★岡多線計画・瀬戸市-品野間を行く
★この風景もあとわずか
★品野は瀬戸と空気が違って当然
この9月30日をもって、路線バス事業から全面撤退するJR東海バス。かつての国鉄バス発祥の地である、瀬戸市のJR東海バス路線を3回にわたってシリーズでレポートしています。
前回は、なぜ瀬戸が国鉄バス(当時は省営バス)発祥の地となったのかを探り、そしてその痕跡を見ました。今回はその日本初の国営バス路線である、現在の「瀬戸北線」をじっくりとたどります。
岡多線のうち今もバスが走っているのは…
21世紀に入り、JR東海バスは路線バス事業を縮小してきました。現在運行されているのは、今回特集している国鉄岡多線の代替であった「瀬戸北線」のほか、瀬戸市駅と水野団地を結ぶ「瀬戸循環線」、春日井駅と大池住宅を結ぶ「春日井線」、高蔵寺駅と玉野台団地を結ぶ「玉野台循環線」、そして大曽根駅と瀬戸みずの坂を結ぶ「ゆとりーとライン」の5路線です。このうち、ゆとりーとラインは他社との共同運行となっています。
我が国初の国営バス路線となった、省営バス岡多線のうち、現在も鉄道が敷設されずじまいとなっている、瀬戸市-多治見間のうち、瀬戸市-品野間とその支線の上品野までで運行されているのが「瀬戸北線」です。
瀬戸北線は、愛知環状鉄道瀬戸市駅からの運行です。駅の西側にあるターミナルには、JR東海のバスが複数停車しています。ここを起点に、瀬戸北線、瀬戸循環線が運行されています。
瀬戸北線の走る道を行く
「瀬戸北線」は、瀬戸市駅を出発すると、次は「瀬戸追分陶生病院前」。ここにはJR東海バスの瀬戸支店があり、車庫があります。路線バスは全てここから発車します。ですので、ガイドウェイバスゆとりーとラインの車両も停車しています。
ゆとりーとラインは、名古屋ガイドウェイバス、名鉄バス、名古屋市交通局、JR東海バスの各社がこれまで運行してきましたが、このJR東海バスの路線バス全面撤退により、JR東海バス単独運行区間である、志段味-瀬戸みずの坂間は完全に廃止となります。
瀬戸市駅から瀬戸駅前まで、「市役所北口」「瀬戸京町」「滝之湯」と、JR東海バスは名鉄瀬戸線と並行して走ります。片や名鉄バスが瀬戸街道経由なのとは対照的です。まあ、名鉄バスが名鉄電車と同じところを併走する意味は無いですから、当然といえば当然なのですが…。
そして名鉄尾張瀬戸駅の北側に、新しく誕生した「瀬戸駅前」バスターミナルへとJR東海バスは入ってきます。ここは名鉄バスと同居する格好になっています。この風景も今月限りです。
名鉄バスとは仲が悪かった?今は良い?
瀬戸駅前を出発すると次は「瀬戸記念橋」。前回ご紹介しましたとおり、かつてJR東海は「瀬戸記念橋駅」という駅舎を川の南側に構えていたため、北側を一方通行で走るこの路線は、いったん橋を渡って客を乗降させて、再び北側に戻るという、とても複雑な導線を描いていました。
それもこれも、瀬戸市は中心部が川を挟んだ一方通行という、特殊な道路事情に拠るところが大きかったわけですが。
現在は、名鉄バスの記念橋と同じ場所に落ち着いています。以前、この記念橋と同じように、名鉄バスとJR東海バスでは停留所の設置に違いがあることが多く、国道248号を南に走っていた瀬戸南線では、JRには「御殿橋」「萩殿町」という停留所があるのに、名鉄はスルーなんてこともありました。
しかし今では、名鉄も「御殿橋」「萩殿町」というバス停を設け…一方のJR東海は瀬戸南線から撤退し、かつてJR東海バスしか停留所を置いていなっかたところに、名鉄のバス停とコミュニティバスだけがあるという格好になっていたりします。
話は戻って、瀬戸北線です。記念橋の次は「宮前」「中橋」。昔ながらの陶器店や和菓子店、住宅が立ち並ぶ、瀬戸らしい風景のなかをバスは走っていきます。
川とお別れ・名鉄バスとお別れ
「瀬戸公園」バス停までやってくると、いよいよお別れです。何とお別れかといいますと、名鉄バスそして瀬戸川とです。
道路の間を流れている瀬戸川は、ここで国道と「合流」しており、ここから北側の国道は、普通の道路になります。
「古瀬戸」バス停は名鉄もあるのですが、名鉄のバス停は東古瀬戸交差点を赤津方向に曲がったところにあるため、古瀬戸からはJR東海バスのバス停だけの区間となります。
その昔、この古瀬戸バス停横には、いわゆる夜になると中身がわかる本の自販機があったのですが、既になくなっていました。バスの撤退よりも、エロ本自販機の撤退の方が先だったとは。
