三重 東海あまのじゃくツアー

村人と熊野古道の旅人を救った権兵衛さん-宝泉寺

記事公開日:2010年2月17日

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★人食い大蛇との格闘
★今も残るズンベラ石
★優しさと勇気を兼ね備えた男だった

 前回は、種まき権兵衛さんのお話を中心として、日本庭園を整備した「種まき権兵衛の里」をご紹介しました。その程近くにはその権兵衛さんの菩提寺である宝泉寺があります。

 畑に種をまく時に、カラスにほじくられて食べられても、決して追い払うことのなかった権兵衛さん。実は権兵衛さんはただのお人よしなお百姓さんというわけではありません。権兵衛さんによって村の人々は安心して農業ができるようになり、また、熊野古道を行きかう旅人への危険も取り払われたのです。権兵衛さんの命と引き換えに。

種蒔権兵衛門菩提寺

 種まき権兵衛の里から東へ少し行ったところに、便ノ山の集落があります。そんな集落のなかにある宝泉寺。行ってみると、そこには大きな看板に「種蒔権兵衛菩提寺」の文字が。間違いありません。

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鉄砲にのめりこんだ権兵衛さん

 宝泉寺には、権兵衛の胸像や、権兵衛が使っていたという火縄銃、鹿笛、そして歌にも登場するズンベラ石が奉納されていてます。

 権兵衛さんは農民にもかかわらず、なぜ火縄銃を持っていたのかといいますと、もともと父・上村兵部は侍で、砲術の心得もあったからのようです。しかし、兵部は侍をやめ、この地へと寺子屋の先生としてやってきています。

 権兵衛さんは母親の農業を手伝っていたのですが、村の田畑を荒らす猪や鹿などをその火縄銃で退治すると、村人たちに大喜びされ、気を良くしてどんどん鉄砲の腕を磨き、狩猟を好むようになっていくのです。

 その時に使っていたのが鹿笛です。メスの鹿の鳴き声のような音が出て、吹くとオス鹿がたくさん現れたのです。

 そして歌にも登場するズンベラ石です。「でこぼこしていないのっぺりとした石」という意味のズンベラ石を、権兵衛さんはお守りとして持ち歩いていたようで、これが後に大きな役割を果たします。

 実際に権兵衛さんが持ち歩いていたズンベラ石は、種まき権兵衛の里に展示されています。

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銃の腕前はどんどん上達し...

 権兵衛さんの銃の腕前はたちまち評判となり、この地をお殿様が訪れた際、その腕前を披露することになりました。山の斜面に樽を転がし、権兵衛さんが銃を打ち放つと、見事中央に命中。

 そしてもう一度、同じ樽を上から転がし、権兵衛さんが2発目を打ち放つとなんと、先ほど命中した穴と同じ場所に命中させたのです。これにお殿様は大喜び。「褒美をなんでもやる!」と言うと権兵衛さんは、自分は何もいらないので、村の今年の年貢を無しにしてくださいと申し出て、村人も大喜び!となったのでした。

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強いだけじゃなく優しかった権兵衛さん

 お殿様から褒美をやると言われても、自分より村人たちを優先するお人好し、しかし、そんな権兵衛さんだからこそ...というエピソードが、あの歌にも歌われている「カラスがほじくる」です。

 父・兵部が亡くなると、権兵衛さんも農業に精を出すようになるのですが、その作業に慣れていないヘッピリ腰姿に加え、蒔いた種をカラスがほじくって食べても、追い返すことはなく、そんな姿を見て歌われたのが、「権兵衛が種まきゃ~カラスがほじくる~ズンベラ、ズンベラ」なのです。

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 一方で、他の村人たちはカラスを追っ払うのに必死で、権兵衛さんほど種をまくことができず、この年は村を飢饉が襲ったことから、麦が獲れたのは権兵衛さんだけだったのです。

 しかし権兵衛さんはその麦を村人たちに分けてあげたのでした。こうして権兵衛さんは、狩猟の名人として、村の田畑を荒らす動物たちを追い払ってくれるだけでなく、心の優しい人としても、村人たちに慕われるようになったのです。

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そして伝説となった...

