イベントレポート

7年ぶりに公開となった日本モンキーパークの「若い太陽の塔」はあの太陽の塔の前に作られていた

記事公開日:2010年4月4日 更新日:

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★7年ぶりに公開された「若い太陽の塔」とは
★大阪万博の1年前に作られた
★朽ちていくものが多すぎる50周年

 以前から、日本モンキーパークを訪れる際に気になっていたのが、大阪万博の太陽の塔に似たシンボルタワーの姿です。ガイドマップを見ても、その塔のイラストは小さく描かれているものの、名前すら明記されておらず、もちろん、行き方も記されていなければ、塔の場所への道すら描かれていませんでした。

 その塔が、7年ぶりに一般公開されると聞き、このエリアをホームグラウンドとしていて、私よりも詳しい相方とともに、日本モンキーパークへと行ってきました。それはオマージュでもリスペクトでもなく、それどころか、大阪万博の先輩格に当たるものだったのです。

7年ぶりの公開

 今回、7年ぶりの公開となった「若い太陽の塔」。老朽化が激しく、公開といっても自由に見られるわけではなく、1日2~3回設定された集合時間に希望者が集まって、係員の方に引率される形での見学でした。

 集合場所は、大魔境というお化け屋敷の前の休憩所。相方の情報によりますと、この大魔境は乗り物に乗ってまわるお化け屋敷で、設置された当時はかなり画期的なものだったそうです。

 そんな大魔境の横には「立入禁止」と書かれたゲートがあり、その奥にひっそりと「若い太陽の塔」の姿を見ることができます。

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いざ立入禁止エリアへ

 集合時間、あいにくの天気の中、私たちを含め十数人が集まりました。平日でこの天気にもかかわらず、これだけの人数が集まることからも、注目度の高さがわかります。

 係員の手によって、重い「立入禁止」のゲートが開きます。2003(H15)年の冬までは自由にこの通路に入ることができ、その先には、若い太陽の塔とバーベキュー場があり、係員の説明によりますと「活気づいていた」とのことです。

 活気づいていたのに、なぜ閉鎖となってしまったのか?という質問は不粋です。

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 大魔境の横の通路を歩いていきます。7年間放置されていたことから、通路もかなり荒れた状態になっていて、今回の特別公開のために、2・3ヶ月前からスタッフが草木の手入れや通路の整備を行い、先月の中旬にはボランティアの親子連れの手によって、若い太陽の塔の手すりや階段の塗装を塗りなおしたり、清掃活動を行ったとのこと。

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 そのおかげで、7年ぶりに開放されたこの通路を難なく歩くことができたというわけです。

 美化されたとはいえ、普段は入ることができない場所に入るドキドキ感はたまりません。廃墟探索に似ている...と言いたいところですが、廃墟扱いしては、若い太陽の塔に失礼すぎるので、その気持ちは封印。

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若い太陽の塔のふもとには人生のトラップが

 階段や坂道を歩くこと5分。小高い丘の上に立つ、「若い太陽の塔」に到着です。

 いつもは遠目にしか見られなかった、塔に近づくことができたという感慨深さと、その勢い溢れる姿に感動です。

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 この若い太陽の塔は、あの大阪万博の太陽の塔の作者と同じ、故・岡本太郎さんの作品です。今回の特別公開に合わせ、このモンキーパークにあるもうひとつの岡本さんの作品「坐ることを拒否する椅子」も一緒に展示されていました。

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 坐ることを拒否する椅子は、もし山歩きの途中で、座り心地の良い椅子があったら、一生立ち上がれなくなるのではないか、座り続けることの代償とは...をテーマにした作品で、1963(S38)年に製作されたものだそうです。

 説明版には「やさしくお座りください」とありましたが、そんなテーマを聞かされ後ではとても座れませんでした。座ってしまったら、人生が堕落してしまうような気がして...。

なぜ犬山ラインパークに若い太陽の塔なのか

 そもそも、なぜこの日本モンキーパークに、大阪万博の「太陽の塔」と同じ、岡本太郎さん作の「若い太陽の塔」という作品があるのでしょうか。

 まだ、日本モンキーパークが犬山ラインパークと呼ばれていた1969(S44)年のことでした。大阪万博を翌年に控え、そのプレイベントとして「万国博と世界お国めぐり」という催事が開かれたのです。

 そこで当時、名鉄はその催事のシンボルタワーの製作を岡本太郎氏に依頼し、当時の金額で制作費7,000万円を投じて誕生したのが、この「若い太陽の塔」なのです。つまり、大阪万博を受け継いだですとか、真似したといった発想とは正反対で、大阪万博のプレイベントに登場した、本当に太陽の塔よりも若い、若い太陽の塔だったというわけなのです。

 しかし、時の流れは無常です。41年の間、風雨にさらされた若い太陽の塔は、その経年劣化を隠すことはできず、色がくすんでいるどころか、よく見ると欠けていたり、穴が開いていたりと、老朽化が激しいことがパッと見でわかるほどです。

 今年2010(H22)年は、岡本太郎氏の生誕100年目、日本モンキーパークが犬山ラインパークとして開園して50年という記念の年。そういった理由から、この若い太陽の塔が特別公開されたとのことですが、この様子を見ると、再び公開されることは無いような...いつまでこの姿を維持できるのだろうか...と、若さとは逆の印象を印象を持つこととなってしまいました。

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展望台からの眺めは...

