11.港区 名古屋を歩こう

35年ぶりに電車が帰ってきた

記事公開日:2005年4月12日 更新日:

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 大手町から稲永へと歩きます。大手町の南側は3号地埠頭の築三町、そしてその先は4号地埠頭の築地町になっていてその先は海です。前回、環状線はこの築三町交差点で終点になると書きましたが、実はその先にも道路は続いています。もちろん4号地埠頭で海に出てしまうのですが、3号地埠頭と4号地埠頭の間にあるその名も「三四号地間運河」に架かる築地橋の西側に、一州大橋という橋が直角に接続されています。この一州大橋はこの築地橋と一州町を結び、その先は稲永埠頭へと続いています。コンテナ基地を結んでいるだけの橋なので、一般車はほとんど通りません。もちろん通っていけないということは無いので、海を渡るかのようなその大橋を一度車で走ってみたいと思うのですが、なかなか機会がありません。ちょっと道を間違えると倉庫で行き止りになってしまい、勝手に入るなと怒られそうな雰囲気もあり、躊躇してしまいます。

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▲環状線の先、行けないことは無い。
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▲環状線の先の築地橋から西に伸びる一州大橋。
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▲一州大橋はまるで海の上を走るかのよう。

 では金城ふ頭線に戻ります。荒子川にぶつかると中の島川緑地も終わりです。荒子川河口にもやはりポンプ施設があり、名古屋市ポンプ施設管理事務所を通り過ぎて、十一屋橋で荒子川を渡ります。十一屋橋から北を望むと荒子川フェニックスアイランドが見えます。橋を渡り終えると再び緑地が現れます。今度は十一屋川緑地です。こちらは中の島川緑地よりも先、1982(S57)年に完成したもので、元々ここにあった十一屋第一公園を整備し直したものです。十一屋橋を渡って一州町交差点を越えると、右側に荒子川水神社があります。白い鳥居が鮮やかなこの神社の北側にはユーストアがあり、緑地からユーストアに通り抜けるのにこの神社は重宝されている様子でした。境内にはシーソーやうんていがあり、公園の役目も果たしています。生活に入り込んでいる神社と言えます。

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▲十一屋橋から荒子川を望む。この先にフェニックスアイランド。
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▲十一屋川。緑地整備はこちらが先。
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▲荒子川水神社。通り抜けできるようになっています。

 この水神社の南側一帯には、かつて大きな空き地がありました。1989(H元)年に世界デザイン博覧会が開催された時には、一州町駐車場として使われたところです。そこに2005(H17)年3月にオープンしたのが、巨大ホームセンターカインズホームです。ベイシアフードセンターも併設されています。カインズ、ベイシアともに名古屋市内初出店となります。すぐ西側にはあおなみ線稲永駅もあり、駅前かつ駐車場1,500台で名古屋の流通に挑戦します。

 ところで、この空き地は一体何の跡地なのでしょうか。気になって調べてみました。はるか昔はここに草競馬がありました。その頃はまだ一州町とは呼ばれていませんでした。草競馬が無くなると、ここに石炭を燃料とした名港火力発電所が作られます。1939(S14)年に完成した当時は「東洋一の発電所」と呼ばれました。発電所の5本の煙突は、名古屋の工業の象徴としてずっと名古屋港に存在感を示していましたが、炭を撒き散らす公害が問題となり、1982(S57)年に廃止、解体撤去されました。この一州町の名は、発電所建設当時の東邦電力の社長で、電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門の雅号から名付けられたものです。その名のとおり、かつては一州町全体が発電所だったのです。東邦電力は、電力が国家管理となった1942(S17)年に解散し、この発電所は後に中部電力へと引き継がれました。

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▲写真はカインズホーム建設中。(あおなみ線車窓より)
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▲発電所跡地にはゴルフ練習場もあります。(あおなみ線車窓より)
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▲さらにまだ、更地の部分も残っています。(あおなみ線車窓より)

 あおなみ線稲永駅を越えると、稲永町に入ります。「稲永」とはふたつの新田の名を合体させたもので、かつては稲富新田と永徳新田にわかれていました。1878(M11)年にふたつの新田は合併し稲永新田となり、今でもその名が地名として残されています。当知方向からやってくる道路と、金城ふ頭線が交差する稲永交差点角には稲永神明社があります。この神社は村の氏神さまとして1853(嘉永6)年に勧請されたものです。神社の前には比較的大きなドラッグストアがあったのですが、カインズホームの出店を見越してか2004(H16)年の4月に閉店しています。では、その稲永交差点を左折して稲永の街を歩いてみます。

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▲35年ぶりの電車、あおなみ線稲永駅。(写真は開通前)
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▲稲永神明社。神社の前にはお地蔵さんがずらり。
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▲カインズができると聞いて閉店?

 南東方向へ歩くと、右側にとてもたくさんの住宅があります。東稲永荘、中稲永荘、新稲永荘、西稲永荘と数多くの市営住宅があり、古くからたくさんの人が住んでいることがわかります。その人々の生活を支えているのが、錦町交差点にあるイナエサンプラザです。「明るく楽しいお買い物広場」というキャッチフレーズが目印。周辺には巨大スーパーの進出が相継いでいますが頑張って欲しいものです。

 その錦町交差点を左に曲がり少し歩くと、草津湯という銭湯があり、そこに錦神社があります。1910(M43)年に建立されたこの神社には御神体は無く、毎年お札を迎えています。神社の入口には港西交番があり、また奥の秋葉神社にあるたくさんの鳥居は折れ曲がるように並んでいて、少し窮屈な印象を受けます。周囲には結構個人商店もあり、懐かしい「キャビン」「ラーク」といった看板が目に入ります。かつては結構賑わったのではないかという面影があります。

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▲稲永には市営住宅がたくさん建ち並ぶ。
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▲台所を支えるイナエサンプラザ。
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▲草津湯。この奥に錦神社があります。

 2004(H16)年10月、あおなみ線が開業し、稲永の中心部から少し離れたところに稲永駅が設置されましたが、1969(S44)年までこの稲永には市電が走っていました。中川区の尾頭橋から下之一色を通り、この稲永を経由して築地口へと走っていた市電下之一色線は、1912(S12)年に港区役所前で開催された名古屋汎太平洋平和博覧会の際に全線開通し、同時に名古屋市に買収され名古屋市交通局の管理となりました。ちなみに下之一色線は日本で初めてワンマン運転を採用した路線です。さすが何でも効率化を目指す名古屋です。廃止まで下之一色線で走っていた車両は、今でも豊橋鉄道で現役とのことです。

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▲ちょっと窮屈な感じのする錦神社。

 35年ぶりに稲永の街に電車が帰ってきました。しかも名古屋駅に直結していてわずか18分。市電の頃よりも格段に便利になりました。ただ、ちょっと稲永の中心部から駅が遠い気もしますけどね。35年経った今も、遠く離れた地で車両が現役であることに驚きです。

 さて、市電が全線開通した当時はこの稲永が海岸でした。稲永の先は全て昭和以降の埋立地になります。


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