春田野-農業がテーマの都市公園とは

広告

広告

港区[2] 春田野

画像

西福田新田の東端-熱田社

西福田小学校から東海通へ出ます。そして西福田交差点を越え、次の新東福橋西交差点を右折して南へと歩きます。するとすぐに道路が神社を避けるようにして細くなります。

画像
▲道路が神社を迂回します

すぐ東側を戸田川が流れここは西福田新田の東端になります。西福田新田は三代将軍家光のころの1643(寛永20)年に鬼頭勘兵衛景義によって干拓されました。

この神社、熱田社の創建は不明ですが、西福田新田東ノ割の氏神さまとして1887(M20)年に鎮座しました。日本武尊が祀られています。1983(S58)年に本殿造営を含め境内を整備しており、石垣なども真新しく地元に大切にされていることがわかります。

画像
▲迂回しているのは、この熱田社

南陽町農業協同組合として残っていた-JAなごや南陽町支店

画像
▲熱田社の向かいにあるホームセンタードゥイングワカマツ

熱田社とホームセンタードゥイングワカマツの間を東西に走る道路を東に歩きます。戸田川を越えて500メートルほど歩くと左に農協、右に南陽神社があります。

画像
▲南陽神社は道路を跨いでいます

農協は現在JAなごや南陽町支店になっていますが、海部郡南陽町が1955(S30)年に名古屋市と合併した後も単独で南陽町農業協同組合として存在していました。

しかし2000(H12)年10月、猪高町農協(名東区)、富田農協(中川区)、そして名古屋市農協(東区)と合併して現在のなごや農協(JAなごや)になっています。現在も旧南陽町内に農協は3店舗を構えています。

画像
▲鳥居には、かつて単独だった「南陽町農協」の文字

かつて南陽町役場があった-南陽神社

南陽神社は日清戦争以後の戦死者を祀る神社で、1923(T12)年に靖国神社から分霊され南陽忠魂社として鎮座しました。道路を跨ぐほど境内が広いのには理由があります。

画像
▲かつては南陽忠魂社でした

かつてこの南陽神社の南側部分に、南陽町役場があったのです。南陽町は1906(M39)年に福田村、福屋村、茶屋村の3つが合併して南陽村として発足しました。当時は鬼頭勘之助宅に役場があったのですが、1911(M44)年から1955(S30)年まで役場がこの地にあったのです。

画像
▲南陽町の歴史が刻まれた石碑

名古屋市と合併すると役場は南陽支所となり、南陽忠魂社は南陽神社と改められました。そして1975(S55)年に、南陽支所は北西400メートルほどのところに移されました。ここはかつて南陽町の中心部だったわけです。

尾張・美濃で27の村を干拓した鬼頭勘兵衛景義-勘兵衛屋敷址

さて、その南陽神社の北側には南陽中学校と挟まれるように、現在は長屋門だけが残る勘兵衛屋敷址があります。

西福田新田を干拓した鬼頭勘兵衛景義が干拓をしたのはここだけではなく、尾張・美濃であわせて27もの村、2万2千余石にも上りました。その景義の子孫は代々ここに住み、勘兵衛を名乗ったことからここにあった屋敷は勘兵衛屋敷と呼ばれました。

画像
▲戦災で燃えてしまい、門だけが残る勘兵衛屋敷址

1880(M13)年の天皇京都行幸に際しては福田行在所と指定され、明治天皇はここで昼食をとり、津島から泥亀を9匹持ってやってきた山田庄次郎から、5匹を買われたとのことです。

景清は晩年仏門に入り、自ら創建した中川区の空雲寺で亡くなりお墓を残しています。また、この屋敷址の敷地内には1959(S34)年伊勢湾台風によって亡くなられた方の慰霊碑があります。台風が上陸した9月26日には現在も南陽神社で慰霊祭が営まれます。

画像
▲毎年忘れないように慰霊祭が営まれます

干拓工事での堤防の決壊や遭難事故を鎮めるため-春田野神明社

南陽中学校の西側には、1989(H元)年に新築再建された春田野神明社があります。福田新田の干拓工事では当初、堤防が決壊したり遭難や事故が相継いでいました。

そこで景清が伊勢神宮の分霊を1640(寛永17)年に祀ったのがこの神明社です。するとすぐに事故などがなくなり、難工事も不思議と何事も無くこなすことができたとのことです。かつての本殿は勘兵衛屋敷とともに戦争中の空襲で焼失しています。

画像
▲事故をぴたっと収めた、春田野神明社

両側からの埋立工事がここでぶつかって完了-福田新田締切の地

画像
▲真宗大谷派香泉山超願寺

再び南陽神社に戻り、国道302号線を横断して東の秋葉地区へと歩きます。南陽神社と道を挟んで反対側にある超願寺の前を歩いていくと左側に七反野地蔵堂があります。ここには「福田新田締切の地」という記念碑が建っています。

(東)福田新田の干拓は東は庄内川から、西は戸田川から行われ、両側に堤防を作ってそれぞれ土を埋めていきました。そして両側からの埋め立て工事がここでぶつかり、工事が完了した場所であることを示しています。

