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大丸は守ってくれた「松坂屋ストア」消滅

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★とうとう消えた「松坂屋ストア」
★大丸はその名を守ってくれていた?のに...
★最後通牒を突きつけたのはあの大手流通だった

 名古屋で圧倒的なブランド力を持ち「贈答品はカトレアの包装紙でなけなかん!」と、他の百貨店とは一線を画す格調高さを持ち続けてきた「松坂屋」。しかし、その松坂屋の名を冠したスーパーがとうとう消えることとなりました。親会社の事業統合では守られたその名が、意外なタイミングで消えました。名古屋にとっての松坂屋ストアとは何だったのか。

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生活と文化をつなぐマツザカヤも統合...

 松坂屋の創業は今から遡ること402年前、1611(慶長16)年のこと。「いとう呉服店」として名古屋にはじまりました。江戸に進出した際に、上野の「松坂屋」を買収したことから「いとう松坂屋」となります。大正時代には全店が「松坂屋」の名となり、戦後はイメージソング「振り向けば松坂屋」をテーマ音楽にしたラジオ番組「0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです」がスタート。松坂屋本店南館のオルガン広場から、毎日公開放送が行われました。週末も休むことなく毎日、43年間に渡って放送されましたが、2008(H20)年春にその幕を下ろしました。

 その前年、松坂屋は大きな決断をします。大丸との共同持株会社「J.フロントリテイリング」を設立し、経営統合に動き始めるのです。その影には、あの、名古屋がもてはやされたはずの、愛・地球博が開催された2005(H17)年の混乱がありました。その年、松坂屋は村上ファンドに株を買い占められたのです。

 防衛のため、また、厳しくなる百貨店業界での生き残りをかけての大丸との共同持株会社化。2010(H22)年には新たに松坂屋を存続会社として「大丸松坂屋百貨店」が発足。名実ともに大丸と松坂屋はひとつになりました。

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ブランド力を大切にした大丸

 存続会社は松坂屋でしたが、実質的には役員も大丸出身者が多く、大丸の傘下に入ったという形になりました。しかし、百貨店は店舗ブランドのイメージが大きく、大丸は松坂屋の店名を変えさせることをせず、ひっそりと、「松坂屋本店」を「松坂屋名古屋店」に変えさせたくらいでとどめました。ただし、リストラは店舗および広告戦略も含めて大きく行われ、その一環が、あのカトレヤミュージックの終了であったといわれています。対外的には、ラジオ広告は役目を終えた、ということになっていますが、まあ、どちらにしろカットしたことに変わりはありません。

 そんな大丸と松坂屋にはそれぞれ、スーパー業態がありました。大丸はあの、オイルショック時のトイレットペーパー買占め騒動でおなじみの「大丸ピーコック」。松坂屋は「松坂屋ストア」です。

 この両社についても、統合が行われます。カトレヤミュージックが終わった2008(H20)年、大丸ピーコックは松坂屋ストアなどを吸収合併、会社名を「ピーコックストア」とします。

 大丸ピーコック+松坂屋ストア=ピーコックストア

 表面上は両社の親会社名を削って、カタカナ部分をくっつけた...とも見えますが、「ピーコック」が大丸の象徴である孔雀なのに対し、「ストア」はただの商店ですから、松坂屋らしさのかけらもありません。このとき、松坂屋ストアは全てピーコックストアになるのかと思いきや、大丸は意外な選択をします。

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 松坂屋ストアは関東にも何店舗か残っていましたが、一方で、名古屋地区に8店舗あり、特にこの8店舗には不思議な空気がありました。名古屋地区の松坂屋ストアは、名古屋の山の手ともいえる東部の郊外を中心に店舗網があり、また、先述の松坂屋のブランド力の高さから、商品ラインナップは決して高級ではなかったのですが、どこか、ハイソな奥さまがお買い物をするスーパーという雰囲気が、若干ですが漂っていたのです。

 それはきっと、カトレヤの松坂屋、400年の名古屋での歴史がそうさせていたのでしょう。実状はともかく、松坂屋のマークがそう思わせていたと言えるでしょう。

 それを察知していたのか、大丸は松坂屋ストアの名を消しませんでした。「松坂屋ストア○○店」だったお店は、合併後も「ピーコックストア・松坂屋ストア○○店」として扱われ、レシートには「ピーコックストア」の名が入るものの、店名の看板やチラシはすべて「松坂屋ストア」ブランドのままとなったのです。

「ああ、大丸は、名古屋の松坂屋ブランドを大切にしてくれるんだなあ」と、このときは思ったのですが...。

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松坂屋ストアの思い出

 ここからは私個人の思い入れになりますが、私は名古屋市の東部で生まれ、名古屋市の東の郊外で育ちました。ズバリ松坂屋ストアエリア。決してハイソな家庭ではありませんでしたが、母親に手を握られて、買物に行った一番古い記憶も松坂屋ストアですし、半ドンの日の学校帰り母親と一緒にお好み焼きを食べたりしたのも松坂屋ストア。大人になって惣菜を買ったのも松坂屋ストア。そう、私の人生は松坂屋ストアとともにあったと言っても過言ではありません。

