三河(東愛知) 東海あまのじゃくツアー

富山村...消える日本一のミニ村

記事公開日:2005年11月26日

 富山村(とみやまむら)。

 愛知県民ならほとんどの人がその名を知っているだろう。しかし、そこへ訪れたことがあるという人はそう滅多にいるものではない。一体どこにあるのか、地図を開いてみる。愛知県全図を見ると、愛知県の右上にまるでかけらように富山村はある。詳しく知ろうと詳細ページを開いても、余程詳しい地図でなければ愛知県の北東部は縮尺が大きく、富山村には駅と役場くらいしか描かれていない。

 その役場と駅を取り囲むように、もの凄い勢いで等高線がひしめきあっていることから、かなり急な山地であることはわかる。

富山村ってどんなところ?

 富山村は、一部の人々の間では大変人気があるスポットである。といっても村に何か特別なものがあるわけではない。村自体が人気なのだ。一体何で人気を集めているのか。富山村は、離島を除いて全国で最も人口の少ない「日本一のミニ村」として知られており、 1983(S58)年からその状態は続いている。

 「日本一のミニ村」という響きは、まるで秘境のようで冒険心をそそられる。それが人気たる所以であろう。しかもそのミニ村が、日本三大都市圏のひとつを担う愛知県にあるというのだから不思議だ。なぜ日本一のミニ村が愛知県に誕生したのか、まずはその歴史から紐解いてみることにしよう。

地図

 富山村が誕生したのは今から遡ること129年前、1876(M9)年のことである。佐太、大谷、市原、河内の4つの村が合併して誕生している。河内が中心地となり、そこに村役場が置かれた。林業や養蚕が盛んで、村の中心部には農協や信用金庫もあり普通の山村だった。1920年代には最盛期を向かえ人口は 1,500人近くとなった。

 そして戦後の1950(S25)年には1,067人であった。そんな富山村に転機が訪れる。村は分割されたわけではない。にもかかわらず普通の山村が、なぜ日本一のミニ村となったのか。

 1953(S28)年にその工事は始まった。富山村の市街地のほとんどが、ダムの底となることになったのである。1955(S30)年に完成した佐久間ダムにより、富山村の5つの集落のうち3つが水没。そこに住んでいた人々は離村を余儀なくされたのである。中心地が水没した村の人口は激減。1960 (S35)年には654人なり、その後も過疎化は進み、とうとう1983(S 58)年には217人となり、日本全国で最も人口が少ない自治体となったのである。

 村は「日本一のミニ村」を特徴としてアピールしつつも、何とか人口を伸ばそうと努力した。1974(S49)年にはお隣の豊根村と結ぶ県道426号津具大嵐停車場線が開通、1984(S5 9)年には理髪店と喫茶店がオープン。1985(S60)年には山村留学の受け入れを始めた。

 農園活動や自然体験、そして何よりも村人全員が知り合いになるという環境は、子ども達にとって刺激の多いものであろう。山村留学だけでなく、「日本一のミニ村」に魅せられ、富山村に移住する人も現れた。喫茶店「栃の木」の現在のオーナーも、村の公募によって移住した一家である。一時期200人を割っていた人口は増加に転じ、現在は男性108人、女性110人の計 218人となっている。(2005年10月末現在)

 そんな富山村も、とうとう合併によって地図から消えることになった。地方財政難の時代を迎え、愛知県内でも既に合併が進んでおり、少し前まで88あった市町村は既に68となっている。合併によって消えた町村のなかには、人口が2万人ほどいた町もある。

 わずか人口200人ちょっとの富山村が合併されるのは、時代の流れを考えれば当然のことだろう。むしろ、ここまで単独で生き残ってきたことが奇跡だったのかもしれない。だからこそ、今まで「富山村」という名を残してきたその奇跡に、村人の村への愛着を感じずにはいられない。

