキレストランの双璧を成すといっても過言ではないもうひとつのチェーン「ブロンコビリー」をご紹介しましょう。こちらはずっとステーキハウス一筋で、ファミレス業態に進出したことはありませんが、ドリンクバーを導入するなど、お店の雰囲気はファミレスっぽさがあります。昔は火曜日にサザエさんの再放送があったのですが、名古屋で火曜のサザエさんといえばブロンコビリーのCMというイメージがありました。

 ブロンコビリーは1978(S53)年に創業し、90年代に急速に店舗を拡大しました。かつてはアメリカの牛であることを全面に押し出していて、確か店先にアメリカの国旗が掲げてあった記憶があるのですが、ある日大胆な方向転換をします。これも確か名古屋ファミレス戦国時代の頃だったと思います。 1997(H9)年頃のことでしょうか。ブロンコビリーはオージービーフになりましたと大々的にアピールしたのです。

 当時、味がいきなりガクっと落ちた記憶があります。しかしそれは低価格のファミレスへの対抗のためにやむを得ない選択だったのでしょう。

 その後、ブラック・アンガス種という最も味の良いオージービーフに、240日以上穀物肥育を行い、甘くてジューシーなブロンコビリーオリジナルの「ぶどう牛」を開発し、さらには一時辞めていたサラダバーを復活するなど努力を重ね、近年はアメリカ産牛肉を使っていないことが逆にプラスとなり、BSE騒動も乗り切りました。

 ここも、ステーキへの徹底したこだわりによって戦国時代を勝ち抜いたと言えるでしょう。チーズをかけてくれるサラダがたまらなくおいしかったのですが、サラダバーになってしまったのが残念。

 と、4つのチェーンを見てきましたが、無くなってしまったレストランチェーンも結局は業態転換や本業回帰などで生き残ることに成功しています。ファミレスでありながら、ファミレスという業態を潔く捨ててしまうさすが名古屋の企業!と言いたいところなのですが、次回はこれらとは対照的に時代に、会社自体が時代に翻弄されてしまったアトムグループやキャッツカフェなどを見ていきます。

協力:yueさん

※以上は2005/11/12にメールマガジンとして発行したものです。


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