23.トルコ あまのじゃくツアースペシャル

トロイ1 | 伝説を見つけた男の不純な動機

記事公開日:

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トロイ | Truva | 2007.10.04取材

イラストフォト

ニャ 夜中にやって来て掘ってみたりしたら、
また財宝が見つかったりするのかな!
ニャ  
違う意味で見つかって、捕まると思うよ。
チャナッカレ県
ラプセキ港
Lapseki
トロイ遺跡
Truva
13:50発 14:40着
コラム「女の戦いがいつしか戦争に?トロイ戦争」

そこは激しい戦闘の舞台でした

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ラプセキ港(チャナッカレ県・ラプセキ)

 ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、港町「ラプセキ」に到着です。この海峡を渡ることで、ヨーロッパからアジアへと移動したことになります。「ただいまー!」普段はアジアの極東に住んでいる自分が、今は極西にいるということで、まさにアジアを股にかけるという感じ?

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 今でこそ平和なこのダーダネルス海峡ですが、昔から交通の要衝ということで、第3回十字軍も渡った場所であり、第一世界大戦時には、英仏の連合軍に狙われた場所でもあります。イスタンブル占領を目指していた連合軍は1915年4月25日、チャナッカレから海を渡ってゲリボルに上陸し侵攻。オスマン・トルコ帝国軍はこれを撃退するのですが、両軍あわせて13万人以上の死者を出しています。トルコでは「ゲリボルの戦い」、英語では「ガリポリの戦い」と呼ばれています。

 この戦いで連合軍側に参加したのは、オーストラリア、ニュージーランド、インドの兵士。そのオーストラリア&ニュージーランド軍団(Australian and New Zealand Army Corps)の頭文字を取って、4月25日はアンザック(ANZAC)記念日となっていて、両国からの観光客がここにどっと押し寄せものすごい混雑になるそうですので、特に思い入れの無い日本人は、そのあたりの季節は避けたほうが無難かもしれません。

 では、近代の戦争の舞台から神話の戦争の舞台へ。ラプセキからひまわり畑の有名なチャナッカレを経て、トロイへと向かいます。トロイは世界遺産となっています。この世界遺産紀行で初めての世界遺産訪問です。ラプセキからバスに揺られること1時間弱。トロイ遺跡に到着です。

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トロイといったらやっぱり木馬

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トロイ遺跡(チャナッカレ県・チャナッカレ)

 トロイと聞いてまず思い浮かべるのが「トロイの木馬」。最近ではコンピュータウイルスのイメージが強いですが、そもそもはトロイ戦争の舞台となったこの地で作られた木馬のことで、それは紀元前1200年、今から3200年も前のことです。

 しかし、2~300年前までトロイは伝説としてだけの存在で、場所がどこだったのかもわからず、実在していたかどうかすら疑われていたのです。しかし今はここにはっきりと存在しています。では入場料1000円のトロイ遺跡へと、電車の自動改札機のようなところを通って入場です。サービスエリアのトイレは有人だったのにここは無人。こっちのほうが稼ぎが多いだろうに...。

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伝説のトロイを見つけたシュリーマンは嫌われもの?

 ホメロスが「イリアス」という叙情詩を書いたのが紀元前8世紀半ば。それはギリシャ神話の戦争を伝えたもので、そこに出てくる古代都市が「トロイ」でした。しかしそれはどこにあったのかがずっとわからず、伝説の存在となっていたのです。それを信じたのが、ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンでした。

 シュリーマンは子どもの頃に、ホメロスのイリアスを読んで感動し、その頃からトロイの存在を信じ、大人になってもその想いを抱き続け、発掘のためにと貿易で稼いだ私財を投げ打って発掘に当たりました。そして1870年、ついに遺跡を発見するのです。シュリーマンは、ヨーロッパではギリシャ考古学の父として尊敬されているのですが、実は今の考古学者からは嫌われているとのこと。一体なぜ?

 シュリーマンは、伝説を証明したい、歴史のロマンに思いを馳せて...発掘をしたわけではなかったのです。狙いはトロイの宝物目当て。つまりは「徳川埋蔵金を探せ!」と同じ感覚だったというわけです。そのため発掘の仕方も乱暴で、今は本物の考古学者によって、シュリーマンが損傷した部分を修復しながら再発掘が続けられ、研究は続いています。事実、シュリーマンが発見したと伝えられているトロイの財宝は、ほとんどが消息不明となっています。

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 シュリーマンが見つけた財宝は金銀なんと3000ピース以上。当時のギリシャ政府にはお金が無く、買い取ることができず、シュリーマンの手によってドイツへ。しかし第二次世界大戦で不明に。今ではロシアや大英博物館に一部あることがわかっていますが、トルコにはそれを取り戻すお金が無いとのこと。それよりも今はトロイのさらなる発掘にお金をかけたいからだそうです。

