07.昭和区 名古屋を歩こう

街道交差点には蹄鉄屋さん

記事公開日:2004年8月11日 更新日:

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奈良時代の瓦が出土-古観音廃寺跡

 山崎川の出合橋から西方向へと歩きます。夕方は西日が強く信号機が見難いためか、昔懐かしい緑と白色の縞模様の枠が信号機に付けられています。しばらく歩きますと、塩付通5丁目の交差点にぶつかります。今はその面影もありませんが、北東の角は古観音廃寺跡です。ここからは奈良時代の「布目の鬼瓦」が出土していて、現在は名古屋市の指定文化財となっていて白山社に保存されているとのことです。白山社はかつての塩付街道沿いにあるので行ってみま
しょう。

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▲オイルショックの頃は、信号の光を弱めていたためにつけられていました。
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▲交差点の北東角が、古観音廃寺跡です。

触らぬ神に祟りなし?-善昌寺・石仏白山社

 そこから西に100メートルほど歩いたところに塩付街道はあります。塩付街道は、桜山のところでご紹介したとおり南区と東区矢田の瀬戸街道を結んでいた旧街道です。右に曲がって塩付街道に入るとすぐに善昌寺と並んで石仏白山社があります。創建は貞享年間(1684-87)といわれていて、前方後円墳の後円部に本殿が造営されています。白山社は古い石垣に囲まれていて、もちろん舗装されているので昔のままではありませんが、街道当時の佇まいを残しています。この日は少年が虫取り網を持って虫を追いかけていました。いつまでもこんな風景が残るといいな、と思っていると看板が目に入りました。

「石垣が古くなって倒壊の危険があります。近寄らないで下さい。」

 いつまでも残って欲しい日本の風景。石垣も虫取り少年の姿も、消えてしまう日は近いのかもしれません。

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▲石仏白山社では子どもが虫取りをしていました。
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▲よじ登るなんてもってのほか、近寄るのも危険だそうです。
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▲こちらは石仏白山社のとなりにある、善昌寺です。

生活に入り込んでいるお地蔵さん-石仏の地蔵

 石仏白山社の北には弘法堂があり入口ではお地蔵さんが街道を見守っていました。旧街道の面影が残るのはこのあたりのみで、次第に住宅やマンションが増えてきます。そんななか塩付通3丁目に差し掛かるところにあるマンションの敷地沿いの細い横道に、ひっそりとお地蔵さんがありました。石仏の地蔵です。小さな石垣とお堂は少し窮屈そうでしたが、かわいい衣装を身にまとい、綺麗な花や折り紙で折られた鶴が供えられていて優しい顔をしていました。ちょうどそのとき、近所の親子が「お地蔵さんに挨拶してからでかけようか」と言って、親子揃って手を合わせている姿を目にしました。かつては塩付街道を通る旅人の安全を、今は界隈の交通安全を見守ってくれているようです。

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▲舗装はされていますが。街道当時の面影を残します。
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▲弘法堂入口にはお地蔵さん。
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▲マンションの敷地ギリギリで街道を見守るお地蔵さん。

マンション建設...トラック逆走...-東リ・長修殿清峯院

 塩付街道と山王通が交差するところには、深夜1時まで開いている西友があります。街道には横断歩道が無いので、現在の塩付通まで歩いて山王通を渡り、再び塩付街道に戻ります。ここからは旧街道の面影はさらに少なくなり高層住宅が増えてきます。そして「紛争中マンション反対」「周辺住民の生活を無視した逆走には反対です」といった幟を立てている家を多く見かけるようになります。周囲には東リの名古屋ショールーム、長修殿清峯院などがあります。この日はそれほど交通量が多いとも思いませんでしたが、平日はトラックなどが一方通行の道路を逆走するそうです。昔の塩付街道にも暴走馬とか居たのでしょうかね。

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▲深夜1時まで営業する西友。
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▲確かに、こんなところを大型トラックが逆走するのは怖い。
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▲長修殿清峯院です。こんなひっそりした街角に東リのショールームも。

街道交差点には蹄鉄屋さん-飯田街道

 そして塩付街道は塩付通と交差し、飯田街道にぶつかります。塩付街道自体はこの先千種区を縦断し、矢田へと続きますが現在は途切れ途切れになっています。特に矢田付近は瀬戸街道も当時の面影がありませんから、どこで瀬戸街道と接続しているのかは現在ではわかりません。対して飯田街道は旧街道が現在も国道153号線となっているのでわかりやすいです。この塩付街道と飯田街道の交差するところには現在、飯田街道というアーチもありすぐにわかります。

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▲奥に見える、止まれの標識のところで飯田街道にぶつかります。
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▲飯田街道にはそれを示すアーチもあります。

 その昔、この交差点には蹄鉄屋さんがあったそうです。蹄鉄とは馬のひずめの底に打ち付け、ひずめを保護するU字形の鉄です。蹄鉄は磨り減ってしまうので定期的に打ちかえなければなりません。馬はここで新しい蹄鉄を嵌めて、この先の長い道のりに備えたのでしょう。いくら飯田街道が現役の街道だと言っても、現在では馬を見かけることはありませんし、この蹄鉄屋さんもとっくに廃業されて無くなっています。その蹄鉄屋さんのあった場所がガソリンスタンドになっていれば、「今も昔も人間の移動手段を支えています。」とうまく締めくくることができたのですが、現在は駐車場になっているので何とも微妙です。

 かつて馬が蹄鉄を交換するために休憩していたところで、今は自動車が休憩しています。街道が交差する場所では、今も昔も人間の移動手段が休息しています。ということでまとめたいと思います。ちょっと無理があるかな。


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