 2005(H18)年11月26日をもって地図から消える富山村。愛知県民でありながら、富山村は私にとって未踏の地であった。そこで行ってみることにした。

富山へのアクセス「鉄道編」

 富山村へのアクセスは、地図を開いた際にも描かれていた「駅」が村の入口にあるため、鉄道であればそれほど大変ではないように見える。JR飯田線「大嵐(おおぞれ)」駅である。この駅は富山村の外にあるのだが、富山村のためにあるとも言える駅で、駅から現在の村の中心部までは約1キロ。徒歩でも行けない距離では無いうえに、親切に駅から中心部への無料送迎バスがある。

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▲やってきました大嵐駅。その名はかつてここで大嵐があったから。

 しかし当然のことながら、特急列車は大嵐駅には停車しない。大嵐駅に停車する列車は、豊橋方面へ向かう上りが8本、飯田方面へ向かう下りが9本である。もちろん1時間にではない、1日にそれだけの本数である。最高で3時間16分の運転間隔がある。

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▲記憶力が少し良い人なら、覚えてしまいそうな時刻表。

 豊橋から中部天竜まで特急で70分、そこから各駅停車で大嵐まで24分。飯田からであれば、特急で平岡まで42分、そこから各駅停車で大嵐まで20分かかる。豊橋方面からだと、特急を水窪駅で降りると大嵐までは7分なのだが接続する列車が無い。「特急列車を利用すれば」と簡単に言うが、それも大変なことである。

 特急列車は上り下りそれぞれたった 1日2本しかないのだ。もし全てを各駅停車で行くとなれば、豊橋からは130分、飯田からは97分である。在来線の車両にそれだけの時間乗車するのは、なかなか忍耐力が必要である。

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▲駅には丁寧に電車の乗り方を示すポスターが。

富山へのアクセス「道路編」

★富山へのアクセス「道路編その1-長野県飯田市から」

 では車で行くとなるとどうか。富山村へ通じる国道は無い。村内に国道は走っていないのである。村へ通じる道路は5本。うち県道が4本と林道が1本である。林道は地図に掲載されていないのであまり利用されない。しかし、地図に載っているにもかかわらず利用できない道路も存在する。ひとつひとつ検証してみることにしよう。

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▲下條村の道の駅。観光バスもやってきていた。

 まずは、富山村を南北に貫いている「長野・愛知・静岡県道1号飯田富山佐久間線」から。私はこの道路で飯田からのアクセスを試みた。県道1号自体は飯田市内を起点としており、国道256号から入ることができるのだが、飯田からしばらくは比較的走りやすい国道151号を利用した。遠州街道である。途中下條村地内には道の駅があり、そこでは村出身の峰竜太さんにあやかった「竜太そば」「竜太やきもち」などが販売されている。

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▲峰竜太氏にあやかった竜太そばに竜太やきもち...。

 勝手に名前を使っているのかと思いきや、道の駅には、峰竜太氏がやきもちを手に持ち満面の笑みを浮かべている写真が誇らしげに飾ってあった。下條村の村境には、カントリーサインだけでなく峰竜太氏の似顔絵看板が設置されている。村の誇りであるということが実によくわかる。

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▲勝手にやってるのかと思いきや、あ、本人来てるや。

 下條村の南にある阿南町で国道151号に別れを告げ、役場の前を通って県道1号に入ることにした。県道1号は天竜川の流れのごとく、川べりを縫うようにして走る。道路の片方は上に断崖絶壁、もう片方は下に断崖絶壁という状態のまま、激しいカーブを繰り返し、時折がけ崩れ防止のトンネルをくぐりつつ進む。

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▲まるで川の流れのように走る県道1号。

 ガードレールを突き抜ければ水面にまっさかさまという恐怖の状態ではあるが、自動車同士がすれ違えないという程の細さではなく、ストレスはさほど感じなかった。天龍村地内には「大蛇ミニパーク」というダムに突き出した展望台がある。おそらく道路も川も大蛇のように曲がりくねっていることがら名づけられたのであろう。国道418号との重複区間で天龍村の中心部を通り抜け、伊那小沢駅の対岸で再び県道1号は分岐する。

