15.長崎で時空の旅 おでかけレポ~全国・海外~

島全体が廃墟・かつての未来都市へ-35年ぶりに上陸解禁となった軍艦島(1/3)

記事公開日:2010年7月25日 更新日:

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★日本で最も豊かだった島は突如無人島に
★35年ぶりに許された上陸
★船に乗れたからといって安心はできない

 私がその島の存在を知ったのはいつだったか...。幼い頃に見た啓発CMだったと思います。まるで未来都市のような宝の島が長崎にあったという。しかし、その島は死んでしまった...と。ずっとそのかすかな記憶が残っていたところで、2005(H17)年、テレビでその島への報道公開上陸レポートを見たのです。

 日本で初めての鉄筋コンクリート集合住宅が作られ、東京よりも人口密度が高く、人々は豊かな暮らしをしていた「島」。それがある日を境に無人島となり、それから30年以上、無人島として風雨にさらされ続けているのです。

 それでさらに興味を持った私は、いろいろと島についての資料を見て、その豊かだった当時に思いを馳せるとともに、この島の持つ意味は何なのだろうかとずっと考えてきました。そこへ、吉報が舞い込んできたのです。そう、この島への上陸が許可されたのです。昨年春のことでした。

35年ぶりの上陸解禁

 軍艦島こと、長崎市にある小島「端島(はしま)」はかつて海底炭鉱として栄えた島でした。明治時代から三菱の私有地となり、三菱は労働者のための住宅を島に建設し、それは街となり、コミュニティを形成していったのです。1916(T5)年には日本初の鉄筋コンクリート製の集合住宅が建設され、海に浮かぶ小島に高層ビルが建つその姿は、遠くから見るとまるで、日本海軍の戦艦「土佐」のようだったことから「軍艦島」と呼ばれるようになったのです。

 戦前から戦後にかけて良質な石炭を生産し続け、最盛期には、周囲わずか1.2kmの島に5,000人以上が暮らし、人口密度は東京都区部の9倍にも達したといいます。炭鉱での労働は厳しかったことと引き換えに、住民は豊かな暮らしをしており、敷地が少ないことから建物はどんどん高層化し、まるでそれは未来都市かのようだったとのこと。

 しかし、石炭の時代は終わりを告げます。時代のエネルギーは石油に取って代わられ、軍艦島の炭鉱は1974(S49)年1月15日に閉山。炭鉱の閉山。それは島の終わりを意味するものでした。

 それから35年。2009(H21)年4月22日より、指定した場所でのみではありますが、一般の人の上陸が許可されるようになったのです。その2ヶ月後の昨年6月、軍艦島へと行ってきました。

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予約が必要もちろんしていきました...が

 軍艦島への上陸は、専用のツアーに参加する形となります。私たちは「やまさ海運」の「軍艦島クルーズ・上陸コース」に参加しました。これはあらかじめ予約が必要なもので、しかも誓約書への署名が必要となります。料金は長崎市の施設利用料込みで4,300円です。でも、予約をしてきたから安心というわけではないのです。

 軍艦島クルーズは、天候にかなり左右されるもので、上陸できなかった場合は、施設利用料と乗船料の10%を返金してくれるとはいえ...いや、そんなお金の問題ではなくて、この長崎まではるばるやってきて、軍艦島に上陸できなかっただなんて、それだけは本当に避けたい。その願いを一心に長崎港ターミナルへとやってきました。

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 長崎港ターミナルには、往時の軍艦島の模型や、写真パネルなどが展示されており、気持ちが高まります。やまさ海運で受付と料金の支払いを済ませます。その際、もちろん気になるのは出航するかどうか。この日は曇天で、いつ雨が降ってくるかわからない状態。係員の方は「とりあえず出航はします」とのこと。

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 どういうこと?そう、出航したからといって、上陸できるとは限らないというのです。激しい雨はもちろんですが、波が高いだけでも上陸できないそうで、出航したなら安心できるかと思っていたのですが、まだまだ不安は払拭できない状態が続きます。

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いざ、出航!

 出航15分前になり、船乗り場へと向かうとそこには「軍艦島クルーズ」という横断幕が掲げられた船が。さすが!と思ったら、乗る船はその向かい側。まあ、別にいいんですけどね。ちょっと拍子抜けしてしまいました。さすが平日ということもあって、この日は定員いっぱいという感じではなく、少々船にゆとりのある感じで、予定通り9時ちょうどに長崎港を出発です。

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 さすが造船の街・長崎です。巨大な三菱重工の造船工場が見えてきます。かつて仕事で津の造船工場に行ったことがありますが、造船工場というのは、見た目とその実際の大きさが違いすぎるといいますか、迫力がすごいですよね。

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 さらには、自衛隊の護衛船が修理点検されていたり、海底ケーブル敷設船などが停泊していて、名古屋の港とは全く違った港の風景を見せてくれます。そうこうしているうちに、出航して10分ちょっとで、橋桁の高さが日本一という「女神大橋」をくぐります。

