有松-江戸時代のままの街並みを歩く

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緑区[4] 有松

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旧東海道の茶屋集落-有松

国道1号の桶狭間交差点から北へ歩きます。桶狭間では戦国時代を体感することができましたが、この交差点を越えると時代がガラっと変わります。

ここからは江戸時代の歴史散歩になります。緑区は街によって残されている史跡の時代がどんどん変わるので、タイムスリップするかのように頭を切り替えていかなければなりません。多様性に富んだ街並みと言うことができます。

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▲国道1号有松交差点。この北側に旧東海道があります

合戦の舞台とはいっても桶狭間ではそれほど歩いている人の姿を見かけませんでしたが、ここ有松は街並みを見にやってくる人も多い一般的な観光スポットとなっています。かつて旧東海道の茶屋集落であり、伝統工芸が今も息づく有松を歩きましょう。

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▲交差点から北へ歩きます

桶狭間交差点から北に歩くと、周囲の建物の趣が一気に変わります。瓦屋根の懐かしい街並みとなります。郵便局さえも瓦屋根です。

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▲旧東海道っぽい建物が姿を現します

その郵便局のある角を東西に走る旧東海道に出ると、そこには江戸時代の面影が残る街道風景が広がります。有松宿です。と言いましても、この有松は東海道五十三次の宿駅には入っていません。

有松は池鯉鮒宿(現在の知立)と鳴海宿(緑区)の間で栄えた茶屋集落、いわゆる「間の宿」なのです。1608(慶長13)年に合宿(あいのしゅく)として開かれた有松は、あるものが売り出されると一躍有名になり繁栄します。それは今も名物となっています。

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▲郵便局もそれらしく作られています

かつての風情が残る街並み-有松山車会館

あるものとは有松絞です。尾張藩の奨励によって竹田庄九郎という人物がこの有松に移り住みます。庄九郎はこの有松を開拓して農業を始めたのですが、副業も始めます。庄九郎は九州の豊後絞を見て九九利染という絞りの技法を考案し、「有松絞」を有松の名物として売り出しました。

すると有松絞は全国に知られるようになり、有松は絞りとともに繁栄しました。しかし1784(天明4)年の大火によって村は全焼してしまいます。そこで村人は復興の際に防火構造の建物を建てることにしました。

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▲旧東海道には今も絞りのお店が並びます

萱葺きをやめて瓦屋根にし、2階の窓は虫籠窓にしました。そして商売をしやすいようにと1階は大きく開いていました。この時に建てられた建物が今も有松にはたくさん残されていて、名古屋市の町並み保存地区となっています。

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▲では、旧東海道かつての間の宿を歩きましょう

郵便局のある角から西に歩きます。すると右側に白くて背の高い蔵が見えてきます「有松山車会館」です。有松には1966(S41)年に名古屋市指定文化財となった「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」の3台の山車があります。

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▲3台の山車が代わる代わる展示される有松山車会館

10月の有松祭では3台の山車が街を曳き回されるのですが、普段もここでそのうちの1台を見ることができます。山車会館の前には「東海道」の道標も残されています。ここからは本当に当時の東海道を歩いている気分になれる街並みが続きます。

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▲山車会館の前には東海道の道標

3年間熟成された梅のうどん-寿限無茶屋

山車会館のすぐ隣には、伝統的建造物として名古屋市に指定された築100年を越える建物のなかで食事ができるお店があります。「寿限無茶屋」です。入口には赤い布が敷かれた椅子があり、当時のお茶屋さんそのままかと思わせる佇まいです。

名物は「梅おろし」。蔵で3年間熟成された自家製梅干が乗ったうどんは絶品。もちろん味噌煮込みも味わえます。絞りで染められた暖簾をくぐりましょう。

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▲寿限無茶屋。名物は梅おろしうどん

有松町の役場跡地に-有松・鳴海絞会館

少し歩くと、今度は道路の左側に「有松・鳴海絞会館」が現れます。

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▲有松・鳴海絞会館。絞りの技術展示のほか、購入もできます

この会館は1984(S59)年に有松絞商工協同組合によって建てられたもので、絞りの歴史資料や技術について実物を用いて展示をしています。また絞り体験教室も開かれていますが、必ず20名以上の団体でかつ予約が必要ですのでご注意ください。

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▲かつては知多郡有松町役場がここにありました

ちなみにこの絞会館、知多郡有松町役場だった場所に建てられていまして、「知多郡有松町役場跡地」という碑が建てられています。この絞会館もすぐ隣の碧海信用金庫も新しい建物なのですが、ちゃんと街並みに合わせて白壁、格子風窓になっています。

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▲碧海信用金庫も街並みに溶け込んでいます

屋号は井桁屋-服部邸

続いて右側には、江戸末期から明治元年までに建てられたと伝えられる「服部邸」が登場します。1964(S39)年に愛知県指定文化財となっています。

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▲いよいよ文化財級の建物が登場します

倉庫群や荷造りのための作業場がある有松の絞問屋の代表的な建物で、主屋は木造2階建の塗籠造、たちの低い2階は虫籠窓になっていて卯建があがっています。蔵は土蔵造になっていて腰に海鼠壁を用いて防火対策をしています。服部家は屋号を井桁屋と言います。

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▲倉庫群のある絞問屋、服部邸。県指定文化財

今度は右側にUFJ銀行が登場しました。UFJ銀行の建物は普通のビルですが、東海道に面した駐車場はちゃんと旧街道風になっています。「P」という看板にも瓦風の屋根がついていてかわいらしいです。