 宝探しによって荒らされた遺跡。しかしそれを発見したことが功績であるのも事実。

トロイ遺跡の見ごたえ

 前フリが長いですがもう少しだけ。トロイの遺跡はどういう構造になっているかといいますと、紀元前3000年から5世紀末にかけて、同じ場所に9つの市があったとされています。古い町の上に新しい街が形成されるということが繰り返され、まるで地層のように9つの時代の遺跡が重なり合っているのです。最も古い、つまり最も深いところには今から4500年前の日干しレンガがあったりするというわけです。

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 日本の神話でも、2000年前に創建された神社なんてのがありますが、その倍以上ですからスケールが違います。

 遺跡に入場するとまずは見えてきました、トロイの木馬。これは1975年に復元されたもので、伝説に伝わる大きさを再現したものです。なかに登ることも可能です。高さ13メートルもある木馬の意味って一体...。それでは、実際に遺跡を見て回ることにしましょう。(コラムを挟んで#04へつづく)

コラム・女の戦いがいつしか戦争に?トロイ戦争

結婚式をめちゃくちゃにしてやる!

 ホメロスが「イリアス」という詩に残したトロイ戦争。そこで使われた作戦が「トロイの木馬」なわけですが、この戦争は、女神のプライドをかけた戦いから発展した戦争とされています。女の戦いから略奪婚へ。その物語を紐解いてみます。

 紀元前1200年頃、人間の子ペレウスとティターン族の娘テティスの結婚式が行われたのですが、不和の女神「エリス」はこの式に招待されませんでした。怒ったエリスが「いちばん美しい女神へ」と書いた黄金のリンゴを祝宴に投げ込んだことから騒動は始まります。

 そのリンゴをめぐって、結婚式に出席していた、戦いの女神「アテナ」と、美の女神「アフロディーテ」、そしてゼウスの妻であった「ヘラ」が、「私こそが最も美しい女神である」と張り合うことになります。しかし、女神3人がそれぞれ言い張ったところで結果は出ません。そこでトロイ王家の王子で、独身だった「パリス」が公平な審判を下すことになります。

紹介されたの絶世の美人は人妻

 3人の女神はそれぞれパリスに「世界を支配する力」「戦いに勝利する力」など、賄賂を与えて気をひこうとするのですが、そのなかでアフロディーテは「私を選んでくれたら、絶世の美女ヘレナさんを紹介してあげましょう」と誘惑。パリスはその誘いに乗っかり、アフロディーテが最も美しい女神であると宣言し、アフロディーテはギリシアで最高の美女ということになりました。

 パリスは約束どおり、絶世の美女へレナと結婚しようとするのですが、まさかの展開に。そう、ヘレナは人妻だったのです。しかもスパルタ王の王妃です。さらには子どももいました。しかしこれは約束だとして、パリスは略奪婚を成し遂げてしまいます。

 怒ったのはスパルタ王です。兄のミケナイ王アガメムノンと一緒に、ギリシア軍は一丸となってトロイに攻め込みます。しかしトロイの城は頑丈で、10年攻撃し続けてもビクともしなかったのです。

いよいよ木馬が登場

 そこで登場するのが「トロイの木馬」です。

 ギリシア軍のオデュッセウスが、あるアイデアを思いつきます。大きな木馬を作ってそのなかに兵隊を隠しておいて、その木馬だけをトロイに残し、ギリシア軍の兵隊は皆引き上げたように見せかけるという作戦です。木馬のなかに兵隊を忍ばせ、さらに残りの兵は、海岸で待機することにしました。

 10年間続いた攻撃が止み、ポツンと残された木馬。ギリシア軍が去ったと思い込んだトロイの人々は、勝利を祝います。しかし、ただ巨大な木馬が置かれていたのでは、あやしまれます。そこでギリシア軍はおとりにシノンをわざと残します。

 当然、シノンは拷問にかけられますが、作戦通りのことを話します。

「木馬は戦いの女神アテナの怒りを鎮めるために作った」
「ギリシア軍は皆逃げていった」

 そして、なぜ高さが13メートルもある巨大な木馬であるのかと問われると、

「この木馬がトロイの城内に入ると、ギリシア軍が負けると預言者が言っていたので、入らないように大きくした」

 と答えます。それならと、トロイ人たちは木馬を城内に引き入れます。すると、木馬のなかに隠れていたギリシア軍は夜襲に成功。トロイ人はほとんどが殺され、生き残った人々はこの地を逃げ、ローマを作ったと伝えられています。

伝説と事実の交じり合う世界

 と、これが今から3200年も前のお話なわけですが、日本の神話と同じように、トルコ人もこれを真実だと受け止めているわけではなく、当時繰り返された領土を奪い合う戦争に、それなりのストーリーをホメロスが付け加えたものだと認識されています。

 以前は全てが伝説で、事実とは思われていなかったトロイ戦争。しかし、シュリーマンによってその舞台の存在が発見され、神話が全て作り話というわけではないということが、証明されたのです。実在していた古代都市トロイ。ひょっとしたら、作り話だと思われている日本の神話やおとぎ話も、実話を象徴したものばかりなのかもしれませんね。

トロイ遺跡(チャナッカレ県チャナッカレ)


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