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 小学校の頃、親の転勤によって九州へ引っ越してしまう友達と、その別れを惜しむかのように、毎日一緒にお菓子を買いに行ったのも松坂屋ストアでしたし、当時、欽ちゃんが司会を務めていたチャリティ番組に募金するために、小銭をためた貯金箱を持って並んだのも松坂屋ストアの前でした。

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 母は万博の年に他界しているのですが、幼い頃に行った松坂屋ストアが、まるで当時の姿のまま残ってくれていて、そこで買物することで、母親との時間を再び過ごせるような、そんな気がしていたのです。母親名義のままの松坂屋ストアMカードでポイントを貯めたり使ったりすることで、特別な感情を抱けたのです。それはただ、気がした程度のことかもしれませんが、私にとっては大切な、松坂屋ストアは、思い出と今が繋がる場所のひとつだったのです。

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不穏な動きはありました

 昨年の11月、ピーコックストアはひとつの決断をします。岐阜県に本社を置くスーパー「バロー」が展開するプライベートブランド(PB)商品「Vセレクト」の供給を受けると発表するのです。品目は250にも及び、ピーコックストアは一気にバローとの関係を近づけたのです。

 ここで困ったのが、名古屋地区の松坂屋ストア店舗です。バローに配慮してか、バローと競合関係にある名古屋地区の松坂屋ストア8店舗ではこの「Vセレクト」商品を取り扱わないことと決定。これはひょっとして、切り捨てもありうる...?と思ってたところで、さらに大きな動きが起きます。

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最終的にはイオングループへ

 2013(H25)年4月1日付けで、ピーコックストアはイオンに売却されることになりました。300億円と引き換えに、大丸と松坂屋はスーパー業態を手放すこととなったのです。当然、バローとの関係は消滅、トップバリュに置き換わるどころか、そう、店名に大きな問題が生じてしまうのです。

 実は、ピーコックストアは松坂屋ストアだけに配慮していたわけではなく、かつて大丸ピーコックだった店舗もその名前を維持していたのですが、イオン側は中日新聞の取材に対して、こうコメントしたのです。

「松坂屋・大丸の名は使い続けることはできない」

 理屈から考えれば当然のことです。松坂屋傘下でもなく、大丸傘下でもなく、イオンの100%子会社が、松坂屋や大丸といった名前を使うことができない、頭では理解できます。でも、ここまで残ったその松坂屋ストアが無くなってしまう寂しさを禁じ得ませんでした。

 実際には4月1日に間に合わず、しばらくは「イオングループ・松坂屋ストア」という状態になり、チラシも店名の「松坂屋ストア」が目立たないように小さく書いてあるという不思議なレイアウトのものが折り込まれましたが、それも長くは続きませんでした。

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大丸の象徴にイオンが塗り替える

 4月下旬、松坂屋ストアは「ピーコックストア」に塗り替えられました。

 大丸の残してくれた松坂屋の名前を消し、大丸の象徴であるピーコックの名に、イオンが塗り替える。なんとも皮肉な結末です。

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 40年近く前の開店当時からずっとそのままだった、松坂屋ストアのサイン灯も全てピーコックストアに、一時期アルファベットのCIを導入した当時の「Matsuzakaya Store」の文字も消滅。ビルの屋上にあった松坂屋のマークは、さすがにピーコックストアに書き換える費用が馬鹿にならないのか、白塗りの状態になってしまいました。まさかこの、白塗りが別のフラグにはならないよね?イオンだけに?と思えなくもありません。

※追記:フラグでした

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 いい方に解釈してきましたが、実は、松坂屋ブランドを残してくれたんじゃなくて、こういった看板の塗り替え費用を浮かすために、ただ、名前をそのままにしたのではないか?売却の条件が店舗名統一だったのでは?などと、いろいろ思うところはありますが、真相はわかりません。

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 いつまでも、自分が幼き日の姿のままでいてほしかった。いつまでも、母親が生きていた頃の店名でいて欲しかった。そんな思いが心を突き刺しますが、実は、そういった思いを抱いている人って、結構いるのではないでしょうか。

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 名古屋はもちろんですが、名古屋に限らず、地域のブランドは消滅し、全てがナショナルセールス化している時代です。思い出に生きることはいいことではありませんが、いつまでも思い出がそこにあって欲しいと思うことすら、贅沢な時代になってしまったと。

 逆に、昭和50年代の記憶にあるお店のまま、この平成20年代までいてくれて、ありがとう。松坂屋ストア。今はもう使えなくなった、母親名義の松坂屋ストアMカード。故人のカードですから、どうせピーコックストアカードには移行できないでしょうし、思い出とともにとっておくことにします。

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 ワオン!という鳴き声が響くレジを背に、母親との別れを改めて感じさせられた、ピーコックストアでの昼下がりでした。

【後日の関連記事】松坂屋ストアの歴史がいよいよ本当に終わる
...名古屋地区のピーコックストアは、切り離されて結局マックスバリュとなり、一部店舗は閉店となりました。

ピーコックストア菱野店(愛知・瀬戸市)


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