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▲大蛇ミニパーク。ちゃんと駐車スペースもあります。

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▲天龍村の中心部は商店街もあり結構栄えています。

 対岸に、断崖絶壁に住居がへばりついている中井侍駅界隈を見て程なくすると「愛知県」「富山村」というカントリーサインが登場する。しかしまだ安心してはいけない。中心地はここから6キロ先である。自動車同士がすれ違うのにそれほど困難では無い道路ではあるが、ここで気を抜いてはいけない。しばらくして立派な橋が見えてくると、対岸が大嵐駅。そしてその先が富山村の中心部である。

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▲中井侍駅周辺。一度「田舎に泊まろう」が来ましたよねここ。

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▲自動車はすれ違える道幅の県道1号。

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▲ようやく富山村に入ります。

★富山へのアクセス「道路編その2-静岡県浜松市佐久間町から」

 続いて南からのアプローチもご紹介しよう。この県道1号線は富山村の中心部を突き抜け、天竜川沿いに佐久間町まで続いている。しかし、富山村の南側はすれ違い困難な細さで、カーブでのミラー目視が大変重要になってくる。しかも意外と対向車は多い。豊根村との村境の北側には、不動滝という観光スポットがあるが、山があまりにも深すぎて滝に近づくことはできないうえに、木が覆い茂って滝はほとんど見られない。この県道1号の南側は、たびたびがけ崩れで通行止めになってしまうので、通行の際には予め確認が必要である。通行できない場合には、佐久間町側にも富山村側にもその旨案内がある。

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▲県道1号の富山村から南側はかなり狭い。

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▲カードレールの向こうはダム湖まっさかさま。

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▲不動滝。かなり大きなものらしいが、小さな流れに見えてしまう。

★富山へのアクセス「道路編その3-愛知県設楽町(旧津具村)から」

 3つ目は、富山村の西から愛知県道426号津具大嵐停車場線で入村するコースをご紹介しよう。地図上では一見この道路が名古屋からのアクセスで最も短距離に見える。名古屋市から国道153号線、通称飯田街道を延々と走る。豊田市内の旧稲武町で国道257号へ右折し、有料の茶臼山高原道路へ。

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▲県道426号はカーブもきつく、道幅もかなり狭い。

 終点から愛知県道506号茶臼山線へ入り、突き当たりの国道151 号を右折、そして道の駅「豊根グリーンポート宮嶋」の角を左折すると愛知県道426号津具大嵐停車場線である。富山村に入ると霧石トンネルがあり、トンネルを抜けると村一番の紅葉スポットが広がる。一見地図上は楽そうだが、この道路は先述の県道1号南側よりも細く、起伏も激しくカーブも急である。村の人は良く使う道路とのことだが、県道1号ほどは対向車とすれ違わなかった。

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▲富山村一の紅葉の名所。

しかし、もしここに対向車がいたらと想像すると、運転はかなり厳しい。茶臼山高原道路は普通車が1,460円。しかも、その後の県道426号線の辛さを考えるとあまりおすすめはできない。

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▲落石防止ネットをつきやぶるもみじたち。

★富山へのアクセス「道路編その4-静岡県浜松市水窪町から」

 4つめは地図に無い林道経由である。佐久間で県道1号が通行止めという看板に出会ってしまっても、この林道で富山村へ行くことが可能である。東名高速道路浜松インターから、国道152号へと向かい、国道152号を北上する。途中、中部天竜駅のところで、国道473号線を経由して先ほどの県道1号と接続している。しかしそれを無視してさらに国道152号を北上する。

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▲林道天竜川線に少し入ったところから、水窪町を眺めます。

 すると水窪駅を越えて1.5キロほどのところで、左折できる道が現れる。しかしそこには、左が林道だとか、富山村方面だとかいう案内は全く無いので見落としやすい。JR飯田線との交差を越えて次の角を左と言えばわかりやすいか。

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▲しつこくしつこく、「熊に注意」とあります。そんなに出る?

