07.昭和区 名古屋を歩こう

「つるま」か「つるまい」か

記事公開日:2004年8月11日

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戦時中は高射砲陣地に-八幡山古墳

 鶴舞4丁目の小酒井不木宅跡から北西方向に歩いていくと小高く山のようになっているところがあります。ここは一見ただの山のように見えますが自然にできたものではなく、東海地方最大の古墳である八幡山古墳です。直径82メートル、高さは10メートルという大きさで、外側の周堤も平均して10メートルの幅という規模です。1931(S6)年に国の史跡として指定され、戦前は埴輪などが採取されたのですが、戦中は高射砲陣地設営のために樹木が伐採されるなど、戦中戦後の混乱で全て消失してしまいました。古墳自体も戦後整形されたものの昔の姿のままではありません。いつ頃に造られたものかはっきりとはわかっていませんが、5世紀中頃ではないかと言われています。このあたりは吹上あたりまで古墳が多いのですが、そのなかでもここは中心的存在だったと考えられています。

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▲都心に山が!?と思ったら実は古墳。
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▲古墳を上空から見た写真も展示されています。
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▲戦前はもっと太い老木がたくさん茂っていたそうです。

ビール工場の酒匂さん-竜ヶ池

 そしてこの八幡山古墳は1919(T8)年から鶴舞公園の一部となっていて、ここから西側一帯は、今では何かあるとすぐに公園を作るという公園都市である名古屋市で、初めて設置された公園、鶴舞公園です。

 八幡山古墳の南側にあるゲートボール場ではご年配の方が炎天下ゲートボールを楽しんでいました。元気です。負けていられません。そしてその横の道を北に少し歩くと、左手に池が見えてきて鶴舞公園のなかに入っていく道があります。この池は竜ヶ池です。竜ヶ池は公園ができる以前からあり、吹上から流れてくる小川をせき止めて作られた農業用水の溜め池です。池の中央には浮見堂があり橋が架けられています。この浮見堂は空襲で一度焼けてしまいましたが、戦後再建されています。かなり古くからボート池としても利用されているようですが、ボートは係留されているものの誰も乗っておらず、どこに頼めば良いのかもわからないような状態でした。しかも池の水はかなり濁っています。

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▲竜ヶ池と浮見堂です。地下水を汲みいれて浄化しています。

 かつて名古屋大学医学部のさらに北にサッポロビール名古屋工場があったときには、そのビールの冷却水の余り水をこの池に注いで少しでも綺麗にしようとしました。それが池の北側にある酒匂の滝です。ビール工場は閉鎖されてしまったので現在は地下水がくみ上げられています。この酒匂の滝、ビール工場の水だから酒匂の滝というわけではなく、当時の工場長が酒匂常仲さんの名にちなんで付けられた名前です。それにしてもビール工場長の名前が酒匂さんだなんて出来すぎですね。

 ちなみに現在工場の跡地には浩養園というレストランがありますが、ここはビール工場の接待所として1931(S6)年に作られたもので、日本初のビアガーデンでもあります。工場が無くなってしまった現在では焼津市の静岡工場からビールは運ばれてきていますが、最近では地ビールを作る醸造所が新たに作られ、再びこの地でビールが作られるようになりました。ビールはもちろんですが食事も人気ですが毎月コースが変わります。通りがかったこの時には、とにかく名古屋名物を食べまくる名古屋名物のコース料理がありました。味噌にマヨネーズ、手羽先の唐揚げと濃い味のオンパレード。ビールが進みそうなラインナップです。あ、それが狙いか。

「鶴舞にある鶴舞公園」の正しい読み方は? -鶴舞公園

 竜ヶ池の奥には私も何度かお見舞いに来たことがある名古屋大学医学部の病棟が見えます。病棟からはこの鶴舞公園が一望できます。さてこの鶴舞公園の歴史ですが、もともとは1910(M43)年に開催された第10回関西府県連合共進会の会場として整備されたものです。共進会とは今の地方博覧会のようなものでした。日本に公園制度ができたのが1873(M6)年のことでしたから、今でこそ公園都市となっていますが、名古屋に公園ができたのは全国的に見ても結構遅かったのです。ちなみに当時の共進会には260万人が来場しました。当時の名古屋市の人口が約40万人でしたから、人口の6倍以上の人が訪れた大人気のイベントだったわけです。今でも鶴舞公園には当時の会場にあったモニュメントもいくつかそのまま残されていて、明治時代の最新デザインを体感できます。

 竜ヶ池の西側にある芭蕉池には菖蒲がたくさんあり5月下旬から6月上旬にかけて見頃を迎えます。ここは大正時代に作られたものですが、戦中は芋畑に姿を変えてしまいました。そのため現在の姿は戦後に再現されたものです。花を楽しめるのも平和だからこそというわけですね。確かに明日食べるものにも困る状態では、花よりも芋です。

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▲芭蕉池には花がびっしり敷き詰めてられています。
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▲芭蕉池も中央で休憩することができます。
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▲ちょうどこの時は菖蒲の花が綺麗に咲いていました。

