徳川-家康のテーマパーク

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東区[2] 徳川

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ドラゴンズと龍神社-片山八幡神社・谷龍神社

ではナゴヤドームから西へ戻ります。名鉄瀬戸線の高架を目掛けて1.5キロほど西へ歩
くと森下駅があります。そして駅の東側を南北に走る道路を南下すると、右手に片山八幡神社があります。

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▲片山八幡神社です。この日もお参りに訪れている人がいました

第26代継体天皇の頃と言いますから、6世紀初頭にこの地に鎮座したということになります。その後一度は荒廃してしまうのですが、1695(元禄8)年に尾張家第2代光友によって再興されています。文化を導く神として、母子慈愛の神として信仰を集めています。

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▲ここにも「ドラゴンズタウン」という幟が…

敷地内には、神社を再建した光友(瑞龍公)の縁起をもって作られた瑞龍みこしが展示されていて10月の例大祭では勇壮に担がれます。さらに敷地内には徳川別邸内から遷された谷龍神社があります。

かつては姫子龍神社と称していました。谷に棲む龍神「闇淤加美神」を祭神とし、諸病平癒の霊験と所願繁栄といったご利益があるそうです。境内には「ドラゴンズタウン・OZONE YADA後援会」という幟もあり、ドラゴンズと龍。今年は優勝するようにと祈願してきました。

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▲瑞龍みこしはいつでも見られるようになっています

進むことを阻まれた騎士-善光寺・神明社

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▲国道19号です。やっぱり広い

神社の南側の道を西へ歩くと国道19号に出ます。国道を左に曲がって少し歩くとココストアの裏に真宗大谷派善光寺があります。

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▲善光寺です。一歩路地に入るとこういったお寺があります

その先の赤塚交差点に神明社があります。創建は不明ですが、1628(寛永5)年に再建され、山口町一帯の総氏神として崇敬が高いそうです。

昔は山口神明社、赤塚神明社と呼ばれたこともあり、湯立神事、茅輪くぐりといった神事も行われていたそうです。国道沿いということもあり、神社は大きな広告看板に囲まれています。

境内には馬に乗った騎士の像があったのですが、今にも看板に触りそうな影に置かれており、少々不憫な感じがしました。今にも馬の像の左足が看板を蹴り上げるかの躍動感がある像でした。

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▲神明社にあった騎士の像。看板を蹴り上げそうです

天むす売ってますよ-陶磁器会館・地雷也

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▲かつては様々な神事が行われていた神明社

片山八幡神社から神明社までが徳川2丁目、神明社のある国道と出来町通の交差点から南が徳川1丁目です。

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▲神明社を遠目に見ると、やはり看板に囲まれています

赤塚の交差点から国道沿いに南へ歩き、2本目の道を左折したところに名古屋陶磁器会館があります。この建物は大きな半円窓がある煉瓦作りでモダンです。

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▲こちらは陶磁器会館。かつて東区には陶磁器商がたくさんいました

その道を真っ直ぐ東へ歩くと、突き当たりに一見お店には見えないグレーの目新しい建物があります。ここは、天むすで有名な地雷也の本店です。日除けのカーテンがしてあり、これは知っている人でないと入らないでしょうね。何のお店か外観からはわかりませんもの。

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▲地雷也。一見通り過ぎてしまいそうな佇まいです

♪ご婚礼家具なら山口町-山口町

その通りを北へ歩くと、山口町交差点です。山口町の標識を見て「ご婚礼家具なら山口町、永島たんすて~ん」というCMソングを思い出しました。CMはもう流れていませんが、交差点から少し北に永島たんす店はありました。その時が来たら覗いてみようかな。

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▲山口町交差点。永島たんす店はこの奥

そして交差点近くには木の香りがただよい、ギュイーンと木を切断する音の聞こえる製材所や、その業種ならではのものに、花が飾ってある葵水道工業といった会社があります。

ちなみにその花瓶代わりになっていたものとは、男性用便器です。しかも道路に向けて縦に2つ飾ってあります。花でも飾っておかないと、夜酔っ払いが実際に使いそうです。花があっても酔っ払いは使いそうな気もしますが…。

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▲小便器が縦に2つ…。もちろん使ってはいけません

源氏物語絵巻の実物を所蔵-徳川園・徳川美術館

さて、その会社名にも使われていた葵と言えば徳川家の家紋です。「この葵の紋所が目に入らぬか」でもお馴染みですね。

山口町交差点から出来町通を東に450メートルほど歩いたところに徳川美術館南という交差点があります。そこを北に少し歩くと徳川園と徳川美術館があります。徳川園は現在整備中で入ることが出来ませんが、整備が完了すれば尾張徳川家に関する一大テーマパークとも言える施設となります。

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▲徳川園の中にある徳川美術館

徳川美術館は現在も開館しています。尾張徳川家に伝えられる「大名道具」と言われる重宝や、将軍家徳川宗家や紀州徳川家、一橋徳川家、蜂須賀家など大大名の売立重宝、岡谷家などいくつかの篤志家の寄贈品も納められています。

もちろん家康の遺品もありそれらは実際に使用されていたものです。ここに来れば実際に現物を見ながら、大名とはそして大名道具とはどういったものかを知ることができます。

収蔵品には国宝9件、重要文化財52件、重要美術品45件もあり、「源氏物語絵巻」の実物も納められています。もちろん、これだけの規模を誇る美術館は国内にありません。

ここは市の施設ではなく、財団法人徳川黎明会が1935(S10)年に開館した私立の美術館です。入場料は大人1,200円です。所在地の地名はもちろん東区徳川町です。

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▲現在は整備中ですが、完成するとここが総合入口になります

そしてその美術館に併設されているのが徳川園です。4.53ヘクタールの面積を誇る都市公園で、かつては東区図書館なども併設されていたのですが、図書館はナゴヤドーム近くに新設されたプールなどの複合施設に移転しました。

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▲かつては図書館としても使われていた旧蓬左文庫

さて、現在行われている整備ですが、「近世武家文化を中心に表現し、世界に発信する歴史文化拠点」を基本方針として、まずは近世武家文化の基本的な様式である池泉回遊式庭園を作り、そしてレストランや駐車場、散策路や遊び場をさらに拡充します。

そして貴重な文化遺産を納めている蓬左文庫も新築整備されます。この施設は元々、尾張藩祖徳川義直が父家康の蔵書「駿河御譲本」およそ3000点をもとに藩の文庫として場内二の丸西南部に創設したものです。

そして1950(S25)年に名古屋市に譲渡されたもので、現在は10万点の蔵書を誇ります。古絵図や和書、漢籍、蘭書も収蔵されていています。美術館とあわせ、戦争で焼失せずに本当によく残ったものだと思います。

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▲蓬左文庫も横に新築されます。現在こちらも整備中です

この場所にはかつて尾張藩家老の屋敷があったところで、のちに尾張藩二代藩主光友の隠居所「大曽根下屋敷」になり、明治時代には尾張徳川邸となりました。その後1932(S7)年に名古屋市へと寄付させたものです。

徳川園の整備は愛・地球博の開催される2005(H17)年までには完了し再オープンする予定です。名古屋観光名所のひとつになることは間違いないと思います。都市公園ということは無料ですよね?

ただ、ここは駅から遠いので、どういう経路でバスに乗るかなどのアピールが難しいですね。PRは名古屋が一番下手な分野ですから、完成しても徳川園のことが広く知れ渡るかどうかが鍵になると思います。

※2004(H17)年11月2日にオープンし、さっそく12月に台湾の前総統李登輝氏が来園するなど、話題性を高めようと努力していることが伺えます。

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