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5「露橋」
ナゴヤ球場前VS球場正門前
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画像内野全焼・倒産・そして…ナゴヤ球場
画像球場はまだあるのだけれど…山王駅
画像貨物線にグリーン車特急東臨港貨物線
※記述は2004(H16)年8月取材時のものです。現在「ナゴヤ球場前駅」は「山王駅」となっています。

画像内野全焼・倒産・そして… −ナゴヤ球場
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 かつて中日ドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場は、1948(S23)年に木造の中日球場として完成しました。しかし3年後の1951(S26)年、巨人戦で火災が発生して内野スタンドが全焼してしまいます。死者3名、約300名の負傷者を出したのですが、それは火災による直接的なものだけでなく、火災発生による球場の混乱もすごく、転んで倒れた人を踏んでその上を走って逃げるというまさに地獄絵図だったそうです。
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 火災が発生したことがわかると、スタンドにいたお客は一斉にグランドへとなだれ込み転んだら最後、後ろからくる人に踏まれ、もう立ち上がれないという状態だったのです。当時はテレビもまだ無くこの映像は残っていません。ではなぜ私が知っているのかというと、ちょうどその日、祖父と当時小学生だった伯父たちがこの試合を見に行っていて話を聞いたからです。伯父たちも混乱ではぐれてしまい、派出所で合流したものの伯父がひとりだけ見つかりませんでした。すると伯父は千種区の谷口にいることがわかりました。ひとりでこの露橋から自宅のあった猪高村(現・名東区)へと延々歩いて帰ろうとしていたのです。当時、小学生に連絡手段は何もありませんからとりあえず帰ろうとしたのでしょう。
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▲広告看板などが無くなり、すっきりしたナゴヤ球場。

 その後鉄筋コンクリート製のスタンドが再建されるものの、1973(S48)年に中日球場は倒産してしまいます。そのため中日新聞社など地元企業の共同出資でナゴヤ球場が設立され、1975(S50)年から中日球場はナゴヤ球場と名を改めました。収容人数は35,000人。ナゴヤドームよりも5,000人ほど少なく、今よりも野球人気が高かったために、チケットの入手は巨人戦ともなると非常に困難でした。ナゴヤ球場は中日ドラゴンズの本拠地として、そして近鉄バファローズの準本拠地として多くの人が訪れ、露橋の街は賑わいました。付近の民家は庭を駐車場として貸し出し、野球開催日は臨時列車も増発されました。
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画像球場はまだあるのだけれど… −山王駅
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 さて、このナゴヤ球場への交通手段なのですが、先程お話しましたように名鉄ナゴヤ球場前駅は、線路の配置の都合から、ここから600メートルほど離れた場所にあります。1997(H9)年から中日ドラゴンズの本拠地がナゴヤドームに移って以来、ナゴヤ球場は二軍の公式戦と練習に使用されており、かつて西区の堀越にあった屋内練習場と合宿所が2003(H15)年、ナゴヤ球場の横に新築完成しました。今でもドラゴンズの活動拠点ではあるものの、今はもうかつてのような賑わいはありません。そこで名鉄もこのナゴヤ球場前駅について、2004(H17)年1月のダイヤ改正で「山王駅」に名称を戻します。ナゴヤ球場前駅には今も野球のボールを模った看板があるのですが、駅名変更とともに無くなることでしょう。かつてはごった返した駅も、今は無人駅です。
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▲ナゴヤ球場前駅。山王駅となればこのボールの看板も…。画像 ▲最低でも1時間各方面6本。結構止まります。画像 ▲完成したばかりのドラゴンズ屋内練習場。

画像貨物線にグリーン車特急 −東臨港貨物線
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 そしてもうひとつ、ナゴヤ球場への交通手段にはJRがありました。尾頭橋駅じゃないの?と思われるかもしれませんが、尾頭橋駅が開業したのは1995(H7)年のことで、それまでは野球開催日のみ臨時列車が走っていました。しかもそれは東海道本線でも中央本線でもなく、臨港貨物線にです。ナゴヤ球場の正門から真東に歩き、高架をくぐると真新しい歩道と踏切があります。先ほどは高架になっていた臨港貨物線も、ここまで来ると地面に降りています。なぜ歩道が真新しいのか、それはかつてここに駅があったのを撤去したからです。
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▲敷地の余った部分には、中日新聞の関連会社が。画像 ▲かつてJRナゴヤ球場正門前駅が設置されていた場所。画像 ▲ここを特急車両が走っていたのです。

 臨港貨物線はJR貨物のみが運行している路線ですが、JR東海は1987(S62)年から尾頭橋駅の開業する前年の1994(H6)年まで、名古屋駅とこの臨時駅「ナゴヤ球場正門前駅」間にお古の特急列車を走らせていました。所要時間はわずか5分、正門前駅の名のとおり下車して球場まで徒歩1分。名古屋駅からナゴヤ球場までわずか6分ということでとても便利であったのとともに、キハ80系など型遅れの車両を走らせていたことから鉄道マニアの間でも人気でした。特急車両なのでグリーン車や指定席もありましたが、もちろんそれらは関係なく座ることができました。たった5分ですからね。
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 ナゴヤ球場正門前駅は尾頭橋駅に引き継ぐ形で廃止となり、名鉄のナゴヤ球場前駅もその名を山王駅に戻します。当たり前と言えば当たり前のことです。
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 今、尾頭橋から露橋界隈を歩いても、遊郭そして野球による過去の賑わいを感じ取ることは全くできません。競馬開催日に耳に赤鉛筆を指した人々が、ナゴヤ球場や遊郭とは反対側の堀川沿いにあるウインズ名古屋へと向かうだけです。ようやく普通の住宅街になったというところでしょう。でも、かつてナゴヤ球場へと足を運んだ私は、この地に訪れると当時の様子、そして当時の自分が甦ります。少年時代の自分を探しに、遊郭で賑わった当時の面影を探しに、尾頭橋から露橋を歩いてみてはいかがですか。建物が、そして記憶が風化してしまう前に。
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