 そしてその西側にある胡蝶ヶ池には鈴菜橋が架かっています。池はその名のとおり蝶が羽を広げた形となっています。そしてこの橋は共進会の際、回遊式日本庭園の入口として作られ純日本式木造太鼓橋だったのですが、戦後の進駐軍接収中に池の半分が埋め立てられベビーゴルフ場となり橋は取り壊されてしまいました。接収解除後、再び池が掘削され鉄筋コンクリートの橋として再建されたものです。池の中央には島があり朝日新聞社から寄贈された「鶴の噴水」があります。池が現在の姿になったのは1955(S30)年のことです。そして二つの池の間には熊沢山という小高い山があり、山麓には「山之茶屋」という田楽を売る売店があります。公園で田楽。さすが名古屋です。

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▲胡蝶ヶ池のほとりでは親子連れがお弁当を食べていました。
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▲かつては純日本式木造太鼓橋だった鈴菜橋です。
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▲山之茶屋で田楽を頬張るのもいいですね。

 鈴菜橋を渡ると奏楽堂が見えてきます。共進会の時には、ここでさまざまな演奏会が開かれました。これは1997(H9)年に再建されたものですが、当時のルネサンス風デザインが忠実に再現されています。ちなみに奏楽堂は戦争で被害を受けたわけではなく、1934(S9)年の室戸台風で壊れてしまいました。1937(S12)年から1995(H7)年までは全く別のデザインの奏楽堂があったそうですが、元々の奏楽堂があったのが共進会から台風までの24年、別のデザインの奏楽堂があったのが58年です。二代目の奏楽堂が少し可哀相です。ずっと長い間あったのに「偽者」というレッテルを貼られた挙句、壊されてしまったのですから。でもやっぱりオリジナルが、いいですね。

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▲胡蝶ヶ池の中央にある中ノ島には鶴のオブジェも。
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▲共進会当時のデザインを復活した奏楽堂。
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▲奏楽堂の欄干はさりげなく鶴。

 右手にバラ園、緑化センターを見ながら西へ歩くと噴水塔があります。これは共進会の正面玄関を飾ったもので、ローマ様式の大理石に岩組という明治時代最新の和洋折衷デザインです。現在も鶴舞公園のシンボルとなっていますが、地下鉄建設工事に伴い1973(S48)年から1977(S52)年までは分解されていました。今もこの真下を地下鉄鶴舞線が走っています。

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▲バラ園には様々な色のバラ。
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▲噴水塔の奥に見えるのは名古屋市公会堂。

 そして噴水塔からまっすぐ南に歩くと陸上競技場があります。この競技場の南側には今は東山に移転した動物園が1937(S12)年までありました。陸上競技場に突き当たり右手に歩くと、左側には鶴舞中央図書館、右側には鶴々亭があります。図書館は夜8時まで開いているのでビジネスマンでも何とか利用できそうです。鶴々亭は共進会ではなく、1928(S3)年に開かれた「御大典奏祝名古屋博覧会」の際に名古屋材木商工会が出品した茶席で、現在は予約制で利用することができます。その鶴々亭の北側にある顕彰碑には民衆運動の活動家が称えられています。鶴舞公園はメーデー集会の出発地ともなっていて、かつては米騒動、電車焼き討ち事件の集合場所でもありました。都心の公園であった宿命でしょうか。

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▲蔵書の多さに遠くからも人がやってくる鶴舞中央図書館。
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▲鶴々亭は有料です。三ヶ月前から予約を受け付けています。

 図書館の北側にはベビーゴルフ場と、現在の名古屋大学である旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」を刻んだ記念碑があり、それを左手に見ながら歩くとJR鶴舞駅が見えてきます。そして駅を通り過ぎて北に歩くと名古屋市公会堂があります。公会堂は昭和天皇のご成婚記念として1930(S5)年に建てられた物で、現在も式典や講演などに利用されています。この建物は茶色のタイル張りで、昭和のレトロな雰囲気を残しています。やはり戦後は進駐軍に接収され1956(S31)年の返還までは日本人が入ることは許されませんでした。

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▲こちらはベビーゴルフ場。この日はカップルが楽しんでいました。
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▲旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」です。伊吹おろしは冷たいよ~。
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▲市公会堂では様々なイベントが行われています。

 都心のオアシスであり、名古屋市第一号の公園である鶴舞公園は戦争、台風、開発によって様々な影響を受けつつも、その全ての歴史を吸収して今の姿となっています。今は平和かと思いきや最近ではホームレスが住み着いたり、夜間の治安悪化が懸念されています。この日も木陰では麻雀大会が開かれていました。

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▲JR鶴舞駅です。駅を出るとすぐに公園正面。
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▲鶴舞グリーンプラザは正面右側。
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▲正面からまっすぐ見ると噴水塔が見えます。

 ところでこの「鶴舞公園」ですが、「つるまいこうえん」ではなく「つるまこうえん」です。これは1909(M42)年の名古屋市告示によるものです。当初は「つるま公園」と平仮名表記だったところに、「鶴舞」という当て字が使われるようになり現在に至るとのことです。しかし鶴舞駅の呼び方は「つるまい駅」が正解で、「つるま公園」の所在地である「鶴舞1丁目」は「つるまい1丁目」です。ところが「鶴舞小学校」は「つるま小学校」です。

 「つるま」と「つるまい」。名古屋での生活シーンでは避けて通れない地名です。名古屋っ子ならさりげなく使いこなしたいですね。迷ってしまった時は「つるみゃー」と言っておけば万事OKです。


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