NAGOYANOW 愛・地球博開幕前レポート

今こそ世界デザイン博大反省会

記事公開日:2005年1月15日

 いよいよ2005(H17)年は、名古屋市郊外の長久手町・瀬戸市を会場に国際博覧会「愛・地球博」が開かれます。関係各所は盛り上げるのに必死で、どの程度の収支を見込むことができるかという冷静な分析や、成功するか失敗するかという議論さえも許されない状態ですが、そんな状況のなかであえて今回は、過去の実績について触れてみたいと思います。

万博を成功させるために今、思い出さなければならないこと

 愛知県が万博を誘致した理由については、おいでよ名古屋みゃーみゃー通信の第2回「世界の中心都市としての義務」で考察しましたとおり、1988(S63)年の開催を目指していた名古屋オリンピックを1981(S56)年に逃してしまったことが大きく影響しています。この名古屋オリンピックは、1989(H元)年の名古屋市制100周年記念行事として開催したかったという思惑もありました。

 ではオリンピックを逃した名古屋市は、市制100周年記念で何もしなかったのかというとそうではありません。当時はバブル景気のなか地方博覧会がブームで、全国各地で地方博が開かれ成功を収めていました。そこで名古屋市も、この市制100周年を迎えた1989(H元)年に「世界デザイン博覧会」を開催しました。

 万博ではなく地方博ではありますが、名古屋の過去の博覧会の実績として、万博を2ヶ月後に控えたこの時期にあえて今、振り返ってみたいと思います。

 では、17年前の名古屋市にタイムスリップしてみましょう。

1988(S63)年の名古屋へ...

 1988(S63)年、名古屋市は翌年に世界デザイン博覧会の開催を控えていました。地方博ブームは既に始まっており、この年には7月8日から9月18 日まで岐阜市で「人がいる、人が語る、人が作る」をテーマに「ぎふ中部未来博」が開催されました。

 リニアモーターカー、スペースシャトル、ハイビジョンといった未来を感じさせる展示が注目され、たった73日間の開催期間だったにもかかわらず、入場者数は407万人と当初目標の1.5倍以上、約150万人上回る数字を記録し、20億円の利益を計上しました。また、同じ年に続けて高山市で開催された「飛騨高山博・食と緑の博覧会」でも約2億円の利益を生み出しました。

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▲大きな成功を収め、岐阜県のその後に大きな影響を与えた未来博'88。

 もちろん、全ての地方博が成功したわけではなく、同じ年に北海道で開催された「世界食の祭典」では約90億円の赤字を出し、関係者が自殺に追い込まれたという事例もあります。

 岐阜県は未来博というイベント自体だけを成功させたのではなく、期間中岐阜市内のほとんどの道路をマイカー規制し、会場へはバスかタクシーでしか行けないようにしました。そうすることで公共交通やそれら駅周辺の商店に、来場者のお金を落とさせることに成功したのです。

 未来博と高山博の成功に気をよくした岐阜県は「イベント立県」を宣言し、県内各地をパビリオン化して街おこしをしていく方針を立てます。その後、日本一のバラ園を呼び物に1995(H6)年に可児市で開催した「花フェスタ'95」も、40日間という短い開催期間に約1 90万人が来場し成功を収めました。跡地は花フェスタ記念公園として整備され、現在も毎年30万人以上が訪れています。

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▲花フェスタ記念公園はイベント後、公園としても成功。

 愛・地球博が開かれる2005 (H17)年には、世界一のバラ園が整備され「花フェスタ2005」が開催されます。東海環状自動車道の開通により、愛・地球博の会場と花フェスタ2005の会場間はわずか30分で移動が可能になります。他県のイベントにもちゃっかり乗っかる岐阜県、このようにイベント上手なのです。

 さて、そんな未来博・高山博の成功を横目で見ながら、この時名古屋市はデザイン博の準備に追われていました。そもそもなぜ名古屋市でデザイン博となったのでしょうか。その4年前の1984(S59)年、名古屋市は市制100周年記念事業として巨大イベント・地方博覧会を行うことを決めました。この時はまだテーマは決まっていませんでした。

 その翌年、 1985(S60)年に「世界インダストリアルデザイン会議'89(ICSID89)」の誘致に成功し、名古屋で開催されることが決定しました。それに合わせ、博覧会のテーマを「デザイン」としたのです。

「デザイン」をテーマにした博覧会はそれまで開かれたことがなく、開催すれば「世界初」のデザインをテーマにした博覧会となるということで、初物が大好きな名古屋にとってピッタリのテーマとなりました。しかし、名古屋の街とデザインというテーマとはどう考えてもピッタリどころか接点もありません。

 そこで名古屋市は、1986(S61)年から3年かけて市内の信号機、バス停、ゴミ箱、電話ボックス、マンホール、噴水などをデザイン性のあるものに一新し、街のあちこちに彫刻を配しました。地下鉄の駅についても、とりあえず人がたくさん来そうな駅だけに限ってですが、表示をセンス溢れるものにつけかえるなど、何とかデザイン博の開催までに、急ピッチで街に「デザイン」を溢れさせました。

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▲名古屋の街中に彫刻が溢れ...。

 世界デザイン博覧会には24の企業がパビリオンを出展することになったのですが、困ったのがこの「デザイン」というテーマです。トヨタ自動車はカーデザイン、カリモク・サンゲツはインテリアデザイン、松下はくらしのデザインといった具合に、デザインと関係のある企業は特に難も無かったのですが、デザインとあまり縁が無い企業は困りました。

