14.神話と世界遺産と妖怪の山陰 あまのじゃくツアースペシャル

弁慶の力で?湖の上を車で走る!-弁慶の里本庄

記事公開日:2008年9月19日


写真

TOPPY
弁慶は一時期名古屋にいて、井戸を掘ったらしいよ。それにしても出雲大社のご利益ってすごいね。

AIKATA
後世に伝説として伝えられる「器量の悪さ」って...。出雲大社のすごさを表現したかったのだろうけど...。

スポンサーリンク

弁慶の里本庄

松江市野原町401-8
TEL:(0852)34-1528(道の駅)
駐車場:35台
休み:毎週木曜日
9:00~19:00

 島根県の県庁所在地、松江へとやってきました。松江といったら松江城と城下町というイメージがありますが、今回はそうではなく、やはり神話の世界を中心に巡ることにします。

 と言いつつも、まず紹介しますのは、松江の市街地と鳥取県境港市の間にある「本庄」という街。ここはあの弁慶の出生地として伝えられていて、実は弁慶は出雲大社のおかげで生まれた?というエピソードも。さらに、本庄の前に広がる日本で5番目大きさの湖である「中海」。

 実はここに、弁慶も驚くような壮大な計画があり、それとともに湖の上を走るような道路が建設されたのですが、その計画の頓挫とともに今度は車がまるで空を飛ぶように走ります。

 続いては、中海と繋がっている日本で7番目に大きな湖「宍道湖」へ。ここは日本でも有数の夕日が綺麗なスポットとして知られています。そして夕日を見るために造成された公園には、松江ゆかりのあの漫画家さんのキャラクターの像も。果たして夕日を見ることはできるでしょうか...。一方、宍道湖の畔にある島根県立美術館には、これまた縁結びの願いを叶えてくれると評判のうさぎたちが。

 神話をたずねて松江の市街地から今度は南へ。縁談のお願いに対して神さまがすぐに答えを出してくれる「鏡の池」のある八重垣神社や、日本最古の建築様式である本殿を持つ神魂神社、さらに、相方の直感で訪れた、ここで火が生まれたという伝説のある熊野大社へ。

 中海と宍道湖の間を北から南へと、松江を駆け抜けます。

 まずは北から。松江市街からおとなりの鳥取県境港市へと抜ける国道431号線を走っていきますと、それまで山の中を走っていた道路の目の前に、輝ける水面が現れます。日本で5番目に大きい湖である中海です。そしてそこが、あの弁慶の出生地と伝えられる本庄地区です。

 武蔵坊弁慶といえば、源義経に仕えたことで知られる平安時代末期の僧兵。和歌山県田辺市生まれという資料が多いのですが、この本庄には、面白い理由で出生伝説が残されています。そして現代、その弁慶がやったことをさらに大きなスケールで人間の手でやってやろう、という計画が本庄にあったのですが...それは今...。本庄に残る弁慶伝説と今を見て行きます。

 弁慶の母である弁吉は、和歌山県田辺市で暮らしていたのですが、器量が悪く結婚できる気配がありませんでした。そこで心配した両親は、縁結びの神さまである出雲大社に祈願に行かせるのです。その帰り道、さっそくご利益がありました。この松江で山伏と結ばれ、弁慶が生まれたのです。それにしても、伝説に「器量が悪く」と残されるほどの器量とはいかほどだったのか、大変気になるところです。

 そんな本庄の地に、2006(H18)年5月にオープンしたのが道の駅「弁慶の里・本庄」です。中海側がガラス張りになっていて、駐車場を挟んでですが、絶景を眺められる休憩コーナーには、弁慶の伝説を展示するコーナーが設けられています。そこに幼少の弁慶がおこした現代に通じるエピソードがあります。

写真写真

 弁慶は幼い頃からいたずらばかりしていて、お仕置きとして中海の弁慶島という島に置き去りにされてしまいます。そこに空から山伏がやってきて、弁慶と遊びながら兵法を伝授したのでした。それは実は弁慶の父親。山伏は自分が父であり天狗であることを明かし、島から岸へと自分の力で工夫して渡りなさいと言い残し、去っていったのです。

 ということは、天狗は女性の器量を気にしないということ?いやいや、きっと天狗は弁吉を見て、このおなごなら自分の立派な跡継ぎを生んでくれるだろうと思ったのでしょう。器量はどこかに置いておいて...。

 弁慶は10歳になった春、砂を空から落として島と岸を繋ぎ道を作り、帰り着いたのでした。今はそんな体験を、なんと誰もがすることができます。

 国道431号をさらに進み、美保関で県道338号へと右折するとなんとびっくり。湖の上を車で走ることが出来るのです。しかもそれは橋ではなく、まさに湖に砂を敷いた道路。湖面スレスレを走っていきます。ひょっとしてこれ、弁慶が作った道?いえいえ、そうではありません。

写真写真

 地図を見るとわかりますが、県道338号線は美保関から、江島、大根島を通って、大海崎鼻へとぐるっと本庄の湖岸を取り囲んでいます。実はここに、弁慶も驚くような計画があったのです。それは干拓です。全てを陸地にしようという壮大な計画でした。しかし...。

 1963(S38)年の着工から進められてきた、農業用水を確保するための中海と宍道湖の淡水化および、本庄工区の干拓計画は全て中止となりました。現在、県道338号線が上を走っている森山堤防は、その一部を橋にして、堤防を開削することとなり現在工事が行われています。

 また、同じく淡水化事業のために設置されていた、江島と境港を結ぶ中浦水門も、北側に東洋一のプレストレスト・コンクリートラーメン構造の橋である「江島大橋」が2004(H16)年10月に開通したことで、現在は撤去作業が行われています。

 プレストレスト・コンクリートラーメン構造とは、地震などの揺れに強くするために、あらかじめ荷重に耐えられる力を加えたコンクリートで、柱と桁を一体化したものです。まるで空に向かって走るような爽快感が、ある程度の排気量がある車であれば体感できます。もちろん、前にトラックが走っていたら爽快感も何もありません。

写真写真

 かつて弁慶が、砂で島と岸を繋げた場所に、同じように人間が堤防を作り、さらには埋め立てて広大な土地を築こうとしたものの、着工から半世紀が経過して、全ては白紙になりました。

 開削により、かつてのように中海で魚がとれるようになると喜んでいる漁師が多いのだとか。弁慶は自分が渡るためだけに砂を敷いたわけですが、一体人間は何のために堤防を設けたのか。国営中海土地改良事業とは何だったのか。

 道路と堤防を作って、途中で壊して元通り。代わりに東洋一の橋まで作っちゃった。それらの工事で誰が得をするのかを考えれば、何のための事業だったのかはすぐにわかることですが。

弁慶の里本庄(島根・松江市)MAP

弁慶の里本庄


スポンサーリンク


-14.神話と世界遺産と妖怪の山陰, あまのじゃくツアースペシャル
-

Copyright© TOPPY.NET , 2017 AllRights Reserved.