 高さ26メートルの若い太陽の塔、てっぺんまで上ることはできませんが、高さ7メートルのところに展望台が設けられており、丘の上にあることから周囲を一望することができます。

 この日は天気が悪くて、残念ながら視界は雲に遮られてしまいましたが、本来は濃尾平野を一望できるとのことです。また、背後には鵜沼の住宅団地、さらには紅葉の名所でもある寂光院が、山の中腹にあることがわかります。

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 そして遊園地には、この若い太陽の塔をリスペクトしたのであろう、太陽の顔のついた「フライングツアー」を見ることができます。さすがにあれは、岡本太郎氏の作品ではないと思いますが、この遊園地がこの若い太陽の塔をシンボルとしている心意気だけは伝わってきました。

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廃墟感が漂います

 展望台の周囲は、人が入れないことから物置き場となっているのか、かつて遊園地のあちこちに設置されていたのであろう、猿の形をしたゴミ箱がいくつも置かれていました。モンキーパークは、運営が名鉄本体から子会社に移った後に、新イメージキャラクター「モンパ君」を登場させ、イメージ一新を図っています。そのため、過去のイメージがあるこういったゴミ箱などは、全て撤去となったのでしょう。

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 また、この若い太陽の塔がある丘へは、歩道だけでなく、7年前まではケーブルカーが片道100円で運行されていたとのこと。その乗り場はすっかり朽ち果てており、ゴミ箱と合わせて、廃墟感がしっかり漂っていました。こういった空気が、実は私は大好きです。

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作られた当時の姿は...

 ここで係員の方から意外な一言が。

「実は、この若い太陽の塔はここに立てられたものではないのです。」

 どういうこと?

 若い太陽の塔はかつて、モンキーパークの遊園地側ではなく、世界サル類動物園側に建っていて、「動物園に人工物があるのはいかがなものか」という意見が付き、建てられてから6年後の1975(S50)年3月にこの地に移設され、それから6年間は眠っていたのだそうです。

 そして、犬山ラインパークが日本モンキーパークに改称した年の翌年、1981(S56)年から22年間、2003(H15)年まで公開されていた、ということだったのです。

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若い太陽の塔とは何か

 では、じっくりとこの「若い太陽の塔」を見てみることにします。

「ひろびろとした丘の上に"若い太陽"が生れる 日に日に新しく生れ変る われわれの生命の象徴 金色に輝く顔はおおらかに バイタリティを放射する赤 青 緑の装いは 濃い青春の彩である 岡本太郎」

 なるほど。あくまで「若い太陽」がテーマであり、それを塔という形で表現した、ということなのですね。

 高さ26メートル、顔の直径は4メートル、そこから11本の炎が。

 今でこそ、塗装がくすんでしまっていますが、当時はそれは派手な色使いで、さらに金色の顔は輝いていたことでしょう。若さが溢れ、なおかつ生命は日に日に生まれ変わる、そのパワーを感じさせてくれたのでしょう。もちろん、今でもその躍動そのものは伝わってきます。

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精神とは別に物質は朽ちてゆく

 しかし、躍動は伝わってきても、やはりその見た目はどんどん朽ちていることが手に取るようにわかります。

 2010年の公開が最後だったね...という残念なことにならないように、維持管理はそれは相当大変なことだと思いますが、大切にその生命の象徴とバイタリティ、青春の彩りを未来へと繋げて欲しいものです。

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 私は70年代後半生まれなので、70年代のこととなると望郷の念のようなものを禁じ得ないのですが、さすがに大阪万博は、生れるよりも結構前のことなので、これまであまり興味を持つことはありませんでした。なので、大阪万博の跡地である万博公園にも訪れたことはありませんし、そういえば、太陽の塔も写真などでした見たことがありません。

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 若い太陽の塔を見て、自分なりに岡本太郎氏からのメッセージを受け止めることができたような気がしたものですから、これはもう、この若い太陽の塔の若さが成熟した形ともいえる、「太陽の塔」も見なければいけないだろう...と、ちょっと大阪に行ってみることにします。

 それにしても、モンキーパークを歩くと、この若い太陽の塔もそうですが、ケーブルカーの跡、かつては小さな列車が走っていたレールの跡、そして一昨年の末に廃止されたモノレールの朽ち果てつつある橋脚と、過去の遺物だらけなことに驚きます。

 開園50周年を迎える日本モンキーパーク。きっと、一大リニューアルをして過去の遺物を一掃、なんてことにはならないと思いますが、生きた施設のなかにあっても、廃墟は廃墟の空気を放つものなんだなと、そう感じます。若い太陽の塔も、この4月6日までの早春特別公開が終わったときに、廃墟への道を再び歩むことになるのではないかと、ちょっと寂しい気持ちを抱きつつ、静寂の丘に背を向けて、再び賑やかな春休みの遊園地へ、1969年の世界から2010年の世界へと、私たちは帰っていったのでした。

追記

※その後、2011(H23)年9月中旬の正式公開が決まり、現在修復工事が行われています。
※修復・塗装工事が完了し、2011(H23)年10月1日より一般公開となりました。

関連情報

日本モンキーパーク

日本モンキーパーク・若い太陽の塔(愛知・犬山市)MAP

若い太陽の塔

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