 しかし、ハイビジョン特殊撮影で作られた、未来を冒険する映像を巨大シアターで見せるというパビリオンも、「愛と希望のメルヘンをデザインしました。」といった具合 に、何でも半ば強引にデザインと結び付けていきました。

 世界デザイン博覧会協会には、名古屋市、愛知県、民間企業から多くの人が出向していました。この地方が一丸となって「デザイン」という難しいテーマの博覧会を形にしていったのです。

 1988(S63)年は中日ドラゴンズがリーグ優勝し、名古屋の街全体が活気づいて...と言いたいところなのですが、昭和天皇の体調悪化により日本全体が自粛ムードとなり、ドラゴンズのビールかけも中止、お祭り騒ぎとも言える地方博のPRがとてもしづらい状況になってしまったのでした。

 翌年、時代はかわって平成となり、1989(H元)年7月15日から11月26日の135日間に渡って世界デザイン博覧会は、白鳥、名古屋城、名古屋港という3会場分散というこれも珍しい形で開催されました。目標入場者数は1400万人でした。

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▲デザイン博キャラクターデポちゃん。触覚で情報をキャッチし紡ぐ...。

 メインの白鳥会場(26ha)のテーマは「21世紀との遭遇」。未来のデザインの可能性を求め、21世紀の都市がデザインされました。無機質な人工物と自然との融合を目指し、都市と自然との新しい関係を模索しました。

 具体的に見ますと、「創造の柱」というモニュメントは、高さ20メートル直径1メートルの柱が5本並んでいるものなのですが、それぞれが「木・火・土・金・水」という自然の要素を表しました。また72本のスギの木を植栽したオアシス広場では、人工的に霧が作られ森を再現しました。当時はまだ、花粉症が問題になる前だったことがわかります。今ならスギはあり得ません。

 また霧の目的も、清涼感を味わうためであり、マイナスイオンという考え方は無かったようです。

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▲創造の柱は草に覆われ、本来の目的どおり自然回帰中?

 残る2会場、名古屋城会場(19ha)は「歴史からの発見」ということで日本的なデザインを、名古屋港会場(11ha)のテーマは「楽しさへの旅立ち」で、時速500キロのリニアやロサンゼルスのLRV(軽快電車)の試乗体験ができるパビリオンや、モアイ像などが置かれました。モアイ像は今も寂しくポツンと残されています。

-世界デザイン博覧会は成功だったのか。

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▲今もガーデン埠頭ではモアイ像が名古屋港を見渡しています。

世界デザイン博覧会は成功だったのか

 白鳥会場に恒久施設として作られた白鳥センチュリーホール・名古屋国際会議場は、今もその役目を担っており、デザイン博後、名古屋での国際会議が増えたという実績があります。では博覧会自体はどうだったのか。1400万人を目標としていた入場者数は1518万人、利益は2億1000万円の黒字で、ぎふ中部未来博には遠く及ばなかったもののとりあえず成功を収めた...と発表になりました。

 しかし。この数字について訴訟が起こされます。

 原告側の住民の主張は、デザイン博終了後、名古屋市はステージやベンチ、ゴミ箱など使用済みの備品をデザイン博協会から10億3632万円で買い取り、その利益があるために黒字となっているのであり、本来は約8億2600万円の赤字で、当時の市長と博覧会協会にその10億3632万円の返還を求めるというものでした。

 1審、2審とも名古屋市に赤字隠しの意図があったと認定、1審では全額10億3632万円の返還を協会と当時の市長に命じました。しかし2 審では、赤字分は市の補助金に頼らざるを得ないと判断。当時の市長らには、黒字分の2億1000万円だけの返還を命じたため、原告側は全額返還を求め最高裁へと上告しました。

 最高裁は2審の判決を破棄し、返還額確定のための審理を名古屋高裁に差し戻しました。返還額がいくらになるかは別として、世界デザイン博覧会が実は約8億2600万円の赤字だったことについては、1審、2審とも全てで認められたのです。

※10/26に名古屋高裁で差し戻し審の判決が出ました。市が赤字を負担するのは当然であり返還の必要はないというものでした。(10/27追記)

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▲デザイン博跡地に残るオブジェと、名古屋国際会議場。

デザイン博の経験をどう生かす?

 さて、愛・地球博です。開催期間は2005(H17)年3月25日から9月25日の185日間。目標入場者数は1500万人。あれ...ちょっと待って下さい。1500万人ってデザイン博の入場者数実績よりも若干低く見積もってるんですね。あ、そうか。デザイン博の実績1518万人という発表も眉唾かも知れませんね。入場者目標を100万人以上上回って8億2600万円の赤字なんてことあり得ませんよね...普通。

 さあ、誘致したみなさん。デザイン博の経験を生かして、愛・地球博は黒字となるように頑張ってください。間違ってもこの経験から、違う赤字の隠し方を考える...なんてことのないように、愛知県民としては願うばかりです。

 岐阜花フェスタは成功、愛知万博は失敗で「岐阜万博だったら成功したんじゃないの?」なんて言われないように...。

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▲差し戻し審理でどうなるか...。デポちゃん、お支払いよろしくね。


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