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フィクションなお城?で満開お花見-墨俣一夜城

記事公開日:2008年4月6日

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 今年は桜が開花してから気温の低い日が続き、桜の花が長持ちしていますね。そんななか、今年のお花見はどこにしようかな...と考えまして、どうせなら縁起の良い場所にしよう!ということで、あの名古屋っ子を代表する出世頭、農民(足軽)から天下統一まで上り詰めた、豊臣秀吉が出世の足掛かりとした場所へと行ってきました。

 それは岐阜県大垣市の墨俣一夜城。長良川と犀川がぶつかる場所にあります。しかし、現在ある墨俣城はただのイメージで虚構とのこと。

 秀吉の出世の足掛かりとは何か。そしてなぜ「一夜城」なのか。さらには、語り継がれるエピソードが残る城址に、なぜ再現ではなくフィクションのお城が建っているのか。お花見をしながら紐解きます。

3つある大垣市

 大垣市の墨俣城と聞いて、あれ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。墨俣町はかつて単独で存在していましたが、2006(H18)年3月27日に大垣市と合併しています。面積は小さく、合併前のたった26日間に限ってですが、日本一小さな自治体でした。墨俣町は旧大垣市とは接しておらず飛び地となっています。また、同時に大垣市と合併した上石津町も大垣市とは接しておらず、大垣市は日本で唯一の二重飛び地の自治体となっています。

 国道21号を各務原方面から走っていますと、直進は本体の大垣市、そして左折は墨俣の大垣市と、直進にも左折にも「大垣」と書いてあり、一瞬どっちだ?どっちだ?と思ってしまいます。

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無料駐車場完備は嬉しい

 墨俣城へは公共交通ですとバスしかなく、地図を見ると川のぶつかる場所にあり、橋がいくつもあることから、車で行くには渋滞や駐車スペースの確保が困難そうで躊躇してしまいそうなところなのですが、お花見シーズンには特設駐車場が設けられており、「花見客P」という案内をたどっていくと無料駐車場へと到達できます。

 本当にありがたい。意外と三重ナンバーが多かったのが驚きでした。確かに、桑名方面からならアクセス良好ですものね。むしろ私のような尾張小牧ナンバーが僅少でした。

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花よりだんご?花より味噌!

 犀川と新犀川の堤防には約1,000本の桜並木。この日(3日)は見事に満開で、風が強かったにもかかわらず散る花びらは少なく、まさに桜のトンネル。桜並木のなかは桜の花びらで日陰になってしまうほどに満開で美しく、情緒豊かな気分になりました。

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 でもやっぱり、お花見といったら露店で買う食べ物も楽しみですよね。桜まつり期間中は犀川堤に花見小屋がオープンしていて、うどんといった重いものから、お花見団子といった軽いものまで品数豊富に揃っていました。

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 私たちはポテトとどてを買いました。こういうところで食べるどでは最高ですね。名古屋近郊以外では、お花見でどてとはなかなかいかないでしょうね。そうそう、名古屋と言えば秀吉です。桜の美しさと味噌たっぷりのどでの味に魅了され、すっかり忘れていました。

 ちなみにこの花見小屋、それぞれのお店で、同じメニューが意外と違う値段設定となっていますので、見比べてのお買い求めをオススメします。

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出世をひょうたんに託して...ひょうたんから駒?

 墨俣一夜城へは、堤防から「太閤出世橋」を渡ります。橋には秀吉の馬印だった千成びょうたんがたくさん。

 墨俣一夜城がなぜ「一夜城」と呼ばれるのか、それは秀吉(当時は木下藤吉郎)がわずか一夜にして築いたお城と伝えられているからです。

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 織田信長は美濃の稲葉山城を攻略するために、この墨俣の地に城を築かせようとしたのですが、美濃の斉藤軍の手によってことごとく攻撃を受け、なかなか実現できずにいました。そこで信長は藤吉郎に築城を命じます。

 この墨俣は稲葉山城から丸見え。ここでお城を作る準備をしたら、その時点でバレバレです。そこで藤吉郎は土豪の協力を得て、あらかじめお城の部材を別の場所で作っておき、夜中にそれを川に流して、ここで組み立てるといういわゆる「プレハブ工法」を採用し、実際には3昼夜で完成したと伝えられています。

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 そして信長はこの墨俣城を足掛かりに美濃・稲葉山城を攻略し、秀吉は出世街道まっしぐらとなったとのことです。

