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11「庄内通・稲生」
古戦場で今も続く戦い
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画像大洪水に遭ってお引越し 白山社・円福寺・八幡社
画像教室の床はピッカピカのはず新福寺・玄々化学工業
画像信長の兄弟喧嘩は壮大庚申塚・稲生ヶ原古戦場址
画像兄弟喧嘩の果ての死者と弔う 白山神社・宗圓寺
画像犬の王が洪水を鎮める安性寺・妙本寺・伊奴神社
画像ショッピングセンター内で大バトル?ダイヤモンドシティ
※記述は2004(H16)年3月取材時のものです。ダイヤモンドシティは2005(H17)年6月に閉店しました。

画像大洪水に遭ってお引越し −白山社・円福寺・八幡社
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 では堀越から庄内通へ、東方向に歩きましょう。ここからは稲生ヶ原合戦の舞台となります。ヤマダ電機の側道が北へ突き当たったところに、伊邪那美命を祀った白山社があります。白山は富士山・立山と並ぶ日本三名山のひとつで女性的な美しい山です。女性の神様を祭り、女性的な山を信仰しているこの白山神社は、樹齢が何百年にも及ぶであろう立派なクスノキに囲まれています。そこを右に曲がると庄内小学校です。そこを過ぎると左手に円福寺、右手に八幡社があります。
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▲白山社です。クスノキの大きさ、数にに驚かされます。画像▲こちらは円福寺。新福寺町にある円福寺です。ちょっとややこしい…。

 八幡社はいつ創建されのかは不明ですが、天正年間(1573-91)に京都の石清水八幡宮を勧請して祀ったと伝えられています。元は庄内川の堤内にあったのですが、名古屋城築城の際に築堤がなされ、その後神社が水害を受けることが多くなってしまったために、1614(慶長19)年の大洪水をきっかけにこの地に移りました。ここでも立派なクスノキを見ることができます。
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▲こちらは八幡社。洪水によってたくさんの寺社が一斉に移転しました。

画像教室の床はピッカピカのはず −新福寺・玄々化学工業
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 そのまま東へと進み、名塚町1の交差点を北に行ったところに新福寺があります。ここは天平年間(729〜749)に行基が創建したと言われています。ここもかつては庄内川の堤内にあったそうです。その頃は12もの建物からなる大きなお寺でした。しかし、やはり水害を受けることが多く、八幡神社と同じ大洪水をきっかけにこの地に移りました。現在も新福寺町という地名が残っていますが、かつてここにあった新福寺村はこのお寺の名を由来としています。残念ながら立ち入り禁止となっていたので、本堂の裏庭にある市内最大の名木、幹周り428cmのシイの木は残念ながら見ることができませんでした。
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▲新福寺です。現在は名塚町となっていますが、ここ一帯は新福寺村でした。

 再び名塚町1の交差点の通りに戻り、東に歩くと玄々化学工業の研修センターがあります。玄々化学はフロアーユートンという樹脂塗料で有名です。ここは本社や工場というわけではありませんが、木文化研究所、AURO自然塗料事業部といった文字から、会社の取り扱い品が想像できます。ちなみにフロアーユートンは教室・廊下・病院・武道場・ダンススタジオといった床に使用されます。その縁か、この研修センターでは空いた部屋を利用して「レッツ体操クラブ」というモダンダンスやバレエの教室を開いています。さぞかし床はピカピカなことでしょう。毎日ユートンで磨いているかも。
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▲玄々化学の研修センター。バレエ教室の床はピカピカ?

画像信長の兄弟喧嘩は壮大 −庚申塚・稲生ヶ原古戦場址
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 少し歩くと惣兵衛川(庄内用水)が流れています。その川を渡ったところを川沿いに左へ歩いていくと庚申塚、稲生ヶ原古戦場址です。1556(弘治2)年、信長の弟信行は柴田勝家、林美作を味方につけ、清須の兄信長にこの地で戦いを挑みました。信長はこの戦いに勝利したことで尾張統一に大きく踏み出し、その4年後には桶狭間の戦いが起きることとなります。庚申塚は、その合戦の戦死者の霊を祀ったものです。父の跡を継いだ信長に対し、謀反の動きがあった家臣林通勝と弟が手を組んで戦いを挑む、兄弟でも戦わないといけなかった悲しい歴史ですね。その戦いは激しかったと言います。ところで、今もこの地では別の激しい戦いが勃発しています。それは後ほど。
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▲稲生ヶ原古戦場址です。川と共に綺麗に整備されています。画像▲こちらが中にある庚申塚。この日も花が供えられていました。

画像兄弟喧嘩の果ての死者と弔う −白山神社・宗圓寺
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 その庚申塚の北には白山神社と宗圓寺があります。名塚白山社は、稲生ヶ原の戦いの際、信長方の佐久間大学がたてこもった名塚城跡と言われており、戦死者の霊を祀るために建てられたのだそうです。堀越にあった白山社と違い、ここは菊理媛命(くくりひめのみこと)と崇徳天皇を祀っています。そして宗圓寺は曹洞宗のお寺です。このお寺も庄内川堤内にあったのですが、八幡神社などと同じ時にこの地に移っています。ちなみに本堂は1983(S58)年に再建されたものです。このあたりは旧名塚村本郷にあたるのですが、道筋や屋敷割は当時のままなのだそうです。では、庄内川方向へと歩き庄内通を渡りましょう。すると稲生町界隈に出ます。
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▲宗圓寺です。幼稚園が併設されていて元気な声が響いていました。画像▲名塚白山社です。兄弟喧嘩の末の多くの戦死者を祀ります。

