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沢村栄治投手の生誕地「全力石」から感じるパワーと伊勢市明倫商店街のリアル昭和感

記事公開日:2017年3月19日

★あのベーブ・ルース選手と対戦 球速は160キロを超えていた?
★27歳で戦地に散ったレジェンド
★明倫商店街に生誕100周年を記念した「全力石」登場

 巨人軍創成期のエースとして、今も「沢村賞」として名を残す戦前の名投手、故・沢村栄治投手は伊勢の出身。レジェンドとして語り継がれる一方で、戦争に翻弄され27歳という若さで戦地に散っています。

 2017(H29)年、沢村栄治投手の生誕100周年を迎え、地元は記念事業が盛り上がり、記念碑も設置されたと聞いて現地を訪れたのですが、独特な商店街の空気に魅了されました。天井だけでなく壁で囲まれた商店街は、駅前でありながら外界とは隔離されたまるで別世界です。

かつては市名だった宇治山田駅前

 近鉄宇治山田駅にやってきました。この駅前にある明倫商店街こそ「澤村榮治生誕の街」。入口には「生誕地徒歩3分」の文字と、野球のボールのオブジェが目に飛び込んできます。

 沢村栄治投手が生まれたのは、1917(T6)年2月1日。当時は宇治山田市でした。伊勢市がその名になったのは1955(S30)年のことで、市制施行から50年近くずっと「宇治山田市」を名乗っており、「宇治山田市」派と「伊勢市」派の間で長年綱引きがあったとのこと。伊勢市になって62年。ようやく伊勢市としての歴史の方が長くなったというくらいなのです。

生誕100年の日に除幕された「全力石」

 では、明倫商店街にある生誕100周年となった、2017(H29)年2月1日に除幕された「全力石」から。商店街の正面入口から歩いていくと、突き当たりに「村の駅」という休憩所があり、そこに全力石があります。

 石には「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ」と、沢村投手が残した言葉が刻まれています。「全力石」という名前は地元の小中高生の公募によって名づけられ、記帳ノートが置かれています。

 どんな仕事をしても、人に負けず堂々と勝つ。この石に触れることでそんな沢村投手の思いに触れ、パワーを感じとってめざす目標に向けて全力で進んで欲しいという思いがこめられているそうです。

「ふれてさわって気力パワー満タン!!スポーツの技術向上!仕事のスキルもアップ!」という、かなり強気に効果効能を謳う張り紙が最高です。張り紙もいい仕事しています。

伊勢から生まれた名投手に挟まれて

 全力石の横には、「伊勢から生まれた名投手」という大きなパネルが。沢村栄治投手と対戦を望んでタイガースに入団した西村幸生投手の姿も。そんな2人の間で、キャッチャーとして顔出しすることができます。

 全力石から路地を曲がって右方向へと足を進めると、壁面に沢村投手の年表や写真、新聞記事が貼られているコーナーがあり、さらに贅沢に1店舗分のスペースを使って、足跡を辿れるコーナーが設けられています。

 「ようこそお伊勢さんへ」という文字とともに、沢村投手とは関連性の無い他のイベント告知などもいっぱい貼ってありますが、「無断貼付禁止」という張り紙とともに、お店の広告なども貼ってあり、賑やかになっています。

 では「生家」「今は駐車場」「近道」など、様々な文言で案内されている、沢村栄治投手の生家跡へと行ってみましょう。全力石とは反対側にあります。

生家で感じるその短い生涯

 商店街を出ると日差しがまぶしく感じられ、まるでその先にある沢村投手の生家跡が光り輝いているかのように感じます。

 生家跡の駐車場の一角には「澤村榮治生家跡」の記念碑があり、背番号の「14」とジャイアンツの「G」文字が目に飛び込んできます。

 沢村投手は、巨人軍にて通算63勝するなど大活躍。日米野球では、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらからも三振を奪い、歴史に残る大活躍。日本球界初のノーヒットノーランを記録しています。当時の映像を解析した専門家によると「160キロを投げていたのではないか?」と。

 現役兵、予備兵として2度戦地への出征し、手榴弾を投げたことで右肩を痛め、軍隊でシーズンを棒に振るなどし、巨人から解雇されると…。

 応召され3度目の軍隊生活に。フィリピンへと向かう軍隊輸送船がアメリカによって撃沈され、1944(S19)年に台湾沖で戦死。27歳でその生涯を閉じています。

今でもその名を賞に残し

 その3年後、1947(S22)年には沢村投手の功績をたたえ、優秀な投手に贈られる「沢村賞」が制定され、1959(S34)年には野球殿堂入り。背番号14は今も、巨人の永久欠番となっています。

 27歳という短い生涯。野球選手として活躍した期間を考えると、本当に短い時の流れのなかで、その後生誕100周年に至るまでその名を轟かせ、語り継がれ、未来の投手にとってもその名を冠した賞が憧れの存在であり続けている…。

 「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ」

 27歳の生涯でこの言葉を遺せる濃い人生。人生の「時」をどう考えているか。先送りしていないか、妥協していないか、負けを良しとしていないか。仕事に対して、人生に対しての取り組み方を考えさせられます。

オープン戦など沢村栄治生誕100周年記念事業が

【2017(H29)年3月】

 生誕100周年にあわせて記念事業などがあり、地元・三重テレビでは18日(土)に「沢村栄治生誕100周年特別番組『波に消えた大エース』」を放送。当時の映像がほとんど無い中で、証言を繋ぎ、イメージで映像をふくらまし、アニメとして描かれた要素や、研究者の分析など、幅広い見地からその人物像を辿る番組に仕上がっていました。

 20日(月・祝)から26日(日)まで伊勢市観光文化会館では「沢村栄治生誕100周年記念展」を開催。25日(土)には「沢村栄治物語」を、タレントの山田雅人さんが語るそうです。

 22日(水)は伊勢市倉田山野球場でプロ野球オープン戦「読売ジャイアンツ VS 北海道日本ハムファイターズ」を開催。

光り輝いて見えたのには理由が

 明倫商店街を出た瞬間、沢村投手の生家跡が光り輝いて見えたのには理由があります。アーケードのある商店街というのはよくありますが、この商店街、アーケードだけでなく壁で囲まれていて、まるで商店街自体が室内かのようになっているのです。

 正面入口には「ようこそ明倫商店街へ 奥は営業中です」という看板があります。つまりは、手前は営業していない…という。かかっている曲も微妙に昭和50年代のヒット曲だったりと、観光地である伊勢市の歴史ある宇治山田駅前とは思えない感覚になります。

 しかも、外から見ると完全に壁に囲まれた空間で、昭和の空気に包まれているので、タイムスリップ感どころか、元の世界に戻れないのではないかという不安に陥るほどに、別世界感を満喫できます。

 でもご安心を。なかには「コンピュータスクール」など、昭和では無い要素もあるので、ああ大丈夫だ…戻れる…という確認ができます。

関連情報

沢村栄治投手 生誕100周年「全力石」(三重・伊勢市)

34.487716, 136.712259

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