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13「八事」
名古屋城への地下通路?
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s 2004.7月 取材

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画像 北大路魯山人ゆかりの料亭八勝館
画像オープン時は超巨大ショッピングセンターだったけどジャスコシティ八事
画像名古屋城への地下通路?八事山興正寺

画像北大路魯山人ゆかりの料亭 −八勝館
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 半僧坊の交差点に再び戻り、飯田街道を東に進みます。すると左手にかに本家が見えてきて、その奥には深い緑の山が広がります。八事山興正寺です。興正寺に行く前に八事界隈を散策します。興正寺の総門を越え、東山門を越えると八事マルベリーホテルがあります。結婚式などがよく開かれるホテルです。そしてそのホテルの奥が中京大学です。私にとっては、推薦、前期、後期試験と何度も落とされた思い出の大学ですので、軽く見て流すことにします。そして対する飯田街道の南側には、ジャスコシティ八事と八勝館があります。
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▲八事界隈。このときは名城線延伸工事のラストスパート。画像 ▲八事山の森に囲まれたマルベリーホテル。※2006年3月閉館

 八勝館は明治時代初期に建てられた別荘のひとつです。当時、八事は八事山興正寺を中心として名古屋で最も有名な行楽地でした。そのため別荘が次々と建てられたのです。そのうち、この八勝館は材木商の別荘として建てられたのですが、その後名古屋財界の有力者が買い取り、名古屋の迎賓館として利用されてきました。現在も萱葺きの門は当時のままで別荘地八事を体感できます。1925(T14)年からは料亭として営業をしています。陶芸家北大路魯山人ゆかりの料亭として知られており、膨大なコレクション群があるとのこと。4000坪の中庭と数寄屋造りの建物も当時のままですが、2004(H16)年7月に火災で一部を焼失してしまいました。
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▲当時のまま。八勝館萱葺きの門。画像 ▲ランチが16,000円か…。

 お店によりますと、料理は1人2万円から、ランチでも1万6000円からだそうで、とてもとても入ることはできませんでした。ところが、その一流料亭の味を気軽に食べることができる方法があるのです。八勝館の入口近くには小さな売店があります。そこではなんと1000円を切る価格で、その一流料亭の料理人が作ったお弁当を買うことができるのです。ただし、予約が必要ですので必ず電話をしてからお出かけください。弁当を買うのに予約。さすが一流は違う。
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▲予約制のお弁当屋さん。

画像オープン時は超巨大ショッピングセンターだったけど −ジャスコシティ八事
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 八勝館のすぐ横にはジャスコシティ八事があります。建物自体はものすごく大きいのですが、八事駅側の間口は狭いので、気を抜くと通り過ぎてしまいます。このジャスコは最近できたものではなく、10年以上前からあります。正確な時期は忘れてしまいましたが、オープン当時は結構話題でテレビなどでもよく取り上げられるとともに、パブリシティ番組を流していました。
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▲思わず通り過ぎそうなジャスコの入口。

 昭和区と瑞穂区両方の高級住宅街に囲まれ、客層はハイソな主婦が中心であるにもかかわらず、なぜかそのパブリシティ番組は「八事バンカラ街道」といった類のタイトルで、吉本興業名古屋事務所のタレントが学ランを着て、ジャスコで客相手にクイズを出したり、コントをするというものでした。そのミスマッチ感がたまらない空気を醸し出していたのがとても印象的でした。オープン当時は「すごい巨大スーパーができたものだ」と思ったものですが、ここ最近オープンしたイオンの超巨大ショッピングセンターを見てしまうと、もはや古いショッピングセンターの部類に入ってしまう気がします。一番古さを感じるのは、天井が低い点です。
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▲立体駐車場もこのとおり、奥には広いジャスコ。

画像名古屋城への地下通路? −八事山興正寺
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 では飯田街道を横断して興正寺へと向かいましょう。八事マルベリーホテルを通って飯田街道を戻って行くと、興正寺の東山門があります。東山門はもともと名古屋城にあった戦用の出丸門です。そのため弓や鉄砲が撃てるように両側が格子になっています。ここから本堂へは遠いので、西へ160メートル歩いたところにある総門へと向かいます。ちなみに、この東山門からの登り道はS字になっています。これは意図的なもので、敵がやってきたときに一気に攻めあがれないようにしてあるのです。興正寺は名古屋城下西端の砦として軍事的な性格もあったそうです。
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▲東山門から入ると迷ってしまいます。兵を防御するための坂なんですから。