 その秀吉の出世にあやかりたい!ということで、お城の横には、秀吉の馬印であった千成びょうたんに願い事を託すことができます。願いを秀吉に託したからと言って、努力が伴わなければ出世などあり得ないわけで、いくらひょうたんに託しても、ひょうたんから駒狙いでは実現は難しいでしょうね。

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このお城は資料館なんです

 では、墨俣一夜城に入城してみましょう。入城料は200円です。ここはお城と言っても正式には「大垣市墨俣歴史資料館」で、天守の格好をしている資料館なのです。プレハブ工法だったとはいえ、まさか一夜で、3昼夜で、こんな立派な天守のあるお城が建つはずがありませんし、時代背景的にもあり得ません。

 1階には墨俣の歴史が。川の合流地点にあったことから「洲俣」と呼ばれたというところから、美濃路の宿場町として発展した様子などが展示さえています。そして2階が本題。この墨俣一夜城が築城された経緯が説明されています。当時の復元模型を見ても、当然のことながら現在のような天守などなく、堀と馬柵に囲まれた小屋といったところです。でも、3日で作ったと言われれば、確かに驚きです。

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 3階は「立身出世之巻」と銘打たれ、墨俣一夜城を築いた後の秀吉の出世ぶりを、秀吉を取り囲む人々のプロフィールとともに紹介しています。こうして見ますと、秀吉は数々な突飛なアイデアを駆使しただけではなく、取り囲む人々にも恵まれていたんだなと感じます。やっぱり、持つべきものは人脈かぁ。

 続いて4階は「私の一夜城」として、著名人がこの一夜城について語っています。なかでも山田昌さんの「木下藤吉郎も話したであろう名古屋弁で全国に知られました」というコメントが面白かったです。立身出世の必須アイテムは名古屋弁かぁ。

 人脈と名古屋弁ですね!ラジャーだぎゃー!

展望室からは桜並木

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 そして5階は展望室です。距離は結構あるのですが、確かに金華山からここまでは何も障害物が無く、ここでお城を建てようと準備すれば、稲葉山城からは丸見えです。

 平地なのでどの方向も見通しがよく、長良川・犀川沿いにずーっと続く桜並木は見事。地平線まで桜が続いているように見えます。でも、一瞬で散ってしまうんですよね...。いやいや、今回は桜そのものじゃなくて秀吉にあやかるわけですから、一発屋ではなく、出世してずっと咲き続けるぞ!と自分に言い聞かせます。

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 かつての墨俣宿は一夜城の南側、長良川と並行する犀川沿いにあり、今も寺町は当時のまま残されていて、本陣跡にも美しい桜が咲き誇っています。桜まつり期間中は車の通行が規制されていますので、ゆっくりと桜鑑賞をすることができます。

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お城はフィクション・エピソードも...!?

 太閤出世橋のたもとで桜を見ていると、小学生くらい男の子とお母さんの親子連れがいまして、男の子はこの墨俣一夜城を見て「守りきるぞ~」と、将来の秀吉ですか!というコメントを発したのですが、それに返したお母さんのセリフにびっくり。

「あのね、ここはそういう大したお城じゃないから。」

 ええー!男の子にせっかく芽生えた野望が!

 と思ったのですが、よくよく考えればそうなんですよね。ここはあくまでも美濃への攻撃の足掛かりであって、実はいつ廃城になったのかもわかっておらず、足掛かりと言う役目を終えた後、いつの間にか消えていったのです。

 ですから確かに「守りきる」お城ではないのです。ものすごい戦国英才教育ですねお母さん。

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 この墨俣一夜城のデザインは全くのフィクションだというお話をしましたが、その秀吉が一夜にして築城したというエピソード自体も、伝説であり、のちの創作であるという見方が多いのも事実なのです。

 ただ、1977(S52)年に江南市で発見された「前野家古文書」には克明な記述があり、信憑性が高まり注目を集めるようになり、この資料館もそれを元に構成されています。

 たとえ一夜城が創作であろうとも、多くのブレーンとともに、奇才あふれる戦法をあみだし、農民(足軽)から天下統一への道を歩んでいった豊臣秀吉。時にはお調子者で、時にはお茶で優雅に。そんな名古屋っ子がいたことに間違いはないのです。

 でも...信長、秀吉、家康の三英傑のなかで、自分がどれかになれるとしたら...。

 「やっぱり家康だよねー。」

 と、そこは相方と意気投合してしまいました。ごめん...秀吉。

墨俣一夜城(岐阜・大垣市)MAP

墨俣一夜城

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