 林道天竜川線である。この林道は地図にもあるのでカーナビがあれば迷うことはないだろう。林道天竜川線は水窪と長野県天龍村を結ぶ全長31.6キロメートルの林道で、1978(S 53)年に完成している。途中には大津峠という絶景ポイントがあるが、林道のそこかしこに「熊出没注意」「鈴をつけて」という看板があり、注意が必要である。その天竜川線を走っていくと、突然林道が分岐する。これが地図に載っていない林道西山線である。

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▲大津峠には林道天竜川線の完成記念碑があります。

 林道西山線は数年前に開通した林道である。分岐点には「林道西山線」という案内のほか、天竜川線直進方向には「長野県」、西山線方向には「愛知県」というかなり曖昧な表示ではあるが、行き先表示があるので、見落とすことは無いであろう。西山線も決して道幅は広いわけではないが、対向車は少ないので走りやすかった。

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▲大津峠から山並みを眺めます。何も音の無い空間でした。

 ただし、カーブにもあまりミラーが設置されていないので気は抜けない。斜面は時折がけ崩れを起こしており、結構そのまま放置されているので、走行に注意が必要。林道西山線は大嵐駅の前で終点となる。

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▲ここで林道天竜川線から西山線が分岐します。「←愛知県」の方へ。

 ところでこのルート、かなりの時間がかかるにもかかわらず、出発も浜松市であり、到着した大嵐駅も浜松市である。浜松市は、2005(H17)年7月に11市町村を飲み込み、国内第2位の面積を誇る自治体となったのである。

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▲林道西山線では、こんながけ崩れは当たり前。

★富山へのアクセス「道路編その5-佐久間ダムから」

 5つめのルートは、天竜川の対岸、県道1号と並行するように走る静岡県道28 8号線大嵐佐久間線なのだが、こちらはほぼ全線通行止めである。地図にはあるが、実際は道路が無い状態である。というわけで、実質は以上4ルートが富山村へのアクセスルートである。

富山村の玄関-大嵐駅

 大嵐駅は、山奥の無人駅とは思えない立派な駅舎を構えている。1997(H9)年8月20日にオープンした現在の駅舎は「みんなの休む処」と名付けられ、その姿は東京駅をイメージしている。大嵐駅は静岡県浜松市地内になるのだが、この駅を利用するのは富山村を訪れる人がほとんど。

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▲JR大嵐駅の駅舎は、富山村が建設した「みんなが休む処」。

 ということでこの駅舎は富山村が設置している。駅舎は、1999(H11)年に愛知県森林協会が主催した「木の使い方コンテスト」で入選を果たしている。駅前には「日本一のミニ村・富山村」と書かれた村内の案内看板や、「山村文化交流の里」という村のアピール看板も立ち、まさにここが富山村の玄関であることを示している。

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▲まるでそこはすでに富山村のよう。

 駅には訪れた人が記録を残す「旅のノート」が置かれ、富山村へ訪れた想いが記されている。なかには北海道の稚内から訪れた人の書き込みも残されていた。

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▲もちろん私も足跡を残してきました。

 駅にはポケットサイズの時刻表が置かれていた。確かに、1本逃すと2、3時間待ちなんてことになってしまうので、村を観光する際にも列車の時刻は重要である。

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▲大嵐駅の前はパークアンドライド(?)用駐車場。

 1日に上り下り合わせてわずか17本である。対象の列車の時刻をメモするにもそれほど時間がかかるものでもない。にもかかわらず、わざわざ時刻表を印刷して配布するというJR東海の心遣いは見上げたものである。駅には今流行りのパークアンドライド用というわけではないだろうが、自由に止められる駐車場がある。

