千種区[14] 本山
学生が集うショッピングストリートから人が…-本山駅
▲城山八幡宮から南を望むと、中央に中京テレビタワーが見えます
さて、城山八幡宮は小高いところにあり南を望むと八事にある中京テレビの東山タワーを見ることができます。そのタワー方向を目指して歩いていくと、広小路通の本山交差点に出ます。
▲本山駅前です。この左側に愛知工業大学のサテライトが建設中です
本山は地下鉄東山線と、2003(H15)年12月に延長された名城線が交差しています。本山駅で不思議なのが、地下鉄の行き先案内表示の「藤ヶ丘」の「ヶ」の字だけ、電気がついていないように見えるのです。
これは本山駅だけの現象で、他の駅ではもちろん「ヶ」も光っています。「ヶ」に電気が灯っていないのは特定の表示板だけでなく、本山駅全ての表示板がそうなっています。実はこれ、藤ヶ丘駅の駅名変更に絡んでいるのです。
地下鉄東山線の終点でリニモの始発駅となる藤ヶ丘駅は、1969(S44)年4月の開業時に区画整理組合との協議でその名をつけられているのですが、その翌年、区画整理が施行されると町名は「藤が丘」となりました。そのため町や学校の名は「藤が丘」なのに駅だけが「藤ヶ丘」という状態が長年に渡り続いてきました。
そこで地下鉄名城線の環状運転開始とともに駅名の変更が予定されているのです。その名城線の路線延長に伴い工事を済ませたばかりの本山駅では、その名称変更を先取りして「藤が丘」と表示してあるのです。しかしまだ駅名変更が実施されていないために「が」の部分に「ヶ」というシールが張ってあり光を通していなかったのです。
(※郵便バスさん情報ありがとうございました。現在は「藤が丘」に変更済みです。)
▲坂を下っていくと、城山八幡宮が高いところにあることがわかります
この本山駅、かつてパチンコ店があった駅前には愛知工業大学本山サテライトが建設されている他、南に行くと名古屋大学、さらにその南の昭和区内には南山大学、中京大学があり、駅から南に伸びる山手グリーンロードは学生のストリートとなっています。
▲山手グリーンロードから北側を見ます。人は歩いていません
オシャレなショップが並んでいて面白いのですが、なかでも飲食店などが入る複合ビルのZAZにはゴリラがよじ登っていて、思わずビックリします。かつては本山から名古屋大学まで、この通りを学生達は歩いたものでした。
▲南へ歩くと名古屋大学があります。やはり人通りはありません
私もそうでした、と見栄を張りたいところですが、私はセンター試験を受験するために一度行ったことがあるだけです。そのときもやはりここを歩きました。ところが、延長した地下鉄名城線には大学敷地内に「名古屋大学」という駅が設置されたことから人通りは少なくなったと言います。
▲左手前をゴリラがよじ登るZAZビルです
信長の弟が父のために創建・信長は…-桃厳寺・名古屋大仏
そんな山手グリーンロードを南に歩くと左手に桃厳寺があります。このお寺は天文年間(1532-55)に末森城主だった信長の弟、織田信行が父信秀の菩提を弔うために創建したもので、当初は末森村ニ本末、現在の穂波町付近にあったのですが、1714(正徳4)年にこの地へと移されています。
▲桃厳寺は緑が豊かです
一見入口は小さいのですが、敷地は広く奥には大きな大仏があります。大仏は名古屋大仏と呼ばれ、青銅でできた座高は10メートルの大仏です。
▲こちらが名古屋大仏。右下にいる像がカワイイ
台座は菩提樹の壁面に囲まれていて、周囲にはインド象の姿もあります。不思議なのが、その大仏の横には大仏とは別に手首だけが置かれています。多分、大仏の手と同じ大きさをしているのだと思いますが、その大きさには驚かされます。他に何か意味があるのかも知れません。
▲手首だけが離れた所にあります。どういう意図…
他にも敷地内には愛犬供養のための犬の像があり、多くの動物が眠っています。
▲犬の像がお墓をじっと見つめます
またそのすぐ横には、江戸時代後期の外科医で、日本初の全身麻酔によるガン摘出手術を成功させた華岡青洲夫婦を描いたドラマで、CBC(中部日本放送)テレビにて1973(S48)年に放送された「愛情椿」を記念して植えられた椿があります。
▲ここにはたくさんの動物達が眠っています
ちなみにその麻酔薬が成功するまで、華岡青洲は妻や母を実験台にしたとのこと。そこには嫁姑のドロドロがあったそうです。話が随分逸れてしまいました。興味のある方は有吉佐和子さんの著書をご覧下さい。
▲本堂もやはり多くの緑に包まれています
誰が何と言おうとメーダイ-東山大悲閣・名古屋大学
山手グリーンロードをさらに進むと四ッ谷通3丁目の交差点があるので、そこを右に曲がります。すると東山大悲閣という小さな社があります。
▲東山大悲閣です。大きな道路沿いにひっそり
そしてその向かいにあるのが鏡ヶ池、そこから南の一帯は名古屋大学の敷地になります。名古屋大学は1939(S14)年に名古屋帝国大学として設立されているのですが、9つあった旧帝国大学の中で一番遅くにできています。
東京大学、京都大学、東北大学、九州大学は明治時代に、北海道大学と当時植民地だったソウル大学は大正時代に、そして昭和に入り同じく植民地だった台湾大学、さらに大阪大学の後に名古屋大学は設置されているのです。しかも1935(S10)年には愛知県議会が大学設立の意見書を政府に提出しているのですが、却下されているのです。
▲名大敷地内にある鏡ヶ池です。ここから南はずっと名大
名古屋には総合大学は似合わないということだったのでしょうか。しかも名古屋帝国大学は総合大学ではなく、それまであった名古屋医科大学を医学部とし、新設されたのは理工学部のみでした。
この背景には、名古屋は当時から製造業が盛んであり、戦争に向けて軍需産業を発展させる必要があったものと思われます。やはり名古屋は文化や文学といったものとは無縁だったようです。文系学部が初めて設置されるのは戦後の1948(S23)年のことで文学部と法経学部が増設されています。
▲山手グリーンロードの両側はすべて名古屋大学になります
さてこの名古屋大学ですが、地元では「メーダイ」で通っています。「メイダイ」ではなく「メーダイ」と平坦に延ばすのがネイティブな名古屋っ子です。東京では明治大学を「メイダイ」と呼び、名古屋大学を「ナダイ」と呼ぶようですが、そんなものは名古屋では通用しません。
▲道路沿いでも大学敷地内になるので、学内郵便局です
ちなみに、私もそうですが「名古屋○○大学」といった私立大学に通う人たちが、コンパなどで決まって言うギャグに「俺達もおもいっきり略せばメーダイ」というものがあります。決して面白くも何とも無いのですが、そこには国立大学へのジェラシーがおもいっきり入っているので、決してツッコミを入れることなく、そっと温かい目で見守ってあげてください。
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