 この橋は2005(H17)年12月に供用が開始されたもので、海面からの高さはなんと65メートルもある斜張橋です。なぜそんなに高さが必要なのかといえば、ここは造船が盛んな長崎です。どんな大型船でも通れなければならないのです。

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バスで行ける神の島

 女神大橋をくぐっても、そこはまだ長崎湾内。人工的な海岸線に、造船・鉄工所が形成され、まるで大きな工場に囲まれたような場所にポツンと浮かぶのが「高鉾島」その先が「神の島」です。

 高鉾島はかつて、隠れキリシタンの島と言われたところで、宣教師をかくまった罪で2人が処刑されていて、「殉教の島」として知られています。

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 一方、その先にある神の島も、弾圧が少なかったことから隠れキリシタンが多く住んでいたとのこと。ただ、今は埋め立てによって陸続きになっていて、神の島へはバスで行くことができます。

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 さらに、世界一の100万トンドックのある香焼の三菱重工長崎造船所を越えると、いよいよ長崎湾外へと出ることとなり、波が強くなります。軍艦島に上陸できるかどうか、ちょっと心配になってきます。

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いよいよ近づいてきます

 その先、本土の香焼地区とわずかしか離れておらず、橋が建設されていて、まもなく陸続きになりそうなのが「伊王島」です。聖ミカエル天主堂のあるリゾートアイランドで、温泉と海水浴場があるそうです。このあたりのひとつひとつの島々にも、興味深いエピソードがありそうでそそられるのですが、今回は軍艦島です。

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 長崎港を出発して30分、ここで乗船客に「軍艦島見学者」というパスが配られました。天気は回復することなく、波も少々荒いのですが、これが渡されるということは、上陸できる見込みが高い...と信じて、ありがたく受け取ります。しかし、その期待を打ち消すように、「着いてみないと上陸できるかどうかわかりません」という趣旨のアナウンスが船内に響きます。

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 そして船はいよいよ、2005(H17)年1月4日まで、軍艦島を含んでいた旧高島町の区域へと入っていきます。その名のとおり、まずは登場するのが「高島」です。この島もかつては軍艦島と同じく、炭鉱として栄えた島で、最盛期には軍艦島と合わせて2万人近くの人口を誇っていたものの、現在はもちろん炭鉱は閉山されており、1986(S61)年の閉山以降人口は激減し、ヒラメの養殖などを生業として、数百人が暮らしているのみで、平成の大合併によって長崎市に編入されています。

 なので、高島にも、かつて繁栄した面影とも言える、とても離島には似つかわしくない高層の住宅団地が見受けられます。

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見えてきた...軍艦島

 自前の電力需要を賄っているという、高島の風力発電施設を越えると、中ノ島が見え、その奥に、そう、あの軍艦島が見えてきました。

 この中ノ島というのも、地図で見ると不思議な存在です。軍艦島の1割程度の大きさで、もちろん今は無人島なのですが、「中ノ島公園」という表記があるのです。無人島なのに公園...聞くと、この島も一時期炭鉱として人が住んだ時期があり、また、軍艦島住民の公園として親しまれたというのです。そう、公園へ行くのにわざわざとなりの島まで渡ってやってきたというのです。つまりそれは、軍艦島には公園すらなかった...ということなのでしょう。

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ゴクリ...上陸です

 本当に夢にまで見た軍艦島。無理を承知で願望を言えば、栄えていた頃の軍艦島に一度訪れてみたかったのですが、軍艦島が無人島になったのは私が生まれるよりも前のこと。それはどうやっても無理なこと。

 とはいえ、その閉山になった頃から、ほとんど人工の手が加えられていない状態で残された、昭和の高度経済成長の時代に「未来都市」とされた島が、今、目の前に現れたのです。霧の奥に見えるその島は、逆に考えると、今も「私が生まれる前の世界」なわけです。

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 霧のせいもあって、最初はぼんやりとしか見えなかった軍艦島の様子が、船が近づくにつれて、少しずつ、少しずつハッキリとしてきます。ここでようやく、上陸できることが確定しました。ドルフィン桟橋に船が寄っていきます。

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 いよいよ軍艦島に上陸です。35年間風雨にさらされて、現在進行形で朽ちてゆく建物自体にももちろん興味がありますが、ここにかつてどんな暮らしがあり、どんなコミュニティが形成され、どのような人生があったのか。上陸後は、当時を知るガイドの方によるお話もあるというので、気持ちが高まります。

 そしてなぜ、35年間も上陸が禁止されていたのか。果たしてそれは、安全面の問題だけなのか...ずっと心にそれがひっかかっています。その謎解きもしたいと思いますし、軍艦島が今の自分に問いかけるものは何か、そう考えながら、いざ、上陸です。

 次回「第2回」につづきます。

関連情報

やまさ海運

取材協力

KAZ Communications

端島<軍艦島>(長崎・長崎市)MAP

長崎市 端島


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