中村区[1] 名駅1丁目
中村区と言えば、名古屋の玄関口「名古屋駅」のある区です。現在の名古屋駅は近代的なタワービルになっていますが、ほんの数年前まで、1937(S12)年完成の駅舎を使用していました。当時は東洋一と言われ近代の駅ビルのモデルとなった建物でしたが、老朽化は激しく、新たな駅ビル計画が持ち上がりました。それが現在の「JRセントラルタワーズ」です。
※記述は2004(H16)年2月取材時のものです。現在「新名古屋駅」は「名鉄名古屋駅」となっており、中部国際空港行きなど新路線も登場しています。ギネス記録は取り消されました。
東洋一から世界一へ・ギネスへの意地-JRセントラルタワーズ
1990(H2)年に基本計画が発表され、1993(H5)年にはかつての駅ビル解体工事が始まりました。そして4年の月日を経て完成。1999(H11)年には展望台など一部の施設がオープンし、翌2000(H12)年3月にJR名古屋高島屋が、5月には名古屋マリオットアソシアホテルがオープンし、駅前の風景は一変しました。
▲JRセントラルタワーズを、桜通口から見上げます。
かつての名古屋駅が東洋一だったことを知り、当時も今も名古屋っ子気質は変わっていないと感じました。名古屋は常に東京・大阪に次いで三番手であり、さらに地方都市から「偉大なる田舎」と揶揄されることが多く、名古屋っ子は常に劣等感を抱いています。そのせいか、こういった建造物を作る際にはとにかく○○一を目指すのです。
東洋一だったのは名古屋駅だけではなく、1954(S29)年に作られた「名古屋テレビ塔」は日本で初めてのテレビ塔であり、高さ180mで当時は東洋一を誇っていました。
しかし、旧名古屋駅は近代駅ビルのモデルとなったことで、逆にあちこちに似たような駅ビルが建造されることとなり、特徴の無いよくあるタイプの古い駅ビルに成り下がってしまい、テレビ塔も1958(S33)年に東京タワーが完成すると、その333mという高さには全く及ばず影の薄い存在となってしまいました。
「名古屋駅を新しくするなら、今度は世界一を。」
ということで、JRセントラルタワーズは高さ245mと、世界一高い「駅ビル」としてギネスブックに登録されました。しかし、それまで「駅ビル」というジャンルはギネスブックには無かったそうです。世界一として登録するために、わざわざ「駅ビル」というジャンルを作らせてまでも自慢したいのです。ライバルは今後出現するのでしょうか。
▲桜通とは反対の太閤通口から見ますと、右と左、形が違います。
そして、ツインタワーと言えば誰もが真っ先に思い浮かべるのが東京都庁だと思います。もちろん、後発ですから東京に負けるわけにはいきません。
かつて東京タワーに抜かれた、テレビ塔のリベンジです。東京都庁の高さは243m、JRセントラルタワーズは245m。わずか2mですが、東京都庁よりも高いのです。他の地方から見れば、くだらない意地っぱりぶりかも知れませんが、名古屋っ子にとっては非常に重要な問題なのです。
▲太閤通口には「駅麺通り」という全国のラーメンが食べられる所がひっそりあります。でも混んでます。
「セントラル」の幻惑-JRセントラルタワーズ
ところで、このJRセントラルタワーズ、何がセントラルなのかと言いますと、会社名なのですが、それには訳があります。JR東海のタワーズということで、JRセントラルタワーズなのです。
どういうことかと言いますと、JR東海の正式社名は東海旅客鉄道株式会社です。ところが、英文社名は「Central Japan Railway Company」です。直訳すれば中日本鉄道ということになります。そのセントラルが由来なのです。
他のJR各社はと言いますとJR東日本は「East Japan Railway Company」、西日本は「West Japan~」、北海道は「Hokkaido~」、四国は「Shikoku~」、九州は「Kyushu~」、貨物は「Japan Freight Railway Company」です。
英文社名だけを並べると、「Central」が一番大動脈を担っているように感じますよね。このあたりのまやかしも、いかにも名古屋っ子が考えそうなことです。「Tokai Railway Company」と「Central Japan Railway Company」では全く印象が違ってきますし、「JR東海タワーズ」と「JRセントラルタワーズ」を比べても全然違います。
実際、JR東海は東海道新幹線全線を営業範囲にしていますから、日本の大動脈を担っているわけです。しかし、このJRの区分けもよくわかりません。そんないわゆるオイシイ路線を東海は受け持っているにもかかわらず、北陸の不採算ローカル線を押し付けられて(?)いるのはなぜか西日本です。これでは、東海だけが儲かってウハウハなのは当たり前です。
かつての国鉄を地域分割する際に、東日本や西日本は文句を言わなかったのでしょうか。
ま、名古屋っ子にとっては、この状況から生まれたJR東海の大きな収益が名古屋に還元されて都合がいいので、これ以上この話題には触れないことにします。
▲キヨスクには様々なおみやげ。「お菓子な小倉トースト」って…。おかしいみたいじゃん。おかしい?