 さて当時、熊野古道には大蛇が棲んでいて、村人や旅人を食べてしまい多くの人が困っていました。そこでお殿様は、鉄砲の名人として権兵衛さんの腕を見込んで大蛇退治を命じるのです。

 鉄砲を普通に撃っても大蛇に通用しないと考えた権兵衛さんは、大蛇の口に銃口をつっこんで、打ち放つ計画を立てます。そして権兵衛さんは山の中に入っていきます。

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 権兵衛さんは作戦どおり、大蛇の口に銃口をつっこんで弾を撃ち放ったのですが、大蛇はしぶとく一発では死にませんでした。何度もそれを繰り返しているうちに、大蛇は毒の霧を放ち、権兵衛さんはそれを吸い込んでしまいます。

 毒にやられながらも、権兵衛さんは最後の力を振り絞って、持っていたズンベラ石を大蛇に投げつけると額に命中。こうして大蛇を見事退治したのですが、結局それからしばらくして、権兵衛さんは帰らぬ人となったのでした。

 権兵衛さんは、最初から自分は死んでも構わないと考えていたそうです。だから、大蛇が毒の霧を放っても、そこで退却することなく、トドメまで刺すことができたのです。

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今ものどかな山里風景が広がります

 種まき権兵衛さん。

 その歌と、ここ海山がふるさとであることは知っていましたが、このストーリーの全貌は、この地を訪れるまで知りませんでした。

 私利を全く追求せず、殿様からの褒美も、自分の畑で収穫した麦も、そして命さえをも捧げて村人のために...。

 さすがに命までとは言いませんが、今の日本にそういった考え方の出来る人がどれだけいるでしょうか。特にここ数十年、日本は金銭的に豊かになるとともに、個人主義が当たり前のようになり、隣近所で助け合うといった考え方は皆無になってしまいました。

 しかし今、経済成長がストップし、どう考えたって日本は岐路に立たされています。

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 もちろん、個人主義がダメで全体主義が素晴らしいなどというつもりは毛頭ありません。ただ、ひとりひとりが少しでも、権兵衛さんのような気持ちを持っていたら、セーフティネットが厚くなるのではないか、なんてことを思ったりしたのですが...。でも、そうすると、それを当てにして最初から堕落して努力をしない人も現れるのでしょうね...。

 ただ一つ、権兵衛さんが教えてくれたことで間違いないことは、カラスの件です。

 権兵衛さんがなぜ、カラスを追い払わなかったのかといいますと、それは、カラスもひもじい思いをしているのだろう...という情けからです。

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 個人主義だとか、全体主義だとか、セーフティネットだとか、将来の日本だとか、経済成長だとか、そんな大げさなことを言う前に、目の前に困っている人がいた時に、さりげなく手を差し伸べられる人間になる...。

 それだけで、権兵衛さんに一歩近づけるような気がします。見ず知らずの人に手を貸すことって、勇気がいることですけど、権兵衛さんの勇気に比べたら...ですよね。心がけます。

 さて、今回は結局「権兵衛さんが種まきゃ~」の歌を聞くことはできませんでしたが、毎年春分の日にはこの宝泉寺と種まき権兵衛の里で「種まき権兵衛祭り」が開かれ、権兵衛踊りも披露されるとのことです。

 今年2010(H22)年は上村権兵衛さんの274回忌ご祈祷となり、例年祭りではお獅子アトラクションやもちまきもあるそうです。詳細は日が近くなりましたら、紀北町観光協会のサイトにアップされると思います。

 では最後に、権兵衛さんがズンベラ石を拾ったとされる場所へと行ってみましょう。「でこぼこしていないのっぺりとした石」あるかな...と思ったら、そこには...。

関連情報

紀北町観光協会

宝泉寺(三重・紀北町)MAP

宝泉寺 紀北町

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