お地蔵さんは工事中に不慮の事故で亡くなった人々を弔うためと、新田の平安を願って祀られたものです。

画像
▲七反野地蔵堂。福田新田締切の地記念碑もあります

知多から移住した人の心の拠り所-七反野神明社・山神社

干拓工事が終わると景清は1640(寛永17)年、締切の地の北側に国之常立神を祀りました。この神様は地の神様。新田が永遠に安泰であるようにとの願いを込めたものです。

また相殿には熱田大神も祀られています。景清は神社の祭礼を維持させるために、宮田七反歩をこの神社に附属させ、神社もそのころから七反野神明社と呼ばれるようになり、地名も七反野となりました。

画像
▲今も地名が残る七反野神明社

空襲により一度焼失しましたが、再建されていて現在も地名に名を残しています。また七反野神明社の東には、天照大神の兄である大山積神を祀る山神社があります。

こちらは知多郡からこの新田に移住した人が祀ったもので、五穀豊穣、商売繁盛の神様です。こちらもやはり戦災で焼け、戦後に再興されています。このあたりは1944(S19)年にかなり大きな空襲があったことがわかります。

画像
▲引っ越す時は神様も一緒。山神社

田んぼの真中に突如オープン-ジャスコシティ南陽

画像
▲国道302号がまだ広がりきっていないために草地があります

東海通に戻り、国道302号線との南陽中学校前交差点を北に歩くと大きなショッピングセンターがあります。ジャスコシティ南陽です。このジャスコは意外と古く、まだ港区にユニーがアピタを出店するよりも前の1992(H4)年にオープンしています。

画像
▲開店当時かなり話題となった、ジャスコシティ南陽

開店当時は話題となりましたが、当時は田んぼの真中にポツンとある大きなショッピングセンターに違和感を感じたものです。今でも田んぼの中という状態はかわりませんが、その後イオンやユニーの流通競争は店舗の巨大化へとつながり、今このジャスコシティ南陽を見ると、それほど大きいとは感じません。

あの頃はすごいなと思ったものですが、不思議なものです。

農業・バーベキュー・こどもランド-戸田川緑地農業文化園

そのジャスコの西側、戸田川沿いにある大きな公園が1989(H元)年にオープンした戸田川緑地農業文化園です。現在も農業が盛んな港区の新田地区にふさわしい公園です。

画像
▲戸田川緑地の南門には…

コンセプトは「農業の必要性と花を愛する心。」まず東海通側の正面入口にあるのが、戸田川二重樋門です。この樋門は、5連の石造り樋門の石材を一部使用して再現したものです。かつてはここから2キロほど南の河口に設置されていたもので、1908(M41)年製です。

画像
▲かつて戸田川にあった二重樋門を再現

この戸田川緑地のメイン施設は農業文化園です。入って右側にあります。農業科学館では昔の農機具から最新の農業技術、そして標本も含めた昆虫に関する展示があります。

画像
▲農業文化園へは東門からが便利です

またフラワーセンターには4種類の温室があり、洋ランや熱帯植物を観察することもできます。センターの奥にある花工場では名古屋市内の公園や道路の花壇に植えるための花を栽培しています。

画像
▲フラワーセンターでは洋ランも観察できます

農業に関する設備の他にも、すぐ横にはバーベキューレストランがあり年中バーベキューを楽しむことができます。え、冬も?と思われるかもしれませんがご安心ください。室内でもバーベキューをすることができます。据え膳のバーベキューですので、何も持ってこなくても大丈夫です。

画像
▲据え膳バーベキューもOK

そしてこの戸田川緑地の中で子どもたちに大人気なのが、芝生広場、展望塔、こどもランドです。こどもランドは水遊びのできる遊園地で、アスレチックやサイクルトレインなどと小さなプールが散りばめられた冒険広場です。

画像
▲芝生広場の展望塔。エレベーターあります

もちろんアスレチックなどを楽しむだけなら、着替えや水着は必要ありませんが、水遊び場がある公園で水に入るなというのは子どもには無理でしょうね。

画像
▲こどもランドはアスレチックとプールが合体

こどもランドの前には子どもが乗っかれる動物の置物があるのですが、なぜか全部羊。20体近くあります。しかもみんなデフォルメされていないリアルな表情でちょっと怖い。子どももそう思うのか、誰も遊んでいませんでした。

画像
▲羊、羊、羊…

展望塔はそれ程高くありませんが、名古屋駅から名港トリトン、そして養老から鈴鹿山地の山並みを見ることができますし、何よりこのあたりの干拓地を一望することができます。

画像
▲養老方面を望みます。冬には雪景色が見られるでしょう

南陽町は名古屋市となっているものの、とても農業が盛んであり、また干拓地の姿を昔のまま残しているために別の自治体のような印象を受けます。でも名古屋市となったことで市バスなどの行政サービスは享受できますし、巨大なショッピングセンターはできましたし、大きな国道も整備されつつあります。

画像
▲名古屋駅方面。さすがにこちらは建物がびっしり

海部郡の中でいわゆる勝ち組と言えるのではないでしょうか。南陽町としてのいいところも残っていますしね。この農業文化園を都市公園と呼べるのも、名古屋市と合併したお陰ですね。というか、合併していなかったらこんな立派な公園にはなっていないか…。

画像
▲名古屋港方面。名港トリトンも見ることができます

小旅行気分にこの戸田川緑地は最高。ビバ南陽町。

コメントはこちらから

Loading Facebook Comments ...

コメント

タイトルとURLをコピーしました