誰も「名古屋駅」なんて呼びません・行政さえも-名駅(メーエキ)
さて、名古屋を訪れる方の多くはJR線、特に新幹線を利用されると思います。そこで、最初に降り立つのがこの中村区…と思いきやそうでもないのです。
名古屋駅は中村区の端に位置しており、大阪方面から新幹線に乗ってきた場合、後ろの車両から降りるとそこは西区です。また、関西本線、中央本線、東海道本線でもホームの北半分は西区になっています。だからと言って、ホーム上に「西区」といった標識はありませんけれども。
▲名古屋と言えばやっぱり地下街。でも名駅地区は栄より比較的静か…。
この名古屋駅がある場所の住所は「名駅(めいえき)」です。名古屋っ子は名古屋駅のことを「名駅」と略して言うのですが、それが地名になってしまっているのです。駅名が知名になっていること自体が珍しいことです。「東京都千代田区東京駅」なんて住所を書いたら、駅にお住まいなのですか?と言われて、変な誤解を生みそうです。
しかも通称の「名駅」なのですから、ますます不思議です。また、区域が入り組んでいるために、住所には「中村区名駅」と「西区名駅」とありますので、ビジネスでお越しの際はしっかりと取引先の住所を確認しておきましょう。そしてこの「名駅」の発音ですが、「メイエキ」ではありません。平坦に伸ばして「メーエキ」です。
名古屋に転勤の際は、この言葉を覚えることが第一歩です。ちなみに、JR名古屋駅は中村区名駅1丁目と西区名駅1丁目に跨っています。
▲太閤通口には提携都市一覧が、ロス側って本気で提携してる?
22もの行き先の列車が全て同じホームに-名鉄名古屋駅
さて、名古屋駅にやってくる電車はJRだけではありません。名古屋鉄道(名鉄)と近畿日本鉄道(近鉄)、そして地下鉄があります。近鉄は三重県方面から新名古屋駅まで乗り入れており、名古屋が終点となっています。ホームは5つあり、ひとつは降車専用ですが、あとの4つは普通、準急・急行、特急、特急とわけられており、とてもわかりやすいのですが、問題は名鉄です。
名鉄の名鉄名古屋駅(旧新名古屋駅)はターミナル駅にもかかわらず、線路は上り下りの2本の複線です。複々線化されていないのです。乗車ホームはその両側に2つのみ。中央は降車と特急特別車専用乗車ホームが2つとなっています。つまり、一般の乗車ホームは上りに1つ、下りに1つしかないのです。ところが、やってくる電車はそんな単純ではありません。各ホームにやってくる電車の行き先は次の通りです。
1番ホームに名古屋本線の豊橋、伊奈、国府、東岡崎、新安城、知立、豊明、鳴海、神宮前、金山行きが、そして本線-豊川線経由の豊川稲荷、本線-西尾線経由の西尾、吉良吉田、本線-蒲郡線経由の蒲郡、本線-三河線経由碧南、猿投行き、さらに常滑線の太田川、大野町、常滑行き、河和線の知多半田、河和、内海行き、計22もの行き先の電車がやってきます。これら全てがひとつのホームに入ってくるのです。
そしてさらに複雑なのは4番ホームです。名古屋本線の栄生、新一宮、新岐阜行き、本線-津島線の津島、弥富、佐屋行き、犬山線の岩倉、犬山、新鵜沼、新可児行き、犬山-広見線経由御嵩行き、犬山経由新岐阜行きと、こちらもこれら全てが同じホームにやってきます。しかも新岐阜行きは、同じ行き先でも通る線路が違う本線経由と犬山線経由の2つ路線があります。
