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8「浄心」
七福神がやってきた
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s 2004.3月 取材

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画像 現代パチンコ発祥の地パチンコミュージアム
画像江川があったからこそひつまぶしが生まれた?浄心寺・うなぎのしら河
画像江戸時代にアロマテラピー宗像神社・蜂谷宗意宅跡
画像徳川家代々の位牌を安置興西寺
画像さすが城下町・建設会社も寺社がメイン長瀬組・天神社・上宿山神社
画像弁天さんは七福人を連れて帰ってきた弁天通商店街・弁天市場

画像現代パチンコ発祥の地 −パチンコミュージアム
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 浄心駅は、江川線と弁天通が交わるところにあります。ここはパチンコ発祥の地、駅の南にはそのパチンコの歴史がわかる「パチンコミュージアム」が正村ビルの3階にあります。ちなみにビルの1階はもちろんパチンコ店です。パチンコの歴史に触れ、かつ最新のパチンコに触れることができ、あわよくばバックも…。
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 さて、浄心駅の東西を走る弁天通の両側には、62店舗からなる弁天通商店街があります。ここは電線の地中化とともに近年整備され、中高年にやさしい商店街を目指し歩道が広くとってあります。そのお陰か、この日も結構賑わっていました。では、浄心の名の由来となっている浄心寺から見ていきましょう。
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▲弁天通です。電線の地中化をきっかけに綺麗になりました。

画像江川があったからこそひつまぶしが生まれた? −浄心寺・うなぎのしら河
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 浄心駅を1番出口から出ると、目の前に浄心寺があります。「浄心観音」として親しまれており、毎月18日には「いっぷく茶屋」が設けられ、先着100名をお茶とおまんじゅうでおもてなしします。1811(文化8)年に建立された曹洞宗のお寺です。そして、お寺の前には「江川の碑」があります。現在は江川線となっている道路には、江川という川が流れていました。江川で取れるウナギは大変美味しいことで有名だったそうです。江川は昭和初期に埋め立てられてしまいましたが、櫃まぶしで有名な「うなぎのしら河」は今も浄心に本店を構えています。かつてここからは乗鞍・恵那・伊吹・多度といった山々を見ることができたそうです。
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▲浄心寺(浄心観音)です。毎月18日はおまんじゅうで賑わいます。

画像江戸時代にアロマテラピー −宗像神社・蜂谷宗意宅跡
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 弁天通商店街は浄心寺を起点として東に広がっています。浄心寺のすぐ近くに、活気のある八百屋さんがありました、原商店です。そしてその北側に宗像神社がありました。この神社は徳川義直が勧請したもので、別名を御深井弁天と言います。神社の前に活気のある八百屋さん。見ていてホッとする下町の風景です。宗像神社のすぐ近くには蜂谷宗意宅跡があります。蜂谷宗意は香道の家元で、1803(享和3)年に京都で生まれ、志野流第15世を継承しました。明治維新の兵乱を避けて名古屋に移住し、この地に居を構えました。香道とは室町時代中期に完成された芸道で、香を焚いて楽しみ、その香りを聞きわけるものです。香りに敏感な蜂谷宗意、ここに住んでいたのであれば、香だけでなく、うなぎが炭で焼かれる香りも好きだったかもしれませんね。
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▲弁天通から宗像神社への参道です。鳥居が金属だ…。画像▲宗像神社です。この正面に賑わっていた八百屋さんがありました。画像▲蜂谷宗意宅跡です。うなぎの香りは好きだったのかな?

画像徳川家代々の位牌を安置 −興西寺
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 では宗像神社から弁天通を通り過ぎ、南へと歩いてみましょう。すると興西寺が見えてきます。このお寺は1411(応永17)年に現在の甚目寺町に創建され、名古屋城築城の際に北鷹匠町へ移り、さらに1645(正保2)年に藩祖義直によってこの地に移されています。深井丸と号し、徳川家代々の位牌を安置していて、葵の紋を許されていました。入口には大きく「現実否定の精神こそ生命の炎である」と書いてありました。私の場合、現実否定をすると空想の世界に旅立ってしまいます。ある意味それが生命の炎なのかもしれませんが。
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▲興西寺です。「現実否定の精神こそ生命の炎である」う〜ん。

画像さすが城下町・建設会社も寺社がメイン −長瀬組・天神社・上宿山神社
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 その興西寺から東へ歩いていくと、豊臣秀吉像が現れました。実はこれ、すぐ横にある建築会社「長瀬組」が建てたものです。この豊臣秀吉像は秀吉本人ではなく、長瀬組の創業者である長瀬美之翁が、1984(S59)年に第30回の名古屋まつり郷土英傑行列の秀吉役となったのを記念して建てられたものなのです。確かに、名古屋まつりで三英傑の役をやったとなれば、それは名古屋においてはステータスシンボルとも言えます。ちなみにこの長瀬組、個人住宅や集合住宅も手がけているのですが、神社仏閣の建設がメインです。さすが城下町。
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▲豊臣秀吉像です。郷土英傑行列にでられたことが余程嬉しかったのでしょう。

 さらに東へ歩くと武島天神社と上宿山神社があります。武島天神社では、倫理研究所による朝の集いが毎朝5〜6時に開かれています。ここではありませんが、私も幼い頃に倫理の朝の集いに行った記憶があります。私の親の方針は、「宗教は親が押し付けるものではなく、自分の信じるものがあればそれを信じなさい」というもので、そのためには様々な宗教を知らなくてはならない、ということから倫理だけでなく仏教からキリスト教から、いろんな宗教・宗派の集会に連れて行かれた記憶があります。お陰で私は多神信者になってしまいました。信じるものは救われる。たくさんの神様に救われるならそのほうがいいかも。
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▲上宿山神社です。武島天神社とすぐ近くにあります。画像▲武島天神社です。支那事変記念の文字があります。

画像弁天さんは七福人を連れて帰ってきた −弁天通商店街・弁天市場
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 では、弁天通に戻りましょう。「天」の字が剥げてしまい、今はその字だけが新しく綺麗な「弁天市場」があります。この日は残念ながらお休みでしたが、普段は酒・米・うどん・お好み焼きなどを扱っているお店です。この通りは地面も綺麗ですが、マンホールには金鯱が描かれていました。やはりそれは外せないんですね…。
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▲マンホールには雄・雌の金鯱。画像▲「天」の文字だけが鮮やか。しばらくは「弁市場」だったのかな。

 すると恵比寿さんの置物がありました。傍らには「恵比寿さんひとりじゃないよ」の文字が。何か寂しげだなぁ、と思ったのですが実はそういう意味ではなく、恵比寿さんだけではなく、この弁天通商店街には七福神が揃っているのです。かつて弁天通商店街には白い牛に乗った弁天様の像があったのですが、しばらく空き地に追いやられていました。しかし再び、弁天さまは十数年の時を越えて七福神全員とともに商店街へ戻ってきたのです。これらは創作作家ぜんきゅうさんの手によるもので、どれもなかなか可愛らしく作られています。
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▲「恵比寿さんひとりじゃないよ」何か意味深な言葉かと思ってしまいました。

 中高年にやさしい商店街。酒屋さんでは信用金庫の職員が店主と話している姿を見かけたりと、古き良き日本の下町商店街でありながら、近代化されていて綺麗な街並み。こういった歩いていて楽しい商店街は、これからも残っていくことでしょう。
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 ところで、商店街の中で異彩を放つ店が一軒ありました。「NEW PUB赤と白・コスチュームパーティは26・27日開催」やっぱりここも中高年にやさしいのかなぁ。
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 まさか、中高年がコスチュームパーティ…。
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