画像犬の王が洪水を鎮める −安性寺・妙本寺・伊奴神社
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 川から少し南の細い道を入っていくと安性寺、妙本寺、そしてその前が丹羽屋敷跡です。今もその面影を残す街並みが続きます。そしてしばらく進むと大きな神社があります。伊奴神社(いぬじんじゃ)です。創建は673(天武2)年、このあたりでは最古の神社です。天武天皇の時代、このあたりから稲を献じ、それに併せて神を祀ったのが始まりと伝えられています。そして、稲生町の地名の由来ともなっています。伊奴姫命、大年命、須佐之男命の3神を主神としています。境内には樹齢800年といわれるご神木のシイノキや幹周りが150cmもあるシャシャンポの大樹もあります。その神木のシイノキには神様のお使いとして大蛇が棲んでいると言われており、敷地内には白龍社もあります。しかしそれは伝説としてだけではなく、実際に現在も毎年、蛇の脱け殻が見受けられるそうです。
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▲安性寺です。稲生ヶ原の戦いの際、一度焼失しています。画像▲妙本寺です。門の木目が鮮やかです。画像▲かつての土蔵が、屋敷の面影を残します。

 伊奴神社の敷地内には五穀豊穣・商売繁盛・万の産業発展の守護神である玉主稲荷社もあります。神社の入り口にはお参りする順番が書かれた看板がありますので、お間違いなく。そして伊奴神社の本殿前には犬の像が座っています。伊奴と犬、決して駄洒落ではありません。昔、庄内川が氾濫して困った村人が、山伏にそれを話したところ、御幣を立ててお祈りをしてくれました。するとその年は洪水が起きなかったのです。村人は不思議に思い、開けてはいけないと言われた御幣を開けると、犬の絵とそしてその下に「犬の王」という文字が書かれてあったそうです。しかし、それを開いてしまったせいで翌年は大洪水になってしまったのでした。山伏にそれをお詫びすると、「社を建てて祀れ」と言われ、それが伊奴神社の始まりとも伝えられています。以降、災難除けの神様として、そして犬は安産なことから安産・子育ての神として犬石像を祀っているのだそうです。
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▲伊奴神社です。この日もひっきりなしに参拝者が訪れていました。画像▲本殿前の犬の像です。大雨になると立ち上がる…かも。画像▲神木のシイノキです。蛇は伝説だけでなく今も棲んでいます。

 一匹の犬の王が洪水を鎮める。大雨の中、川岸に二本足で立つ犬の王。その犬が杖を空に向けると雨が止みすーっと雲がなくなり晴れ間が広がる…。これは私の勝手な妄想です。カッコイイなぁ。
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▲こちらが伊奴神社の本殿です。1300年以上の歴史。画像▲玉主稲荷社です。産業発展の守護神とは西区らしいですね。

画像ショッピングセンター内で大バトル? −ダイヤモンドシティ
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 では庄内通へ戻って休憩しましょう。庄内通駅の前にあるダイヤモンドシティというショッピングセンターで一服します。ここは1970(S45)年にオープンした巨大ショッピングモールです。その歳月の経過を隠すことはできず、70年代の最先端を感じることができます。しかし30年前でこの施設、当時は相当話題になったのではないかと想像できます。ところで、ダイヤモンドシティにはヤマナカというスーパーが入っています。私はちょっと驚きました。ヤマナカは名古屋を地盤とする中堅スーパーなのですが、ここから南へ500m程のところには、ヤマナカを中核としたミユキモールというショッピングセンターがありますし、北へ約2キロいったところには単体のヤマナカがあるからです。これほど集中的に出店するということは、余程西区を重要な地域と考えているのでしょうか、競争の激化を感じます。
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▲ダイヤモンドシティ。その外観にも時代を感じます。画像▲こちらはダイヤモンドシティから北に2km行ったところにあるヤマナカ。

 しかし、ダイヤモンドシティではさらに想像を絶する戦いが繰り広げられていたのです。大抵、ショッピングセンターはどんなに大型でも、生鮮食品を扱うスーパーはひとつ入っているのみです。ところがヤマナカのあるダイヤモンドシティ、実は中核となっているのはジャスコなのです。つまり、1階フロアの端と端にジャスコとヤマナカという二つのスーパーがあるわけです。さらにダイヤモンドシティはジャスコと共に、2.4km北に「ワンダーシティ」というシネコンを併設した、もっと大型で新しいショッピングセンターを1994(H6)年に建設するのです。
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▲ジャスコとヤマナカが仲良く(!?)同居。

 稲生ヶ原では、織田兄弟の戦いから450年の時を越え、過激なスーパーの戦いが繰り広げられています。これ以上古戦場址が増えないことを祈るばかりです。
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