2004-11

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名古屋みゃーみゃー通信

ほかっとけって言ったじゃないですか 名古屋弁で発生する食い違い

学生時代はずっと名古屋で過ごし、社会に出る際に初めて名古屋を離れる人や、結婚で名古屋を離れる人、名古屋で就職してもその後の転勤によって名古屋を離れる人など、大人になって初めて名古屋を出るという人もたくさんいます。社会に出て初めて気づく名古屋弁その場合は前回お話したようなことで、言葉によっていじめに遭うだとか馬鹿にされるようなことは少なくなりますが、やはり名古屋っ子は名古屋弁をあまり使わなくなります。また、子どもとは違い言葉のすれ違いによって大きな失敗に繋がることもあります。今回も具体的な事例をもとに名古屋っ子が普段いかに名古屋弁と意識せずに名古屋弁を使っているかを検証していきます。
名古屋みゃーみゃー通信

名古屋の少年はこうして名古屋弁を失う 名古屋っ子がよそに行った時に浴びる洗礼

「たわけ」「やっとかめ」「だがや」最近は名古屋弁の言葉も一部は全国区になりつつあります。これは既出のとおり「Dr.スランプ」という鳥山明先生の漫画が大きく影響しているのはもちろんです。しかし、全国区といってももちろん全国的に使われているようになったわけではなく、名古屋弁として有名になったに過ぎません。名古屋っ子は上京したりすると名古屋弁が抜けるというお話をしましたが、今回はその理由をさらに深く考察してみます。
10.中川区

五女子-運河をここに作ったのは本当に…

中川区 五女子女子(にょうし)町の由来-二女子・四女子・五女子小栗橋から中川運河を南下します。次の長良橋が尾頭橋からの佐屋街道になります。佐屋街道を東に歩くと、右側に二女子町、そして露橋で寄った五女子センターのある五女子交差点があります。こ...
10.中川区

北一色-世界の映画・世界のバイオリン

中川区 北一色古い運河の行き着く先は-中川運河倉庫街名鉄ナゴヤ球場前駅から中川運河へと歩きます。このあたりは新幹線の高架もかなり低くなっており、高架をくぐるトンネルの向こう側にある信号機が通常の高さでは見えないために低い位置に設置されていま...
10.中川区

露橋-ナゴヤ球場前VS球場正門前

中川区 露橋※記述は2004(H16)年8月取材時のものです。現在「ナゴヤ球場前駅」は「山王駅」となっています。内野全焼・倒産・そして...-ナゴヤ球場かつて中日ドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場は、1948(S23)年に木造の中日球場とし...
10.中川区

八幡-赤鉛筆と尾頭橋

中川区 八幡子どもの虫封じ-西古渡神社・陽泉寺JR尾頭橋駅から名鉄名古屋本線のナゴヤ球場前駅までぐるっと時計回りに歩きます。八幡という地名は今はもう公園にしか残っていませんが、かつて尾頭橋3・4丁目付近にあった八幡村を指します。JR尾頭橋駅...
10.中川区

尾頭橋-ホテルの新規需要?

中川区 尾頭橋別名姫街道・別名新橋-佐屋街道・尾頭橋ドン.キホーテのすぐ南では江川線とJR中央本線、東海道本線、名鉄名古屋本線が交差するのですが、そのうち東海道本線のみに尾頭橋駅が設けられています。では一度電車に乗って隣の金山へと行ってみま...
10.中川区

山王-闇と光とパナマ運河

中川区 山王江川線が江川だった名残-水主町中川区に西日置があるということは、東日置は中区にあるのかと思い、鹽竈神社から東に歩いてみます。すると上に高速道路の走る江川線に出ます。▲江川線は歩道も広く。歩道の歩行者道と自転車道の間にも街路樹江川...
10.中川区

日置-河童だって見なきゃわからない

中川区 日置21世紀にかける夢を市民がデザイン-ギャラリー200中川区は西の方にある区という印象が強かったのですが、港区ほどではないものの東西に長く、名古屋駅からわずか800メートルほど南に歩くと中川区の東端です。名古屋駅は東がビジネス街、...
名古屋みゃーみゃー通信

名古屋弁は門外不出? 名古屋っ子はなぜかよそでは名古屋の言葉を使わない

前回、名古屋っ子は名古屋を出ると名古屋弁を使わないと書きましたが、よく考えればそれはどの地方にも言えることで、上京しても故郷の方言をそのまま使うのは関西方面の出身者だけです。これはやはり、全国区のテレビ番組でも関西出身の芸能人が関西弁を使用していることで、関西弁に対する免疫が全国の人々にあるということと、関西の出身者が関西弁は全国で使っても恥ずかしくないという意識を持っていることによるものだと思われます。
10.中川区

中川区を歩こう-水の都

中川区のなりたち中川区プロフィール名古屋の水郷地帯中川区は名古屋市西南部にあり、名古屋駅のある中村区と港区に上下を挟まれる格好になっています。東西に長く、東は名古屋駅、金山といった繁華街から程近いにもかかわらず西は中村区の西端よりもさらに西...
名古屋みゃーみゃー通信

なぜ名古屋弁が標準語ではないのか そんな世界線があったかもしれない

名古屋弁はなぜ標準語にならなかったのでしょうか。唐突に何を言い出したのかと思われるかもしれませんが、冷静に考えてみていただきたいのです。天下統一を成し遂げることはできなかったものの、戦国時代に統一へと足を踏み出した武将・織田信長は、愛知県中島郡生まれの名古屋育ち。そして農民の子として生まれ、のちに信長の遺志を継いで天下を統一した豊臣秀吉は名古屋市中村区生まれです。
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