08.熱田区 名古屋を歩こう

六番町は何が六番なのか

記事公開日:2004年9月14日

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コジマが一号店をここに立地したのは...-中央卸売市場

 白鳥公園から国際会議場を越えて北に歩くと中央卸売市場にぶつかります。その市場沿いを西に歩くと地下鉄日比野駅に出ます。ここもデザイン博当時には大変賑わった駅ですが、今ではこの国際会議場でよく開かれる名大社の企業展にやってくる求職者が利用することの多い駅になりました。証券会社のセミナーの日は、金儲けが趣味というお年寄りで溢れ返ります。その日比野交差点は5差路になっていて変則的な信号表示になっています。この5本のうち南東に向かう太い道路だけはすぐに終わってしまいます。その南東へと歩きます。

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▲名古屋の台所、中央卸売市場はリニューアル予定。
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▲大名古屋食品卸センター。大名古屋です。
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▲日比野交差点はどの車線がどっち行きかいつも迷います。

 少し歩くと左側にコジマがあります。今見ると普通のコジマなのですが、名古屋地区第1号店ということで開店当初は大変賑わいました。私も当時はるばるここまで買い物にやってきたのですが、結局買ったのはビデオテープだけでガソリン代の分地元で買うよりも高くなってしまいました。さらに歩くと、道路の右側に地蔵堂のある交差点に「一番3丁目」という町名表示が掲げられています。一番なのに3って?とお思いになるかもしれませんが、ここは「熱田区一番」の3丁目になります。その次のすかいらーくのある交差点は「一番一丁目」しかも交差するのは国道1号。これは縁起のいい交差点です。一番好きにはたまりません。そんな一番マニアがいるのかどうかはわかりませんが。

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▲市場の近くには大きな冷蔵庫もたくさん。
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▲名古屋市で一番にオープンしたコジマ。
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▲一番3丁目交差点にある地蔵堂。

熱田新田の干拓開始地点-一番地蔵

 それにしてもこの界隈は自己主張の強い店名のお店が多い。「ヘアーサロン・マー坊の店」「麻雀富士クラブ・石井新一の店」といった具合です。しかも石井さんは名前も一番です。このあたりは自分達が一番という人たちが多いから一番という地名なのでしょうか。すると地下鉄の六番町の駅があるあたりの住人は六番手?などと考えながら国道1号を東に少し歩くと、左手に観音堂があります。そこには高さ6メートルの巨大な地蔵が立っており「第一番札所」という石碑が建っています。

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▲すかいらーくも熱田一番店。
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▲国道1号の一番一丁目交差点。縁起が良い!?
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▲6メートルもあるとお地蔵と言うよりもまるで大仏のよう。

 この地蔵は「身代り地蔵」という名で、1980(S55)年に建てられた比較的新しいものです。この国道1号線は頻繁に自動車が往来するために、一番町界隈では交通事故が多発し多くの方が亡くなっています。その方々の冥福を祈り、交通安全の願いを込めてこの地蔵尊を建立しました。この地蔵を作製した森部猛さんも4回事故に遭っていますが奇跡的に助かったそうです。その想いがしっかりとこめられています。今日も一番地蔵は国道1号を見守っています。

 さてその一番ですが、その由来は1646(正保3)年に遡ります。白鳥公園のところでも書きましたが、ここから先はかつて海でした。尾張藩の藩祖徳川義直は国奉行に命じ新田開発、つまり埋め立てて田んぼにする計画をさせ、それから3年後の1649(慶安2)年に新田が完成しました。それがここから先の熱田新田です。新田はここから中川区、港区を経て庄内川に至る広大な面積となりました。新田は33に分割され、一番から三十三番と名前がつけられました。またそれぞれの守護のため、西国33ヶ所の観音さまを祀ったのです。ですから一番とは新田、すなわち当時の埋立地の西端ということを意味しているのです。そして一番の観音さまがこの第一番札所に祀られているわけです。

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▲第一番札所の石碑。
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▲一番観音堂と身代わり地蔵尊。

熱田空襲の標的-愛知時計・祐誓寺

 一番観音から国道1号を東に歩くと、白鳥橋の西側に小さなお地蔵さんがあります。お地蔵さんのために工場の塀が曲がっています。その小さなお地蔵さんの前にはさらに小さな高さ20センチほどのお地蔵さんもいました。綺麗な布をかけられ折り鶴も飾られていて、工場沿いでありながら大切にされていることがよくわかります。このお地蔵さんも国道1号の安全を見守っています。しかし、このお地蔵さんは交通安全のために建立されたわけではありません。