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▲こちら側は浜松市。通行不可とは県道288号のこと。

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▲林道西山線は駅とは反対側のこちらから。「←水窪市街」とある方。

公共施設などが密集する村の中心部で食事

 鷹巣橋を渡ると「愛知県富山村」というカントリーサインが目に入る。中心部のある「川上地区」へはここから1キロ足らずである。カーブを曲がって最初に登場する建物は川井旅館。そしてその先には駐車場がある。

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▲大嵐駅と富山村を結ぶ鷹巣橋。

 駐車場の向かいには喫茶「栃の木」と理髪店があるので、私たちは駐車場に車を入れ、喫茶店で食事をとることにする。不思議なことに村の中心部に入ると、それまで全く音が聞こえてこなかったカーラジオから、名古屋の放送が聞こえてきた。まさか村で電波を再送信しているはずは無い。全く不思議な現象である。

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▲橋を渡って初めて富山村に入ります。

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▲ようやく富山村の街並みが見えてきました。

 喫茶「栃の木」は、村の公募でやってきたオーナーが経営する、村唯一の飲食店である。窓の外には、断崖絶壁のなかに波ひとつない佐久間ダム湖が広がる。その雄大な景色を見ながら秘境感を味わおうと思ったのだが、店内に流れている名古屋のラジオが、ここが愛知県であることを思い出させた。

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▲村で唯一の飲食店。コーヒーショップ栃の木。

 人気メニューはみそかつ定食。やはりここは愛知県なのだ。しかしその味噌は、ちょっと名古屋とは味が違った。ここまで材料を運搬するのは結構大変な気がするのだが、街中と変わらぬその価格設定に感謝。店内には、我々と同じように、村が無くなることを惜しむ観光客の姿があった。

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▲みそかつ定食。味は名古屋と違いました。味噌汁もちょっと薄め。

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▲この日のランチマーボー丼。店中にいい香りが漂っていました。

 理髪店の先には、1824(文政7)年に再建された観音堂がある。江戸時代初期に彫られたといわれる十一面観音菩薩などが祀られ、旧暦1月11日には例祭が行われている。

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▲観音堂の横には、石仏や石神さまが並びます。

 そして観音堂のまわりには、警察署、診療所、郵便局、役場などが密集する。役場の職員は20名ほど。村の人口の1割が役場の職員なのである。郵便局は、意外にも日曜にATMが開いていた。村のメインストリートからは、北側の絶壁へいくつも村道が延びている。しかしどの村道も自動車が通れる道ではない。なかには階段もある。

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▲村の中心部。右にあるのが富山村役場。巨大なパラボラが目印。

 富山村森林組合の前には「ミニ村」というオブジェがあり、そこには「富山村中心案内図」という看板も設置されていた。合併後は、この「ミニ村」のオブジェは撤去されてしまうのだろうか。そしてそのオブジェの反対側には、村で唯一の商店「千歳屋商店」があるが、日曜はお休みの様子であった。

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▲村で唯一の商店。千歳屋商店。村人を支えています。

登山道の入口-村を見渡す熊野神社

 いくつかある村道のうち、3号大沢線の階段を登ってみることにする。坂にへばりつくように建つ住居の間の急坂を登っていくと、八獄山の登山口ともなっている熊野神社へと到着する。それほど距離は無いのだが、急勾配のために熊野神社からは、役場が小さく見えるほど標高は高い。

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▲これが村道3号大沢線の起点です。

 熊野神社は、紀州国の田辺(現在の和歌山県田辺市)に住んでいた田辺藤四郎国量が、田辺を去り富山村を永住の地と定めた際に、その地を清めるために熊野三社大権現を建立したと伝えられている。1324(正平元)年のことである。1839 (天保10)年には鷲野社と砥鹿社を勧請、1732(享保17)年には津島社と若宮三社を勧請。さらに1955(S30)年の佐久間ダム建設によって、水没した3つの神社が合祀されている。

