トッピーネット開設12周年特別企画、名古屋からちょっと遠出の大阪レポート。第1弾はABC朝日放送の新社屋を、第2弾は阪堺チンチン電車紀行をお届けしました。
ラストとなる第3弾は、5回に渡って、大阪の人々が集まる場所をレポートします。新世界から日本橋でんでんタウン、梅田へと足を進めます。
まずは、前回レポートしました、全国から労働者が集まるドヤ街「あいりん地区(旧釜ヶ崎)」と道路を挟んで向かいにある、大阪屈指の観光名所である新世界へ。新世界といったらやっぱりアレを食べないとね。
光ってなくてもなんだかまぶしい・これぞ大阪
「新世界」
それは通天閣を中心に広がる繁華街で、大きなふぐ提灯の看板をはじめ、立ち並ぶお店に派手な装飾が施され、一目見て、いかにも大阪という印象を受ける街です。それぞれの店の自己主張がぶつかりあい、看板に使われている色は原色でしかも派手。電飾が輝いているわけではない昼間でさえ、思わず「まぶしい」と言ってしまいたくなるような風景です。
新世界は、1903(M36)年に開催された第5回内国勧業博覧会をきっかけに、その会場跡地や周辺に芝居小屋や演芸場、映画館などが集まって形成された繁華街で、東京で言えば浅草、名古屋で言えば大須のような街なのですが、やはり大阪のこの派手さは、他とは異質なものを感じます。
さらには、浅草や大須のように完全な門前町ではないことから、おもいっきり商業主義な店も多く、それも派手さに拍車をかけているのでしょう。
それとも、博覧会の跡地であることから、それ以来ずっとお祭り騒ぎが続いている、と言った方が適当かもしれません。実際には、戦後寂れた時代もあったのですが。
二度付け禁止
ガイドブックなどでは、新世界はレトロさが売りのような記述が見られますが、確かに街自体には古さを感じるものの、建物や装飾などは新しく、特に通天閣の南側はズバリ観光地というイメージで、そんなにレトロさは感じられませんでした。
ふぐ、お好み焼き、どて焼きなど、様々なお店が立ち並んでいますが、やはりこの街で目に付くのは「串かつ」の文字。
そこで友人イチ押しの、通天閣のふもとにある「だるま」というお店に入りました。
このお店は、創業が1929(S4)年で現在4代目という、まさに「大阪新世界元祖串かつ」という肩書きがそのままのお店。7店舗を展開しています。
注文すると、揚げたてのものがバットに乗せられてそのままテーブルに運ばれてきます。もちろんテーブルにはキャベツも。
運ばれてきたものを見ただけで、衣が普通じゃないことがわかります。もうサクサク感が見た目で伝わってきます。
席にそれぞれ、秘伝のタレが入った容器が置かれています。ここに串カツなどを沈めて味を染み込ませるわけですが、今ではもう有名ですよね「二度付け禁止」というルール。
ソースをつけて一口食べた後は、それをソースに再び付けてはいけないというルールです。お店にも当然書いてありますし、ガイドブックにも記載されている、まさしく大阪串カツ公式ルールです。
このソースが不思議。たくさんつけてもクドくなく、しっかりとしている味なのに、さらっとしてる...。
えー、そんなソースなら、二口目もソースをドバっとつけたいよ~という方も大丈夫。二度付けはダメでも、かけるのはいいんです。ソースを付け直したい時は、キャベツでソースをすくって、串かつにかけるんです。この方法も、公式ルールとなっています。
税金完納を推進?
新世界の味を満喫してお店を出ると、「新世界消費税完納推進の街」という微妙なニュアンスの看板を発見。名古屋でも「完納宣言」といった看板は見かけることがありますが、「完納推進」とはこれまた微妙な表現ですね。
そういえば、新世界に来るまで乗ってきた阪堺電車でも、やたらと「府・市民税」の納付を訴えかける広告を見かけました。やっぱり、大阪は税金徴収がうまくいっていないのでしょうかね...。知事さん、まず根本から大変ですね...。
新・新世界のセンス
新世界には、ふぐや串かつ、大阪みやげといった業態が多いのですが、やはり時代ですね。なかにはインターネットカフェも見受けられました。
それにしても大阪の人のセンスはすごい。串かつの街のインターネットカフェだからって、店名は「インターネットン」。しかも明らかに、あるブラウザのマークを豚に見立てて、それを組み合わせただけというロゴマーク。
店名と看板だけで笑わせようとしているかのように思えてしまうのですが、これが普通なのでしょうね。名古屋では、こういったセンスのある看板や店名に出会うことは本当に稀です。
密着してください!
私が新世界に初めて訪れたのは8年前。相方と一緒に来ました。ふぐを食べようかどうかかなり迷って、結局食べなかった記憶があります。今回は友人と来たのですが、そんな記憶のあるふぐの「つぼらや」の前には、夫婦ふぐのキャラクター看板に顔を入れて写真撮影ができるようになっています。
その穴の小さいこと。ここに2人の顔を入れたら密着ですよね。え?別に2人で入れる用になってるわけじゃない?
それにしても、お店の入口を記念撮影スポットにしてしまおうという、その大胆さがうらやましい。
通天閣ってそもそも何?
大阪といえば新世界、大阪といえば通天閣。というイメージは私も昔から持っていたのですが、ずっと疑問だったのは、通天閣が一体何なのかということです。
東京タワーや名古屋テレビ搭は、あくまでも本来の建設目的は「電波塔」であり、テレビの電波を発射することを本業としています。しかし、通天閣からはテレビの電波は出ていません。じゃあ、何のためにあるの?
通天閣の歴史は古く、今あるのはなんと2代目です。初代は1903(M36)年、博覧会の会場跡地にパリのエッフェル塔と凱旋門を模って建てられたのだそうです。火災などを理由に戦時中に解体されてしまうのですが、戦後の1956(S31)年に、現在のものが建てられるのです。
目的は何か。それは「観光」です。要は展望台なのです。人を集めるためだけにこういうものを作ることができるのが、大阪なのです。
それにしても、「新世界」に「通天閣」。この命名センスからして、やっぱり大阪の感覚って、昔から他とは違うんだな...と感じますね。
次回は、そんな新世界の一角にある、海底都市をモチーフとした、都市型アミューズメントパークを都心に建設したものの今や...です。