10.中川区 名古屋を歩こう

河童だって見なきゃわからない

記事公開日:2004年12月26日 更新日:

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21世紀にかける夢を市民がデザイン-ギャラリー200

 中川区は西の方にある区という印象が強かったのですが、港区ほどではないものの東西に長く、名古屋駅からわずか800メートルほど南に歩くと中川区の東端です。名古屋駅は東がビジネス街、西が古くは一大遊郭街だった歴史のある街並、北は産業、そしてこの南側は運河を中心として物流の街になります。

 中川区に入ると、京都と鎌倉を結んだ鎌倉街道が堀川と中川運河を横切ります。南北に流れる堀川の西側が中川区です。堀川と中川運河が結ばれている場所には、ヨーロッパの水門を思わせる松重閘門(まつしげこうもん)があります。1930(S5)年に作られた閘門の本来の役割と今の役割とは何か。それは物流と密接に関係がありました。今と昔では物流形態はかわってしまいましたが、今でもこの周辺には物流基地だったという面影や、現役の姿もあります。では名古屋駅から南に歩きます。

 名古屋駅から名駅通を南に歩いていきます。左側にはJR東海道本線、新幹線、名鉄名古屋本線と多くの線路があり高架になっているのですが、その壁面には200メートルに渡って壁画が描かれています。未来を予感させるものだったり、抽象的なものなどジャンルは様々。この名駅ウォールアート「ギャラリー200」は1998(H10)年に「21世紀にかける夢」をテーマに市民が描いたもので、高架のトンネルの中にまで小学生の絵があったりします。こういった市民レベルでの芸術こそがデザイン都市のあるべき姿ではないかと思います。ただ残念ながら、この界隈には見て歩くようなお店もほとんど無く歩行者はまばらです。走る自動車の車窓からでは、これらの絵に目が止まることは少ないでしょう。ただ、ふと赤信号で止まった時には、殺風景なコンクリートの壁に描かれた色鮮やかな未来が、味気ないと言われる名古屋の街並のなかで、一服の清涼剤となることでしょう。

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▲名古屋駅からわずか800m。もう誰も歩いていない名駅通。
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▲線路の高架下にも地元小学生によるアート。

 名駅通は六反野小学校前交差点から西日置ガード東交差点間のわずか200メートルが中村区になっています。区域がくいこんでいるわけですが、それは本当にこの名駅通の道路部分だけであり、道路とほんのわずかな部分だけが中村区西日置1丁目になっています。そしてもうひとつ不思議なことがあります。名駅通の東側は中川区西日置で1丁目と2丁目があるのですが、西側は西日置町で9丁目と10丁目しかありません。3丁目から8丁目が飛んでいるのも気になりますが、「町」のある無しも気になります。もちろん様々な経緯でこう分断されてしまったのだと思いますが、道路と線路の両側で仲が悪いのかとか余計な推察をしてしまいます。

踏切はとっくに無くなったけれど-踏切地蔵

 その高架脇で西日置の街を見守っているのがお地蔵さんがあります。かつて線路が高架になる前はここに踏切があり、交通安全を祈願して祀られたものです。今では新幹線が通るこの路線も、かつては汽車が走っていたことでしょう。もう踏切は無くなってかなり経ちますが、今も綺麗な花が生けられこの日はスイカが1個まるごとお供えされていました。高架化によって鉄道事故は無くなっても、この界隈は自動車の往来が激しく交通事故の危険性があります。また、こういった高架下を夜歩くのは怖いものです。1934(S9)年から日置の街を見てきたお地蔵さん。危険の対象は変われども今も名前は「踏切地蔵」のままで、歴史の証人としてこれからもこの地で街を見守ってくれるでしょう。

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▲西日置ガード。右下に地蔵堂があるのがわかります。
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▲綺麗な花と、スイカがまるごと1個お供えされていました。
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▲今でもその名は「踏切地蔵堂」。

かつてはこんなところまで入り江だった-鹽竈神社

 西日置ガード東の交差点を左折して東へと歩きます。道路の両側には西日置商店街が広がります。飾り気の無い昔からの商店街で、アーケードも無く下町風情が漂います。その商店街の中心にあるのが鹽竈神社です。1610(慶長15)年、徳川家康から諸大名20名に名古屋城築城が命じられました。その際、岩田藤成という武士が工事の無事遂行を祈って仙台の塩竈大明神をここに勧請したのが始まりです。その後、その家康に命令を受けた一人で、堀川を掘削したことで知られる福島正則が御手洗盤を寄進し、延宝年間(1673-81)に尾張藩の武将松平康久が社殿を改修しています。当初は日置と古渡の村境にあったのですが、二度目の遷座で現在地に遷っています。

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▲西日置商店街は車もあまり通らず静か。旧鎌倉街道です。
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▲名古屋城築城の無事を祈って創建された鹽竈神社。
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▲境内は結構広く、さまざまな神さまが祀られています。

 鹽竈神社は様々なご利益があります。まずは海の神さま。かつてはこの辺りまで入り江が迫っていたこともありますし、航海交通の意味も含めてですから堀川や運河での航行安全も祈願されています。そして名前のとおり塩の神様。塩の製法を教えてくれた神様として信仰を集めています。また、全てのものは海から生じるという思想から、産業発展、安産、虫封じ、延命にもご利益があるとされています。

河童だって見なけりゃわからない-無三殿大神

 また境内には白光龍神、塩三稲荷、無三殿(むさんどの)大神が祀られていて、そのなかの無三殿大神は商売、子ども、根抜きの神様です。もとは今は埋め立てられてしまった江川と、中川運河に一部姿を変えている笈瀬川との合流点にいた河童を祀ったものでした。商売の神様、子どもの神様と言われる所以は、河童のとってくれた魚介類を売ることで商売がうまくいき、河童は川辺で子ども達を一緒に遊んでくれたことによります。ところでもうひとつの、根抜きとは何でしょうか。根抜きとは、痔を治してくれるということなのです。これは痔を患っている方に朗報です。しかし、ここには河童が祀られているというだけで、治してもらうには実際に河童のいるところに出向かなければなりません。

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▲白光龍神、塩三稲荷、無三殿大神、そして靖霊社。
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▲こちらが河童を祀ったといわれる、無三殿大神。
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▲しおがま神社だけに、大きな釜。

 河童はどこにいるのかといいますと、ここから南東に650メートルほど歩いたところにある「むさんどの橋」という場所にいるとのことです。その橋自体はもう無くその場所は現在、堀川に架かる山王橋の西北角にあたります。しかしそこに行って河童にお祈りをすればいいというわけではなく、河童に見せなければなりません。何をかと言うとそう、痔を見せなければいけないのです。つまり橋の欄干でお尻を川面に映さなければならないのです。確かに、河童も実際に痔の状態を見てみないと治してあげることができないのでしょう。

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▲現在の山王橋。片側4車線の道路になっています。
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▲この山王橋北側の右岸でお尻を出さなくてはいけません。

 しかしそれは昔の話、今の山王橋は上に高速道路が走る片側4車線の道路です。あやかりたいのはわかりますが...。人通りの無いときにこっそり...どうぞ。


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