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▲村道ですが、もちろん自動車は通れません。

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▲熊野神社は森のなかにあり、外からは社殿が見えないほど。

 毎年年明けに行われる「御神楽祭り」は、天竜川流域で広く行われており、かつては富山村でも4地区でそれぞれ行われていたのだが、現在は水没によりこの熊野神社で行われるのみとなっている。毎年祭りの際には多くの見物客が訪れ、村の人口はそのときだけ数倍に膨れ上がる。諏訪和四郎が彫った龍が目を輝かせる社殿には、祭礼の次第が書かれた板があった。神社の奥は登山道の入口となっていて、そこには魚をくわえた鳥の立派な彫刻が置かれていた。

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▲さらに階段を登ると、ようやく本殿が見えてきます。

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▲諏訪和四郎が彫った龍。目が輝いています。

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▲木彫りの鳥が出迎える八獄山登山口。やはり、熊に注意とあります。

富山村の子どもたち

 境内からは村を一望できる。この時は薪を割る音と子ども達の元気な声がこだましていた。その声は、山村留学「栃の実の里・清山荘」からだった。現在は7 人と子どもと4人の指導員が暮らしている。都会では味わえないゆっくりとした時間を過ごしていることだろう。村は無くなるが、山村留学は続けられる。来年度の留学生を現在募集しており、体験宿泊も実施されている。

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▲熊野神社から見た村の中心部。坂にある村だということがわかります。

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▲右奥に見えるのが富山小中学校。手前下が山村留学施設です。

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▲清山荘では、山村留学の子どもたちが暮らします。

 村のメインストリートに戻り、再び西へと歩く。するとカーブに差し掛かるところで「この先信号機」という標識が登場する。村で唯一の信号機である。

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▲再び村道3号線を下ります。左手に見えたプールは一体...何?

 そこはT字路で、T字路の先には富山小中学校がある。しかしT字路にもかかわらず、その信号は押ボタン式である。実はこの信号機、車を誘導するためのものではなく、子どもたちが村を出た際に戸惑わないようにと、教育用に設置された信号機なのである。設置当時はニュースになるほどの出来事だったのである。

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▲この先信号?そんな急に交通量が激しくなるわけ無いよな...。

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▲村唯一の信号機。赤になることが、年に何回あることやら。

温泉、ガソリンスタンド、そして紅葉

 続いて県道1号を直進し、道路拡張工事が行われているなかをさらに2キロほど進むと、川上地区を出て久原地区に入る。すると富山村教育文化センター「森遊館」と湯の島温泉が右側に現れる。

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▲森遊館と湯の島温泉。営業日にご注意。

 森遊館にはトレーニングルームやプール、文化ホールといった設備がある。湯の島温泉はナトリウム一炭酸水素塩・塩化物泉で、神経痛や筋肉痛、関節痛の効果があるとのこと。入浴料は大人400円、子ども300円。注意したいのは営業時間である。営業は火曜と木曜が午後4時から7時、土日祝が午後1時から7時までと限られているので気をつけたい。その他の日はお休みである。

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▲とみやま来富館。自炊です。ゆっくり山村を体験するならここ。

 湯の島温泉の先には、山村体験宿泊施設「とみやま来富館」があり、栃の実せんべいなど村の特産品なども販売されている。さらにその先には村で唯一のガソリンスタンドがあるが、もちろん日曜は休業の様子であった。

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▲村唯一のガソリンスタンド。予め営業を確認した方が良いかも。

 その先で県道1号は左へと曲がる。熊打橋を越えたところにはヘリポートも見ることができる。緊急の際にはやはりヘリコプターに助けを乞わなければならない。

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▲県道1号が通れるのは珍しい。ここは通行止案内になることが多い。