▲新幹線は太閤通口です。駅裏と呼ばれていますが…。最近は活気がでてきました。
こういったことから、時間帯によっては1分ごとに違う行き先の電車がやってくるわけなのです。そのため、ホームの前後を使い分けたり、停車位置を少しずらして乗車位置を変えたりと、涙ぐましい努力をしているのです。
ですので、新名古屋駅から名鉄電車に乗るときは、目的地の駅にはどの列車が止まるのかを完全に把握し、その列車は何分に何番ホームの何色の何番から何番の乗り場に到着するのかをチェックしておかなければスムーズに乗ることができないのです。
私は瀬戸市に住んでいて名鉄瀬戸線を利用していますが、この路線は栄町止まりで新名古屋駅には接続されていないので、名古屋駅へ行くときは地下鉄を利用します。そのため滅多に名鉄新名古屋駅を利用することはありません。ですので、新名古屋駅には未だに慣れず、行き当たりバッタリで電車に乗ることができません。
岩倉に住む友人の家に、新名古屋駅から一緒に遊びに行く時も不思議の連続でした。友人に連れられホームに行くと、既に行列ができていたにもかかわらず、友人はその横に割り込むかのように短い列に並んだのです。
「そんなことしていいの?」
と聞くと、友人は黙って目の前の電光掲示板を指差しました。そこには様々な色のランプとともに行き先が書いてあります。つまり、今自分が並んでいる列と、すぐ隣にある列とでは待っている電車が違うのです。
東京ではよくこういう光景を見かけますが、それはただ同じ行き先の次の電車を待っているのであって、全く違う行き先の電車を待っているわけではありません。
しかも、行き先だけでなく急行や普通などさまざまな種別の電車が次々とやってくるために、駅のアナウンスはひっきりなしです。
「次の急行○○行きは、○色の○番から○番にてお待ちください。この列車は○○、○○に止まります。」
こういったアナウンスが止むことなく次から次へと繰り広げられるのです。もちろん肉声です。コンピューターで管理するほうが逆に面倒そうです。私は未だに名鉄新名古屋駅には恐怖を感じます。しかし、普段利用している人はわかりきっているのか、スタスタと迷うことなく目的の列に並ぶのです。
▲次とその次に来る列車を示すランプがつきます。そしてその前に並びます。
名鉄新名古屋駅を使いこなしている人は、たぶん全国どこへ行っても苦労することなく電車に乗ることができるでしょう。もし、ビジネスや旅行などで名鉄新名古屋駅から電車に乗ろうとしている方がいらっしゃいましたら、充分に下調べをしてからお越しください。
名古屋へ来るときの列車は、降車ホームで降りるだけですが、名古屋から帰ることができなくなるおそれがあります。一宮に行くつもりが犬山に行ってしまったなどということが起きる可能性が充分にあります。
▲やっぱり安心地下鉄桜通線。そのかわり本数少なく、かなり待たないと来ません。
ちなみに、これ以上のホームの拡張は権利の関係からも困難らしく、名古屋鉄道のメインステーションである新名古屋駅は、これからも2つのホームで頑張っていくそうです。私は名鉄名古屋本線に乗るときは、これからも金山駅を利用することでしょう。本気で勉強しなきゃわからないよ、あのシステムは…。
▲こちらは近鉄名古屋駅。1方向にしか運行していないのに名鉄よりホームが多いなんて…。
コメント
