02.中区 名古屋を歩こう

国際化、だんだん気が抜けて...

記事公開日:2004年3月18日 更新日:

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有名人への道-ロサンゼルス広場

 大きなつり橋、セントラルブリッジが見えてきました。セントラルパークはここまでなのですが、久屋大通公園は続きます。続いては「ロサンゼルス広場」になります。何ゆえにロサンゼルス?と思われるかもしれませんが、ここから先は名古屋と友好都市にまつわる公園「リバーパーク・久屋大通公園」です。

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▲セントラルブリッジです。映画「アイコ十六歳」を思い出します。

 名古屋市とロサンゼルス市は1959(S34)年に姉妹都市提携を結んでいます。このロサンゼルス広場には、ロサンゼルスの方角を示す案内版が設置されていてこの先9065kmと書いてあります。他にもマリリンモンローなどの手形足型や、シルベスタ・スタローン、エルトン・ジョンといった名前が記された「有名人への道」があります。そう言えば、ロサンゼルス・ハリウッドでも同じ物を見た記憶があります。もちろんこちらが複製でしょうね。中日新聞社による謎のオブジェもありましたが、ロスと関係あるのかは不明です。

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▲ロスにも「名古屋」の案内があるのかな?(無さそう...)。 画像 ▲マリリンモンローです。本場ロスにはドナルドダックの水掻きもありました。やっぱあっちはいいセンスしてるなぁ。 画像 ▲有名人への道です。私もこの道に乗っかりたい!

 また、ロス市長から贈られた1億8千万年前の「アラバマ丘陵の石」、ロスと名古屋の時刻を交互に表示する噴水時計がありました。幼い頃、私はこの噴水時計が大好きだったことをふと思い出しました。そうか、その記憶はロサンゼルス広場だったんだ。と思い出しました。20年以上ぶりにこの地にやってきたことになります。後で親に聞くと、私はよく祖父に栄に連れてこられてきたとのこと。忘れかけていた記憶を取り戻そうと、噴水時計に目を凝らしたのですが一向に表示されません。見ると「休止中」。やはり市は既存の公園にあまり力を入れていないようです。悲しいですね。でも、当時はかなり力を入れて作った公園だと感じることができます。

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▲「アラバマ丘陵の石」1億8千万年前かぁ...。 画像 ▲中日新聞社寄贈の謎のオブジェ。まさか「中」をデザイン化? 画像 ▲噴水時計です...。いつから動いていないのでしょう...。

 ちなみに、ロサンゼルス広場から先の地下はまた駐車場となっています。先ほどから散々駐車場があるのに、そんなに駐車場が必要なのか?と思われるかもしれませんが、それが名古屋の車社会というものです。

メキシコの建造物群が荘厳に-いこいの広場

 続いては東海財団寄贈の「いこいの広場」。さぁ、次はどこの国でしょうか。それはメキシコです。メキシコ市とは1978(S53)年に提携しています。ここには「アステカの暦」が展示されています。これは中心に太陽を配した複雑な図形のなかにアステカ民族の宗教的宇宙観とすぐれた天文学的知識を表現した、アステカ民族の暦だそうです。そして「トゥーラの戦士像」。これはトルテカ王国の都、トゥーラのピラミッドの上に建つ神殿の天井を支えていた柱上の戦士像です。神殿のわりに低い天井だなと思ったら、「実物は4.6メートル」って、これレプリカなんですね...。

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▲「いこいの広場」東海銀行はUFJになったけど、財団は今もあるの? 画像 ▲「アステカの暦」です。神秘的で目を引きます。 画像 ▲レプリカだったのか...。他もやっぱりそうなの...?

南京からの石柱は巨大-リバーパーク(南)

 今度は白い塔が広場の両側に見えてきました。このあたり一帯の名前ともなっている中日新聞社寄贈の「リバーパーク」です。ここは南京広場ともなっており、こちらもメキシコ市と同じ1978(S53)年に提携した南京市ゆかりの空間です。両側の白い塔は「華表」というもので、かつて南京では道路や広場の標識として用いた木柱だそうです。秦の時代一度廃止されたのですが、漢の時代に石柱となって復活したものです。高さは6.5メートル、基座の部分は1.4メートルの計7.9メートルもあります。ここまでくると、もう人っ子一人いません。

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▲「華表」です。散歩するには、ここが一番いいですね。 画像 ▲ここまでは、ここまではやる気があったんです...。しかし。

シドニーはなおざり?-リバーパーク(北)

 そして最後は何も看板の無い空間がありました。錨のようなものが置いてあります。見るとそれは、オーストラリアへ第一次船団として送られた旗艦、英国船シリウス号の錨の複製だそうです。特に由来なども書かれておらず、「提携都市のシドニーから提携10周年の記念に送られたものです。」と、それだけ記載されていました。シドニーと提携したのは1980(S55)年、これが設置されたのは1990(H2)年ということになります。たぶん、もうその頃には、ロサンゼルス広場を造った時のような名古屋市の公園整備意欲が、かなりしぼんできていたのでしょうね。

 公園都市、そして外国の彫刻が似合う街並みを目指して、さまざまなコンセプトを持つ公園を1970年代に整備し、それに併せて提携都市の公園を作ったものの、それ程観光の目玉や、人気スポットとはならず...。そして熱が冷めた頃になって...。

「シドニーがなんか送ってきたよ。うわ...大きい...。」

「久屋の一番北、開いてるからあそこにでも置いておこうか。シドニー広場とか、もうそういうの面倒くさいし、いいじゃん。」

「そうだね、東山のコアラ舎は立派なものを作ったし、シドニーはコアラで充分。錨は公園の開いたスペースに置いておけばいいでしょう...ということで...。どうせ誰も見ないだろうし。」

 という会話があったのではないかと、この様子を見ると勝手に想像してしまいます。

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▲「シリウス号の錨」ここまで見に来る人はそんなに...。

 どうでしたか、公園2キロ探訪。なんか体力的な部分以外も疲れてしまったので、一度帰って別の日に出直しましょう。ちなみにこの久屋大通公園、やはり都心ということでたくさんのホームレスの方が居住しています。それも南のランの館前からロサンゼルス広場のあたりまでビッシリ。公園の放置の有様と合わせて、市側はどう考えているのでしょうかね。財政はそれどころではないのはわかりますが...。公園は心癒す存在であってほしいですね。市の顔ですし。


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