 愛知時計を越えて熱田高校の南側に地蔵堂のある祐誓寺があります。祐誓寺には殉職者の碑があります。実は先ほどのお地蔵さんもこのお寺の碑も、熱田空襲の犠牲者の冥福を祈るために建立されたものなのです。1945(S20)年6月9日、熱田空襲によって数百名がこの地で命を落としました。当時はこの愛知時計で多くの学生が働いており、爆撃によってたくさんの命が失われました。ちなみに、今は日産グループの愛知機械となっている向かいの工場は、当時愛知時計の航空機部門が独立した愛知航空機という会社で、日本海軍の爆撃機・航空機を製造していました。そのためここが空襲の標的になったのです。

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▲工場敷地内にあるのはそういう理由からだったのですね。
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▲現在は日産グループの愛知機械。
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▲祐誓寺の観音堂は綺麗に清掃中でした。

新幹線を眺める人形達-南郊公園

 祐誓寺から西に歩いて行くと、南郊公園があります。ここから北が二番、南が三番です。南郊公園には七人の小人と歌壇というオブジェがあり、花壇には綺麗な花々が植えられ遊具では子ども達が遊びほのぼのとして光景が広がります。公園内には東海道新幹線が走っており、時折のぞみが轟音とともに通過します。新幹線を見たいという将来鉄道マニアになりそうなお子さんもこの公園なら大満足です。

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▲南郊公園は細長く、この先港区内を通り中川区境と接します。
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▲七人の小人がお出迎え。
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▲新幹線が通過する音が響きます。

熱田新田の観音さんを巡礼-熱田社・2番~5番札所

 二番を国道1号まで北上すると、熱田社と慈教寺があります。熱田社は公園になっていて緑の木陰で休憩にピッタリです。すぐ横の慈教寺は近代的な建物になっていますが、入るとすぐに二番と三番の札所があります。一気に二つお参りできてラッキーと思ったらここだけではないようで、この先の四番にある観音堂には四番と五番の観音さまがいます。こちらは国道1号から北に3本入ったところにあるので見つけにくいかもしれません。また、四番には国道1号の2本南側に四番町神明社があり、この日は夏祭りの準備が行われていました。

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▲熱田社は公園が併設されており、木陰で涼しく休憩できました。
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▲慈教寺のなかに二番・三番観音堂。
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▲祭りの準備をしていた四番町神明社。
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▲四番・五番観音堂は六番町駅のバスターミナル近く。
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▲新田地帯なのに、軽自動車しか通れないような道路が登場。
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▲二番にある日本額椽。実は愛知県額縁生産量日本一。二番でも一番。

六番とはそういうことね-六番町

 そして四番の西側が六番。地下鉄六番町駅のある六番です。以前からなぜ六番町なのかと疑問だったのですが、こういうことだったのですね。こちらは国道1号の一本北の道路と新幹線の高架が交差するところに六番と七番の観音堂が、そしてその道をさらに西へ歩いて行くと八番に八番と九番の観音堂があります。ちなみに一番から六番と八番は熱田区ですが、それ以降は中川区と港区になります。それぞれの観音さまは各区のところでご紹介します。

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▲六・七番の観音堂は新幹線高架のすぐ横。
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▲八・九番の観音堂のあたりは旧宝田町。
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▲国道1号と東海道新幹線がクロスします。

 新しく埋め立てた土地に守り神を置く。民間信仰の表れと言えるでしょう。このあたりは住宅街になってしまい新田の面影はありませんが、今も観音さまたちが当時の様子を語りかけてくれそうです。それにしても当時のままの地名が今も残っているというのが嬉しいですね。名古屋市は区画整理で地名を淘汰してしまったのは西区明道町のところで触れましたが、ここもいつかは熱田新田町とかになってしまうのでしょうか。

 しかし地名に「番」がついているというのもややこしいと言えばややこしいですよね。例えば、「一番一丁目一番地一番」とか「六番二丁目三番地六番」なんて住所を書いていてわけがわからなくなりそうです。それにこのあたりの小学生には「番コンプレックス」なんてのがあったりして。

 運動会にて「あいつ、家は一番なのにドベでやんの~。」とかね。

 ちなみにドベとは名古屋弁で最下位のことです。中日ドラゴンズが最下位のときは、「今年のドラゴンズはドベゴンズだがや。」と揶揄します。


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