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▲UFJ銀行駐車場の看板も、街並みに合わせて

駅前は急に近代的-名鉄有松駅

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▲駅前は街道気分が一気に覚めてしまいます

交差点に出ると左右が一気に開けます。右側には名鉄有松駅があります。この時は名鉄の高架化工事と駅前のビル新築工事が行われていて、それまでの静かな街並みから一転、一気に騒々しくなりました。

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▲名鉄名古屋本線の高架化工事などが進められていました

駅周辺には商店が連なっています。なかには石灯篭屋さんもありました。駅の方さえ見なければ、気分は現代に戻らずに歴史散歩を続けることができます。再び静かな街道に戻ります。

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▲駅の南側にあった石灯篭屋さん

伝統的な絞問屋の形態を踏襲した建物-竹田邸

今度は江戸時代に建てられたと思われる塗籠造の主屋がある「竹田邸」を見てみましょう。交差点から少し歩いた左側にあります。

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▲名古屋市指定文化財、塗籠造の主屋がある竹田邸

竹田邸は1995(H7)年に名古屋市指定文化財になっていて、江戸時代に主屋が建てられた後、明治から大正にかけて玄関、書院、茶席、土蔵群が作られていったといわれています。ここも伝統的な絞問屋の形態を踏襲した建物です。

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▲駅前の喧騒が嘘のように、再び江戸時代に

竹田家は屋号を笹加といいます。現在も商店の看板が掲げられています。このあたりは建物と建物の間の路地を覗いても、先程の駅前のように現実に引き戻されることはありません。ちゃんと路地も江戸時代風情です。

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▲路地を覗いても江戸時代のまま

江戸時代末期の重厚さ-岡邸・小塚邸

続いて同じく左側には「岡邸」と「小塚邸」が並んでいます。1987(S62)年に名古屋市指定文化財となった岡邸も絞問屋の建築形態で、江戸時代末期の重厚さを今に残しています。

主屋は木造2階建、切妻造桟瓦葺で正面に土庇があり、2階は虫籠窓となっています。台所の釜場の壁は柱を塗りこめて波型に仕立てられた防火上塗籠で、これは現存する唯一のデザインとなっています。

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▲江戸時代末期の絞問屋、岡邸

そして小塚邸は塗籠造のうち最も古いもののひとつといわれていて、主屋の1階は格子窓、2階は塗籠壁、隣の家との境に卯建があがっています。小塚邸は山形屋という屋号で明治の頃まで絞問屋を営んでいました。こちらは1992(H4)年に市の指定文化財となっています。

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▲最も古い塗籠造のひとつといわれる小塚邸

踏切を越えた先にある鳥居-天満社

小塚邸を越えると、右側の祇園寺の手前に細い路地があります。その路地は線路を越えて山に繋がっています。行ってみましょう。自動車が通れないようになっている踏切の先には鳥居があります。天満社です。

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▲踏切の向こうにある天満社。鳥居は見えますが本殿は…

江戸時代の中期に創建された神社です。かつては先程の祇園寺のなかにありましたが、1791(寛政10)年に現在地に遷座しています。社殿は1810(文化7)年に建立され、以来絞り産業・有松の産土神として親しまれています。

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▲かなりきつい階段を登って…

山車3台が曳き回される有松祭は、この天満社の秋祭りとして開かれています。社殿は山の上にあります。かなりの段数の階段を登らなくてはなりません。登ったらさぞかし絶景が…と思ったら、大きなクスノキなどに覆われて有松の街を一望というわけにはいきませんでした。この神社も江戸時代からあります。踏切さえ忘れればまだ気分は江戸時代のままです。

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▲ようやく天満社の本殿です。山頂にあります

束の間のタイムスリップ-祇園寺

先程の祇園寺へと戻りましょう。祇園寺は文禄年間(1592-95)に創建された曹洞宗のお寺で、当初は鳴海にあり円道寺といっていました。1706(宝永3)年に猿堂寺と改名し、1755(宝暦5)年に現在地へ移り祇園寺と改称しました。山門にある松は、東海道が開かれた当時からこの場所にあった樹齢300年の大木から採種をして育てられたものです。

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▲東海道が開かれた頃の松の子孫がある祇園寺

祇園寺の向かいには、有松の3つの山車のひとつ「神功皇后車山車」の山車蔵があります。この山車は1873(M6)年に有松で作られたもので、3体のからくり人形が舞を披露します。

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▲3体のからくり人形が舞を疲労する神功皇后車山車の山車蔵

楽しく江戸時代を散策してきましたが、この山車蔵の前から一歩を踏み出すと、一気に現代へと戻されます。周囲には将来国道302号線となる高架道路用の橋脚がいくつも建てられていて森も切り開かれています。

かつてこのあたりにあったといわれる一里塚の跡さえも見つけることができません。束の間のタイムスリップでした。

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▲国道302号の橋脚が見えたら、タイムスリップ終了。この辺が一里塚跡です

テーマパークのように作られた昔の街並みではなく、実際に昔旅人が歩いた旧街道の両側に、当時の建物や神社、お寺が残る有松は本当にタイムスリップ感が味わえます。

途中の駅と踏切さえ目をつむれば完璧…と思ったのですが、やはりここは名古屋。こんなところでも抜け道として自動車がびゅんびゅん通るのが興ざめです。

それさえ忘れれば…って、江戸時代にタイムスリップするためには、忘れなきゃならないものがいくつもあるなぁ。

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