Toppy様、名古屋駅は今も昔も「名古屋の自慢と誇り」です。今回の「JRセントラル・タワーズ」のレポート、嬉しいまでに誇らしい事ですね。「世界記録であると同時に 新ジャンルを加えた」訳ですから。
国鉄時代からの「旧名古屋駅」は前世紀70年代の小学校教科書「東京書籍・新しい社会」にカラー写真で載っていたのを憶えています。「旧駅舎」がどれ程の凄い存在だったのかは 駅規模もさる事ながら当時(1930年代)の最先端デザインだった事にも在ります。
今から見れば 何の変哲も無い「四角い建物」でしたが「ニューヨーク・エンパイア・ステートビル」と同じ様式のデザイン建築だった訳です。去年初頭の「東京中央郵便局庁舎」の解体の件で「元・総務大臣」鳩山邦夫氏が「郵政公社」と対立してニュース沙汰になった事も その建築デザインにあった訳です。鳩山邦夫氏は「歴史的価値の有る建物だ。」と仰っていました。
東京駅丸の内口横の「東京中央郵便局」と「旧名古屋駅」共に 現代にまで続く「モダン建築」の歴史的始まりの頃の建物だったのです。それ以前はビルと言えども「職人たち」に依る石組み風の「ゴシック建築」が主流でした。(中世の洋城的デザインと言えば解り易いでしょうか。)
そこへ「垂直・水平・直角・直線」の機能優先、装飾排除のシンプルな建築物が現れ、「機械化・工業」の新時代デザインとなったのです。当時は相当な「近未来的」だったでしょう。
対する「ゴシック建築」とは「王侯貴族達」の栄華を誇示する代物でした。1920年代 ニューヨーク・マンハッタン、ドイツ・ベルリンに「貴族階級」とは無縁のシンプルな「モダン建築」が建ち、大都会を形成。「ロンドン・ビッグベン」「ベルサイユ宮殿」を一気に古めかしくしてしまったのです。
その新時代デザインを何処よりも早く駅舎に採り入れた「名古屋駅」。しかも「電気、上下水道、都市ガス、電話回線、正面外壁とコンコースに電気式大時計、放送設備」と各インフラも後付けで無く設計段階から盛り込まれ、当時新工法の鉄筋コンクリート。結果、東洋一の巨大駅舎となったのです。
全国を見渡しても駅舎で「モダン建築」は、此処だけでした。当時「名古屋駅」に降りて来た人たちは驚いた事でしょう。内外装共、潔いまでに「直線・直角」天井、壁は一切の装飾を排した「平面」。窓も四角く整然と配列。電気式大時計を掲げた吹き抜けの巨大コンコース。「マンハッタン」「ベルリン」と同じ大都会の空気が そこにあったわけですから。
戦後になってから、全国の各駅舎も「名古屋駅」の後を追う様に「モダン建築」に改築。「名古屋駅」周辺も「モダン建築」が建ち並びましたが 名古屋の玄関としての貫禄は半世紀以上も続きました。
新世紀を向かえ 生まれ変わった「名古屋駅」。「JRセントラル・タワーズ」と言われる理由が歴史的に在り得ます。
明治期、「鉄道省」は鉄道関連の祝賀行事を「名古屋駅」で行いました。それは北海道から九州までの、日本の中間(もっと言えば中央)に「名古屋駅」が在ったからでした。「JRセントラル」の名称は、あながち驕って言ってる訳でも無さそうです。 又してもの 長文申し訳有りませんでした。
>ara40oyajiさま こんばんは
東洋一、世界一、中央、central。
関東や関西の人にとっては、どうでもいいことを、
誇らしげに主張して虚勢を張る、
名古屋らしさ満載な名古屋の玄関が、
名古屋らしくて私はとっても好きです。