10.中川区 名古屋を歩こう

名古屋市中川区の成り立ち

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中川区プロフィール

中川区概要

名古屋の水郷地帯

 中川区は名古屋市西南部にあり、名古屋駅のある中村区と港区に上下を挟まれる格好になっています。東西に長く、東は名古屋駅、金山といった繁華街から程近いにもかかわらず西は中村区の西端よりもさらに西側まで広がっていて海部郡七宝町、蟹江町と接しています。中川区の名はかつての中川、現在の中川運河によるものです。区内には東から堀川、中川運河、荒子川、庄内川、新川、戸田川、福田川といくつもの川が流れ、起伏の少ない平坦な土地になっています。

 区域の変遷ですが、市制が施行された1889(M22)年にはまだ名古屋市に編入された部分は無く、愛知郡と海東郡の町村にわかれていました。名古屋市に編入されるのは1921(T10)年のことです。このとき、現在の中村区と中川区の区境にあった常盤村と愛知町が旧中区に、八幡村、荒子村が旧南区に編入され庄内川以東が、下之一色町だった一部を残して名古屋市となりました。

 そして1931(S6)年に庄内川以東の一部が旧南区に編入され、1937(S12)年3月に庄内川と新川に挟まれた中州の南半分を占めた下之一色町全体も旧南区に編入されました。同じ年の10月に10区制が施行され、旧中区と旧南区から中川区が分立され誕生しました。この際、中川区の東端を堀川としたために、かつての旧日置村などは村域が分断されてしまいました。その後、1955(S30)年に庄内川と新川の中洲の北半分と、新川の西に広がっていた海部郡富田町を編入して現在の中川区の姿になりました。

中川区のみどころ-旧街道・旧漁師町・変貌する田園地帯

 面積は広く名古屋市全体の1割弱を占め、港区、守山区、緑区に次いで4位。人口は全16区中トップとなっています(2004年4月現在)。東西に広くその両端で全く性格が異なりますが、急激に変化する場所があるわけではなく、東の市街地から西の田園地帯へとなだらかに変化していきます。

 東は名古屋駅、金山駅にも近かったことから、また古くから佐屋街道が通っていたことから市街化は早く、古くからの商店街が今も残ります。大正時代は遊郭、戦後はナゴヤ球場、そして現在は場外馬券売場ウインズ名古屋と、中心部からの人の流れは少しずつその客層、目的地を変えつつも残っています。中川運河沿いには物流基地や材木、金属、機械などの製造工場が古くから立ち並んでいます。そのなかには世界的に有名な、また初めて量産化を実現したバイオリン工場があります。

 中川運河を越えると次第に住宅が増え始めます。2004(H16)年10月、それまで貨物専用だった西名古屋港線に第3セクターのあおなみ線が開業しました。このあおなみ線は名古屋駅と港区金城ふ頭を結び、中川区を南北に縦断します。それまではその西側に地下鉄東山線が高畑まで走っているのみでした。延伸をという要望もあったのですが、この先は地盤が弱いことから地下鉄の延伸は断念されていました。あおなみ線周辺には尾張四観音のひとつである荒子観音、前田利家の出生地といわれる荒子城跡があります。このあたりからは田んぼも多く見受けられるようになります。

 庄内川を越えると、かつて漁師町で今もその面影を残す下之一色町があり、独特な風土を感じ取ることができます。新川を越え、旧冨田町を横断する近鉄名古屋線の車窓からは田園地帯が見渡せます。近年は国道302号線、通称環状2号も建設され、交通の便もよくなりつつあります。また、戸田川流域には親水施設も増えています。ただ、未だに下水道設備が完備されておらず整備が進められています。

 数多くの河川が流れ、中川区は古くから川の流れを物流に、田んぼの水源にと利用してきました。河童の伝説も残り、かつては河童が子ども達と遊ぶ姿をよく見かけたとか。物流は船から貨物列車に、そしてトラックへと変わり、かつての田園地帯は住宅に変貌しつつありますが、川辺に設置されている数多くの公園では今も子どもたちが水と戯れています。ひょっとしたら子どもたちには今も河童の姿が見えているのかもしれません。

 水の都、中川区を歩きます。

MAP

中川区地図

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