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神の力と神わざ・御神体に触れる..日本最古の神社.-花の窟神社

記事公開日:2009年12月28日 更新日:

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★日本最古の由来を持つ神社
★御神体に触れることができる!?
★奈良時代から続く例大祭とは

 今回の旅の目的は、ウミガメとふれあうことでしたので、初っ端にそれを達成してしまったわけですが、三重県好きな私でも、東紀州エリアまでやってくることはなかなか無いので、せっかくなので1泊して、熊野から紀伊長島にかけての興味深いスポットを見て回りたいと思います。

 まずやってきましたのは、日本最古の神社として伝えられ、国の史跡ともなっている「花窟神社(はなのいわやじんじゃ)」です。この神社には最古らしい、他にはあまり見られない特徴があるといいます。一体どんな神社なのでしょうか。

旅人への警告は現代にも通ずる

 花窟神社の前には、地元の方たちが運営する茶屋「花の岩屋」と、駐車場があり、その横に古そうな道標があります。「口有馬道標」です。この道標には「右 くまのさん志ゆんれい道」とあり、熊野西国巡礼者や熊野三山を訪れる旅人に向かって、右に曲がるようにと案内しているものです。

 右に曲がらずに海岸線に沿って浜街道を歩いていきますと、眺めもよく松林が続いているのですが、その先にある志原川は「親知らず子知らず」と呼ばれ、旅人は河口を歩いて渡らなければならず、多くの人が波にさらわれ、帰らぬ人となったのです。今もその松林には、巡礼供養碑が残されています。

 この熊野灘では、1876(M9)年には海軍の軍艦「雲揚」が座礁し沈没するなど、その後も海難事故が発生するほどに荒れることがあり、2009(H21)年にもフェリー「ありあけ」が座礁するなど、今日もその荒々しさを私たちに見せ付けてくれます。しかしそれは時に美を創り出すことも...それは次の場所でお話することにしまして、話を花窟神社に戻しましょう。

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先が見えない参道の先に?

 花窟神社はそれほど面積の大きな神社ではないはずなのですが、鳥居から参道を覗きますと、背の高い木々に覆われていて、差し込む日の光も少なく、まるで別世界とを繋ぐ道のようにも見えます。果たして、どんな特徴がある神社なのか、先が見えないだけに気持ちが高まります。

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 すると左手に、龍神神社と稲荷神社への参道が見えてきます。お稲荷さんということで赤い鳥居なわけですが、周囲の木々の緑が濃いだけに、赤と緑のコントラストが余計際立ちます。その赤い鳥居たちを越えると、いよいよ見えてきます。

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 見えてきたのは、狛犬と参籠殿です。この狛犬がまたいい表情をしています。色も鮮やかですし、何より目力が強い。じっとこちらを見ているかのようです。では、お参りさせていただきま...あれ?

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社殿が無い!

 参籠殿を越えると、見えてきたのは社殿...ではなく、岩。しかもそれは中途半端な大きさのものではありません。高さ70メートルにもおよぶ巨大な岩です。

 え...社殿は...どこ?

 と、思ってしまうところですが、実はこの巨岩こそが御神体なのです。

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 奈良時代に記された日本書紀には、伊弉冉尊(イザナミノミコト)は火の神である軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ際に、大切なところを焼かれてしまい、そのまま亡くなってしまったとあります。さらに、イザナミノミコトは紀伊国・熊野の有馬村に埋葬され、その季節に咲く花をもって、太鼓や笛を用いて歌や踊りで祀ったとの記述が残されているのです。

 つまりこの岩の下には、イザナミノミコトが埋葬されており、この岩が御神体として信仰を集めていると言うわけです。そのため古来より社殿がなく、御神体そのものを祀っているのです。

 そしてその御神体に触れることができてしまうのです。

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 さらにその巨岩の向かい側にあるのが王子ノ窟です。こちらは高さ約12メートルで、カグツチノミコトの神霊を祀っています。

 火の神様というと、溢れ出る力というイメージがわきますが、御神体である2つの巨岩に挟まれていると、なぜかとても落ち着く感じがしたのはなぜでしょうか。時として炎は全てを焼き尽くし、人の手に負えない存在となりますが、心のなかに秘める炎は、ふつふつと湧き出る闘志のようであり、それは外からは見えないところで静かに燃え続けるものということでしょうか。

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神と人をつなぐ縄

 さて、イザナミノミコトの御神体である岩の高さ45メートルほどのところからは、不思議な形をした縄が架けられています。

 これは毎年2月2日と10月2日に行われる「お網かけ神事」で架けられるもので、わら縄で編んだ約180メートルの大縄に、季節の花や扇をくくりつけて、イザナミノミコトの御神体から、境内南隅の松の根元へと結びつけられます。日本書紀に書かれた祭りが今に伝えられているのです。

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歌にも詠まれています

 現在、花窟神社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。昔から多くの旅人が訪れ、花窟神社のことを歌に詠んでいます。そのなかで、本居宣長の歌が石碑に刻まれています。

「紀の国や 花窟にひく縄の ながき世絶えぬ 里の神わざ」

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 今から1300年も前に記された日本書紀に残る伝説。その伝説であるはずのお墓やお祭りが今もこの地に残されている奇跡。その奇跡は神さまの力なのではなく、里の人々が後世に語り継いできた神業のおかげであると...まったくその通りですね。

 私はまだ、熊野古道には足を踏み入れていないのですが、この熊野の地には昔から変わらぬ伝承、形、想いがずっと昔から続いているのだな...と、感慨深く思いました。このときは...。

 ところが、次の場所へ行って、その感慨はもろくも崩れ去ります。

関連情報

花窟神社

花窟神社(三重・熊野市)MAP

花窟神社

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