
トルコは親日国家という話をよく聞きます。今回の旅でガイドをしてくれたボラさんに、そのことについて聞いてみました。

時は1890(M23)年、日本に訪れたトルコ軍艦エルトゥールル号が帰る際に暴風雨に見舞われ、和歌山県串本町で遭難するという事故が発生しました。500人以上が亡くなるという大事故だったのですが、地元の人々の手によって生存者は看護され、貧しい村であったにもかかわらず、非常食までも使って食べ物を分け与えたのでした。このニュースは、トルコに日本の存在を大きく示すものとなりました。

1974(S49)年には遭難現場付近に「トルコ記念館」が建設され、エルトゥール号の模型やトルコから寄贈された品が展示されています。5年に1度慰霊祭が行われていて、次回は2011(H23)年に開催されます。そしてこの話は、トルコの教科書にずっと載っているのです。

このエルトゥールル号遭難にまつわる美談で、トルコの人々は日本という国を意識し始めたところにさらに大きな出来事が起きます。

トルコはその頃、ずっとロシアから狙われていました。ロシアは南下して、地中海の海を欲しがっていていたのです。しかしトルコにとってロシアは強敵で、歯が立つ相手ではありませんでした。ここはアジアの西端。同じように東端でもロシアに狙われていたのが日本でした。

トルコ人は日本に対して親近感を持ってはいたものの、東の小国だと認識していました。しかし、日露戦争で日本はロシアに勝利します。このニュースはトルコの人々に衝撃を与え、あのロシアを叩いてくれたということで、日本は小さいのに強くて、そして優しい国という印象が根付いたのです。

当時、トルコへのニュースは全てフランス経由だったので、トルコでの日本の呼び名は「JAPON」。トルコのスルタン(王)には明治天皇から勲章が贈られていますし、その逆もあり、日本とトルコの友好関係は築かれたのでした。

また、トルコ人と日本人には意外な共通点も。トルコ人は日本人と同じように「恥の文化」を持っていて、遠慮もしますし、イエスかノーかをハッキリ言わないこともあるのだそうです。さらにはトルコ語と日本語と文法が似ているとのこと。

トルコで日本語学科がある大学は「チャナッカレ大学」「3月18日大学」「アンカラ大学」の3つ。そのうちアンカラ大学は、大阪大学や一橋大学とも姉妹提携をしていて交流があるのだそうです。また「ヤバン」=「野蛮」など、全く同じ単語もあり、シルクロードを経由して、アジアの端から端まで伝わったものだと言われています。

心情や言葉以外にも、家で靴を脱ぐ、じゅうたんを敷く、ふとんで寝る、ちゃぶ台でご飯を食べる、そして蒙古斑があるという共通点があり、トルコの人は日本を身近に感じているのだそうです。

トルコは、エルトゥールル号遭難救助の恩返しをしてくれたこともあります。1985(S60)年に発生したイラン・イラク戦争で、イランに住んでいた日本人がテヘランに取り残されてしまった際、日本政府はオロオロして救援機が出せずにいると、なぜか2機のトルコ航空の飛行機がテヘランにやってきて、日本人全員を助けてくれたのです。トルコ人の救出よりも先にです。さらには湾岸戦争のときにも、トルコはチャーター便を出してくれています。

しかし、実際には多くのトルコ人は日本人そのものことはよく知らないそうです。教科書では習うのに実際には見かけない。だからこそ逆に興味があるようで、私たちが首都のアンカラの夜の街を歩いていると、「日本人?日本人?」「こんにちは、こんにちは」とよく声をかけられました。たぶん私たちも、日本でトルコ人を見かけたら「どんどるまん、どんどるまん」と、知ってる単語をとりあえず言うと思いますので、同じような反応ですね…。でも、ドンドルマはこんにちはじゃなくて、トルコアイスという意味ですが。

実際、私たちもトルコに行くまでは、トルコという国をそれほどまでに意識したことはありませんでした。でも、既にこれだけの良好な関係を築いていて似たもの同士。アジアの西端と東端なのに、不思議です。