 それでは総門から興正寺に入ります。興正寺の始まりは1686(貞享3)年、高野山から天瑞和尚という僧侶がこの地にやってきて、草庵を結んだことによります。2年後の1688(元禄元)年には寺院建立を尾張2代藩主光友によって許されます。興正寺は高野山真言宗別格本山で、昔から「尾張高野」とも呼ばれています。江戸時代から参詣者が多く、明治から大正にかけては鉄道馬車が通り、それはやがて八事電車となり「山行き」と言われました。 当時名古屋で山といえば、無条件に八事山のことを指したのでした。それくらいポピュラーな観光地だったわけです。
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▲もちろん駐車場完備。車はこの直結交差点から。画像 ▲そしてこの総門から八事山に入ります。

 八事山は大きく西山と東山にわかれ、西山は昔から誰でも自由にお参りすることができたのですが、学問・修行の場であった東山は女人禁制とされ、西山と東山を分ける女人門からは、女性は入山することを禁じられていました。明治になると女人禁制は廃止され、現在では誰でも自由にどちらもお参りすることができます。
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 1697(元禄10)年に初めて作られ、七世真隆和尚の時代に再建された総門をくぐると、左手に七観音、右手に六地蔵があります。そしてすぐに中門が見えてきます。この中門が、かつては西山と東山の間にあり女人門と呼ばれていたもので、女人禁制廃止後に中門としてここに移されました。その中門の向こうには、八事山興正寺の象徴でもある五重の塔があります。この五重の塔は1808(文化5)年、総門を再建した真隆和尚のときに建立されたものです。高さは30メートル、初重3.93メートル角の小規模な塔で、塔身が細長く相輪が短い点で江戸時代後期の塔の特徴をよく現しています。尾張藩との関係が深いことから、塔の扉には葵の紋が刻まれています。国の重要文化財に指定されていて、東海地方では唯一の木造五重塔です。
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▲両側には観音さまとお地蔵さん。画像 ▲かつては女人門だった中門。画像 ▲五重塔には思わず圧倒されます。

 五重塔を越えるといよいよ本堂です。本堂はもともと、阿弥陀堂として1750(寛延3)年に建てられたものです。本堂でお参りをして振り返ると、本堂の斜向かいに動物諸霊供養という場所がありました。そこには愛玩動物の塔婆置場もあり、愛されたペットたちが眠っていました。興正寺では動物供養も行われています。
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▲本堂にはこの日もお参りする人がたくさん。画像 ▲動物の塔婆

 そして、その横にある階段を登って行くと能満堂があります。能満堂は1717(享保2)年に尾張6代目藩主継友の寄進によって建てられたもので、徳川家の祈願修法所として扱われてきました。そこからは墓地が広がりますので、その間を進んでいきます。すでに八事界隈の喧騒は聞こえず、どこか深い森の中を歩いているような錯覚に陥ります。しばらく歩くと、かつて女人門のあった場所があります。ここから先は女人禁制だった東山になります。「女人」という言葉を聞くと何かモゾモゾする気がしますが、実際は男だけの山ですから性格は正反対です。男人専門と言えばイメージに合いますかね。言葉からそういうことを考えること自体が不純ですね。
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▲能満堂へと階段を登ります。森の中はひんやり。画像 ▲お墓の間を歩いていきます。画像 ▲かつてはここから先、女人禁制でした。

 お墓を越えると、左側に大日堂が見えてきます。ここが八事山で一番高い峰で、海を飲み込んでしまう峰という意味で呑海峰(どんかいほう)と呼ばれています。海抜約800メートル、かつては熱田や伊勢の海を一望できたそうです。大日堂には、尾張2代藩主光友が母の供養のためにと、1697(元禄10)年に鋳造させた総本尊大日如来が安置されています。ここに大仏様が鎮座して以降は、近隣で疫病も出なくなり、雷も落ちたことがないと言い伝えられています。
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▲大日堂には秘密の地下道が?

 そしてなんとこの大日堂からは、名古屋城まで地下道が続いているという噂があります。江戸で反乱などが起きた時、この尾張は西に広がらないよう、それを食い止める役割がありました。しかし、名古屋城が万が一陥落してしまったときの逃げ道として地下道がここに通じていたと言うのです。そして、この大仏はその目印として建てられたのだというのです。実際に大仏の台座の礎石は三つに分かれていて、その中央が嵌め石となっているのです。この噂、本当でしょうか。もし本当なら何か別のことに活用できる気もするのですが…。名古屋城からこの八事まで直線距離で約6キロ。当時それだけの距離、人が通れる規模の地下道を作る技術があったのか…本当に、本当にあるのなら歩いてみたいですね。
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 それにしても、昔は関西を名古屋が守っていたのですね。大阪を発展させたのも名古屋出身の秀吉ですしね。今度は、名古屋の好調な経済が、関西の不況を救うのかも。
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