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バブルの虚無感が味わえるパワードーム半田

記事公開日:2006年10月17日

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 以前、家電量販店エディオングループの店舗再編のお話をしました。まずはそれを振り返ってみます。エディオンは「デオデオ」「ミドリ」「エイデン」からなる家電量販店持ち株会社で、デオデオは中四国および九州、エイデンは中部、そしてミドリ電化は近畿と、エリアを分けてそれぞれ店舗を展開しています。

 しかし、エディオングループに入る前からミドリ電化は中部地方に進出しており、中部地方ではエイデンとミドリが共存している状態となっていました。

ミドリの半田店が入っていたショッピングセンターは…

 今年7月末エディオンは、中部地区のミドリ店舗をエイデンに事業譲渡すると発表しました。対象は愛知県が扶桑、東浦、半田、安城、豊田、岡崎、名古屋みなと、岐阜県が可児、真正、三重県が鈴鹿、津南の以上11店舗。三重県の上野と名張は大阪のベッドタウンという地域特性からミドリのままとなりました。現状、既に多くの店舗がエイデンに生まれ変わっているのですが、10月9日閉店の半田店に閉店直前に行ってきました。

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 半田店はミドリが単独で店舗を出店しているわけではなく、ショッピングセンター「パワードーム半田」のなかにテナントとして入っているのですが、どうも様子が変なのです。

どう見ても今の時代に不釣合いなオブジェや、何のためにあるのかわからない、どこが管理しているのかわからない無駄なスペースがあるのです。中央はドーム状になっていて豪華な作りの割に、各フロアの天井が低いのです。同行した事情通の方に疑問をぶつけてみたところ「気づきました?」と、彼は思惑が当たったかのような笑みを浮かべました。

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建物から感じるバブル感

 パワードーム半田は、バブル時代の遺構だったのです。話を伺うと、そこは生きている廃墟、いや、生き返った廃墟という言葉がピッタリの場所だということがわかりました。大手を振って中に入ることができる廃墟とでも言いましょうか。今回はそんなパワードーム半田をレポートします。

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 山田紡績が所有する半田市のこの場所に、巨大商業施設が誕生したのは1990(H2)年9月のことでした。まさにバブル景気真っ只中、まもなくそれが終焉を迎えようとはまだ誰も思っていなかった頃でした。店舗面積は約3万平方メートル。知多半島最大のショッピングセンターとなりました。

 中央にはドーム状の吹き抜け空間が贅沢に設けられ、店内には川が流れ、そこには船が浮かび、天使が川に水を注ぐオブジェが置かれました。開店時のセレモニーは華々しく、ラジオの公開生放送などが行われ、あまりの豪華な空間にパーソナリティが驚きの声をあげるほどだったそうです。

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ネクステージ半田としてオープン!

 開店時の名称は「ネクステージ半田」。ネクステージとは「ヤオハン」が運営する百貨店型ショッピングセンターの名称です。そう、あのヤオハンです。

 ヤオハンは静岡県を地盤としていたスーパーで、積極的に海外進出を行い、アジア各地はもとよりアメリカやブラジル、カナダ、イギリスにまで店舗網を広げ、世界にその名を轟かせていました。しかし、バブル崩壊とともにヤオハンは別の意味で名を轟かせることになります。

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その後、ヤオハンは…

 1996(H8)年、経営が苦しくなっていたヤオハンは一部店舗をダイエーの子会社であるセイフーなどに売却しました。ネクステージについても売却の噂が出ていたのですが、翌1997(H9)年にヤオハンは会社更生法適用を申請し、事実上倒産しました。

 ジャスコが支援を表明して更正手続きが開始され、元社長らは粉飾決算などの疑いで逮捕されました。その後ヤオハンはイオングループ傘下となり、商号も「マックスバリュ東海」となりました。現在もヤオハンという名称のままの店舗が残っていますが、将来的には全てマックスバリュに店舗名称を変更するとのことです。

 そんな大きな流れのなかで、ネクステージはどうなったのでしょうか。ヤオハンは半田に続き、1994(H6)年には知立市に「ネクステージ知立」をオープン。

 ということは、このネクステージ半田はさぞかし経営がうまく行っていたのかと思いきやそうでは無かったのです。後から判明したことですが、訴状によるとネクステージ半田は開業時から月2億円以上の損失を計上していたというのです。半田が成功して知立を作ったわけではなく、新店舗をどんどん作って売り上げをとにかく伸ばすことしか、当時のヤオハンに道は無かったということです。

 そんなネクステージが会社更生の段階で残されるはずもなく、売却の話が進みました。知立の方は、名古屋を地盤とするものの三河地区では力が弱かったユニーが買い取り、1998(H10)年4月に「ギャラリエ・アピタ知立店」としてすぐに息を吹き返しました。ところが、半田はそうは行きませんでした。

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一度閉鎖されたネクステージ半田

 1998(H10)年2月にネクステージ半田は閉鎖されるのですが、なかなか買い手が見つかりませんでした。一説には、ネクステージ半田にはスポーツクラブ施設があったために、各スーパーとも手が出し辛かったと言われています。巨大なバブルの廃墟はしばらくそのまま残されていました。

 その頃、あるひとつのスーパーが名古屋で急激に力をつけ始めていました。岐阜県多治見市に本社を置く「バロー」です。

バローは1993(H5)年に名古屋証券取引所第2部に上場すると、ホームセンターを展開していた「富士屋」を買収、1997(H9)年には大量新規出店を行い、1998(H10)年にはスポーツクラブ事業「アクトス」を分社化し、名古屋市内への攻勢を図っているところでした。そのバローがこのネクステージ半田跡地に目をつけました。

 ポイントは、バローにはスポーツクラブ事業があったということです。バローが中核店舗となり、この建物は「パワードーム半田」として2002(H14)年9月、バロー、サンドラッグストア(当時)、アクトス、そしてミドリ電化、ダイソーをテナントとしてに再オープンしたのです。4年半の空白を経てバブルの廃墟は生き返ったのです。

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建物の規模が…

 しかしです。バローと複数の商業施設が入ったとはいえ、かつての豪華な百貨店を埋め尽くすには至りませんでした。そのため、一体この場所は何のための場所なのだろうと首を傾げてしまう場所や、無意味な装飾階段などがそのまま放置されているのです。かつて店内に川が流れていた場所は、石で埋め尽くされていました。

さすがに店内に川を流すなどという、いかにもバブリーな経費の垂れ流しは再現されるわけもなかったということです。

 ネクステージ知立は店舗移行がスムーズであったことと、アピタが中核となってかなりの数の専門店を配したことでそこまでの違和感は味わえないのですが、このパワードーム半田はバブルの面影が残り、あの頃の日本を思い出すことができる、実に無駄な風景がいくつも残されています。

 利益を生むわけではない無駄なものに、お金をかけても良かった時代が日本にもあったということが実感できます。いや結局は倒産したのだから「良かった」とは言えませんね...。

 この秋、パワードーム半田の一角にあった「ミドリ電化」は「エイデン半田店」と衣替えをしますが、パワードーム半田の何とも言えない独特な空気感はこれからも残されることでしょう。ぜひ、バブルの頃の空気を感じにパワードーム半田を訪れてみてはいかがでしょうか。

 バローの立場で考えると、その空気感は早く打ち消したいものかもしれませんが、二度と作り出すことのできないこの異様な雰囲気を、いつまでも残して欲しいと勝手ながら思います。

取材協力

KAZ Communications

関連情報

パワードーム半田(愛知・半田市)MAP

パワードーム半田

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