 そちらへは行かず真っ直ぐ進む。すると右側にいくつも石仏、石神さまが並ぶ「石神仏」がある。なぜ一箇所にこれだけ石神が集中しているのかといえば、かつてこれらの石仏、石神さまが祀られていた場所は全て水没してしまい、一箇所に集められたからである。現在も「子安さま」として親しまれ、安産・子育てにご利益があると言われている。

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▲やっぱりいざとなったらヘリコプター頼み。ヘリポート。

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▲子安さまとして親しまれている、石仏、石神。

 石神仏の先は、漆島川沿いの「漆島地区」になる。そこにはテニスコート、バンガロー村が広がり、日本ヶ塚山への登山道もある。そこには「軽い気持ちで登山をするな」という旨の看板が設置されている。どんな山道なのかは推して知るべし。バンガロー村の向かいには「嶋開都」という民宿があり、そこで我々は、富山村で最初で最後の「ジュースの自動販売機」を目にすることになるのであった。

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▲バンガロー村。ここを拠点に日本ヶ塚山登山もいいかも。

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▲右手に何やら建物が見えます。何かな?

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▲民宿「嶋開都」でした。自動販売機を見たのはここだけ。

 漆島地区の先は、霧石トンネルまで紅葉が綺麗な景色が続く。落石を防護するネットから真っ赤なもみじが突き出している。しかし、車を止められるような道幅は無いので、ゆっくりと紅葉を見るというわけには行かなかった。これで、富山村内のほとんどを見たことになる。

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▲先ほどと同じ写真ですが、漆島地区の西側、霧石トンネルの手前。

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▲富山村で一番の紅葉スポット。

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▲落石防止ネットをつきぬけるもみじたち。

富山村の合併に思う

 再び村の中心部に戻り、役場の横から佐久間ダムを眺めてみた。深い緑色をした静かな水面の奥底には、かつては普通の山村だった富山村の姿があったはずである。しかしそれを悲しむべきだろうか。水没したことによって、富山村の名は「日本一のミニ村」として世間に知られることとなったのである。

 戦後の国の政策によって建設されたダム、それにより翻弄させられた富山村は今、再び国の方針によって翻弄され、今度は村の名を消すこととなってしまった。

 日本一のミニ村を訪ねたいという想いから、富山村を訪ねる人は多いという。しかし、そのミニ村であるというのはきっかけに過ぎず、それ以外のことにも魅力を感じ、富山村を再び訪れる人も多いそうだ。我々もそれを富山村で感じ取ることができた。村を歩いていると、村の人々が気軽に「こんにちは」と声をかけてくれる。

 それは街中でよくある、防犯のための声かけとは全く性質の異なる、古き良き日本の原風景である。そして、交通の便も悪い、村のほとんどが水没してしまったという状況下にかなり前から置かれているにもかかわらず、長年富山村に住み続ける人の姿に、土地を愛することとは何か、郷土を愛することとは何かを教えられた気がした。

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▲写真の右下あたりが、ちょうどかつて富山村の中心部があったところ。

 豊根村と合併したところで、将来が安泰というわけではなく、このままでは財政的に村を維持していくことは到底できないそうだ。更なる合併を模索する必要があるとのこと。いずれは天竜川の対岸のように、豊根村の名前も消え、巨大な面積の自治体になってしまうのかもしれない。

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▲合併によってこの「ミニ村」のオブジェはどうなるのか...。

 「富山村」という名は地図の上から消えるが、以前ダムに沈んだように、村そのものが消えるわけではない。

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▲富山村の人々は急斜面で皆暮らしている。

 私も、日本一のミニ村が無くなるというきっかけで、富山村を訪問したに過ぎない。しかしそこにはそれ以上の何かがあった。都会だけではなく、田舎に住む人でも、現代では欲しくとも得ることができない何かが富山村にはあったと感じた。それが合併によって失われることは無いと願いたい。

 ミニ村ではなくなっても、いつの日か再び訪れたいと思う。

富山支所(愛知・豊根村)MAP

豊根村 富山支所

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