03.西区 名古屋を歩こう

産業テーマパーク

記事公開日:2004年4月10日 更新日:

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諸大名が旅の安全を祈願-金比羅神社

 では菊井町交差点からさらに西へと歩きます。交差点から少し北へ歩いたところに金比羅神社があります。円頓寺商店街の中にあった金比羅神社と同じく大国主命を祀っています。1797(寛政9)年に四国の琴平より勧請しました。文政年間(1818~30)の頃、このあたりに悪疫が流行した時、この神社の信仰が悪病除けになったと言われています。また、かつてここは交通の要路であったことから、諸大名から様々な旅人が宿泊・休憩した際に、旅中の安全を願ったとも言われています。明治時代に一度廃社となったものの、のちに再興されています。

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▲金比羅神社です。諸大名が旅の安全を祈りました。

春の酒「あばれこうじ」の暴れっぷりは-押切神明社・秋葉神社・妙圓寺

 古くからの住宅が建ち並ぶなか、酒屋さんを発見しました。「春の酒・あばれこうじ」という張り紙がしてあります。そこには不思議な言葉が書いてありました。「お飲みになる際は、受け皿・タオルをご用意ください」私はお酒が得意では無いので買いませんでしたが、かつてテレビで見たことがあります。このお酒は栓を抜いた瞬間、シャンパンのように中のお酒が吹き出してしまうのです。しかもその勢いは半端ではなく、受け皿を用意していないと全量が噴出してしまい飲めず仕舞いになってしまいます。さすが、暴れ麹。

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▲こちらは神明社。市営南押切荘の近く。(本文では触れていません) 画像 ▲同じく南押切荘の近くにある秋葉神社。(本文では触れていません)

 金比羅神社のある通りの一本南の通りにあるのが妙圓寺です。ここは日蓮宗のお寺です。そこにはこんな言葉が書いてありました。「自分さえよければ、で世の中は乱れる」「あなたは常識にとらわれすぎていないか」両方とも心に染みましたが、前者はお寺にあってよくわかるのですが、後者の言葉が意外でした。常識にとらわれない。そのためには、とかく世間体を気にする日本人、とりわけ名古屋っ子には努力が必要なようです。

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▲妙圓寺です。常識にとらわれない...。頑張ってみます。

絵付体験から陶器のアウトレット店まで-ノリタケの森

 妙圓寺のすぐ西側、大きな通りから西側は則武新町。そして、通りに面しているのが、ノリタケが運営するテーマパーク「ノリタケの森」です。ノリタケと言えば、世界的に「ノリタケ・チャイナ」のブランド名で知られる陶磁器メーカーです。ノリタケの創設者である森村市左衛門氏が、陶磁器と初めて出会ったのが1900(M33)年のパリ万博でした。

 当時森村市左衛門氏は福沢諭吉氏と相談して貿易商社「森村組」を設立し、弟・豊氏とともに「森村ブラザーズ」という雑貨店をニューヨークに開いていました。彼らは出品者としてパリ万博に参加していたのですが、そこで目にしたのが、綺麗に絵付けをされた白い陶磁器だったのです。そこで森村氏は1904(M37)年に日本陶器合名会社を設立し、白い磁器ディナー皿に挑戦しました。しかし思うようには進まず、日本初のディナーセットが完成したのはそれから10年後のことでした。それは見事で、ノリタケの名は世界中に広まっていきました。

 今もここに工場がありますが2001(H13)年10月、その一角に創造の森をテーマにした「ノリタケの森」をオープンしました。ノリタケのショールームだけでなく、初期の「オールドノリタケ」を展示しているミュージアムや、陶磁器の製造過程を見学できるクラフトセンター、ここでは実際に絵付けを体験することもできます。また、実際に購入できるお店はアウトレット品も扱っています。さらにはノリタケ製品で食事ができるレストランや喫茶店もあります。

 外には、ノリタケのシンボルである6本煙突をモニュメントとしたものや、生き物たちが共生する自然を都市の中で復元したビオトープ、せせらぎもあり、それが「森」と言う名の由来でもあります。ノリタケは近年、食器だけでなくこういった自然環境を大切にする活動をすすめています。それは商売にも繋がっていて、現在では業務用生ゴミたい肥化製造装置なども開発しています。この「森」で、ノリタケの100年の息吹を感じられます。

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▲ノリタケの森です。則武新町3丁目はほぼ全てノリタケの敷地。 画像 ▲この日もたくさんの人が「森」に訪れていました。

トヨタ好調の秘密を根本から探る-産業技術記念館

 則武新町を発祥の地とする企業がもうひとつあります。それはトヨタ自動車です。トヨタグループの創始者である豊田佐吉氏が「豊田自働織布工場」の実験工場をここに造ったのがすべての始まりです。その工場はのちに旧豊田紡織の本社工場となり、豊田自動織機製作所そしてトヨタ自動車工業の設立総会がここで開催されました。ノリタケの森方向から歩いていきますと、大きなレンガの壁が見えてきます。それが、大正時代の工場建屋をそのまま遺産として残した「産業技術記念館」です。

 豊田紡織は、トヨタの当初の柱であった繊維機械メーカーです。トヨタグループのなかに豊田自動織機という会社がありますが、実はトヨタ自動車よりもこちらが本家なのです。現在では自動車組み立て、フォークリフトが売上のほとんどを占め、繊維機械はわずか5%の割合となってしまいましたが、数年前社名を変更した際にも「織機」という名を留めている所にこだわりを感じます。

 展示はその繊維機械の他、自動車の技術とその生産技術の移り変わりや、ゲームを通して体験できる機械の原理や仕組み、当時の豊田紡織本社事務所を再現したコーナーではトヨタグループの歴史について、また豊田佐吉氏が織機を発明に取り組んだ事務所も再現されていて、なんと展示品は合計4000点にものぼります。

 日本の工場とも言われるこの東海地区。不景気に強いのも製造業が元気だからです。名古屋を根底から支え続けてきた産業の歴史に、これらテーマパークで触れてみてはいかがでしょうか。名古屋は真面目で地道な人が多いと言われますが、決してそうとも言い切れません。それまでの常識にとらわれず、新しいことにチャレンジしているにもかかわらず一見そうは感じさせず、これまで外にはそういった姿をあまり見せませんでした。そんな奥ゆかしさがあるからさらに侮れないのです。トヨタもノリタケも今や世界規模の会社なのですから。

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▲産業技術記念館です。則武新町4丁目はほぼ全てトヨタ関連の敷地。 画像 ▲大正時代のままの建造物。絵に描いたような工場の形。

 名古屋ならでは産業のテーマパーク。観光にもお薦めです。もちろん大駐車場完備、車で行っても安心です。

 ただ、トヨタ車以外でのご来場はご遠慮いただいております。(もちろんウソです)


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