古瀬戸の次はログハウス風のバス停が目に付く「紺屋田」そして「伍位塚」です。地名としては五位塚なので、違和感を感じます。ちなみにこの五位塚、右手には住宅団地、そして左手には大きなうどん店が2軒ならんでいます。
瀬戸の郷は回転すし店と併設、そしてもう一軒の香流庵は駐車場がいつも満車の人気店。どちらもオススメ。
バローの目的は一体…
その次は、消防署と市長の会社がある「品野口」。ここには長年、市内の赤重地区から移転してきたスーパー、スパーランド品野があったのですが、少し前にバローとなり、現在は廃墟となっています。閉店したのは今月。
こちらも、先ほどの本の自販機と同様、JR東海バスの撤退を待たずしての撤退となりました。でも、ここにバローがあることにはすごく疑問を感じていました。なぜなら…。
ここから道路は細くなり、坂道となります。このあたりは、バス停といっても車道の切り込みはなく、バスがお客を乗降させている間にバスを抜くことはできません。
しかも、「馬場(ばんば)」、「品野坂上」のあたりは、その先に新たに設置された信号機の青の時間がどう見てもめちゃくちゃ短いため、日常的に渋滞しており、バスを抜かすなどというのは至難の業。加えてノロノロですから、ストレスがたまります。でもこれ、その先の品野での右折待ち渋滞を減らすために、どうやら意図的に渋滞を起こさせているようにも見えます。
コンビニの残骸がある「品野火の見下」と「品野本町」の間には、酒蔵の跡地に建つショッピングセンター「バロー」が。もともと、こんなに近くにバローがあったのに、先ほどのスパーランド品野の場所を取得して、バローを出店していたのは一体なぜ。
ひょっとすると、他のスーパーを進出させないためだけに買収して、それだとイヤらしいから、一時期だけバローを出店してみたって感じ…?
どちらにしろ、この先にある多治見市を本拠としているバローが、瀬戸市をホームタウン化しようと必死なのはここ最近の出店攻勢を見ていると、伝わってきます。
品野は瀬戸とはまた違った空気があって当然
品野本町までやってきますと、商店や陶器店なども増えてきて、少しだけですが街の中心部といった雰囲気を感じさせてくれます。その次のバス停は、前回「品野駅前」の標識が残っていることをご紹介しました「品野」です。
この品野の中心部で、少し浮いた存在のように感じてしまうのが、愛知銀行です。瀬戸市には瀬戸信用金庫という地盤の金融機関があり、もちろんこの品野にもメインストリートに店舗を構えています。
一方、愛知銀行品野支店は、ちょっと奥まったところに店舗を構えています。しかも、一見すると中核店舗のような規模の建物。この山間部に地方銀行が支店を構えているだけでも不思議なのに、これだけ立派な建物なのには…実は理由があるのです。
瀬戸市にはかつて、(瀬戸)東部・(瀬戸)南部・(瀬戸)北部・今村・赤津・品野と、6つの信用組合がありました。このうち、品野をのぞく5つの信用組合は1943(S17)年に合併し「瀬戸市信用組合」となり、戦後「瀬戸信用金庫」になるのです。
当時、品野町は東春日井郡で単独町制を実施しており、瀬戸市ではなかったことから、この合併には加わらなかったことに疑問は感じません。一方、瀬戸市信用組合は品野町に1947(S22)年に進出。品野支店を設置しています。
その後、1959(S34)年に品野町は瀬戸市となるのですが、品野信用組合は単独で存在し続けます。そして、1967(S42)年には本店を新築するのです。
しかし、単独での生き残りに限界を感じたのか、1973(S48)年4月、合併するのです。とはいえ、既に瀬戸信用金庫品野支店があったため、瀬戸信用金庫との合併ではなく、中央相互銀行との合併を果たすのです。
中央相互銀行はその後、愛知銀行となり、現在に至ります。
話がかなり逸れてしまいましたが、品野はそれほどに、瀬戸市とはまた違った商圏、経済圏を形成していたのです。そんな品野と瀬戸市を結ぶJR東海バスの全面撤退。
さぞかし地元は困っているかと思いきや、そうではないのです。むしろ便利になって嬉しいという言葉も聞かれるほど。
なぜ、便利になるのか、そこは瀬戸市が頑張ったのです…よね?それは次回です。
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